第19話 ウンディーネの雫


「あ、そうだ! 聞いたわよグレンちゃん!」


 ただでさえ明るいマリーさんの声のトーンがさらに一段階上がった。愛嬌のある顔がぱあっとほころぶ。


「なんだよ、なにを聞いたんだよ」

「昨日のことよ!」

「昨日のこと? ……別になんもしてねえぞ」


 思い当たる節がないのか訝しげな様子のグレン。


「なに言ってるのよ! あなたがこの町を救ってくれたんでしょう? 町のみんなその噂で持ちきりなんだからっ!」


 嬉しそうに話すマリーさんが誇らしげに鼻を鳴らす。


「はあ? 俺が? この町を?」

「そうよお! ものすんごい魔法でモンスターをやっつけてくれたんでしょ? すっごい大きなモンスターが町の上空を飛んでったのをたくさんの人が目撃してるのよ」

「いや、俺はなにもしてねえが……」

「あらやだ! 謙遜しちゃってえ! そういう謙虚なところもス・テ・キ!」


 ウインクしながら投げキッスをグレンへ飛ばすマリーさん。

 飛んでくるハートをグレンは素早くかわした。


「別に謙遜なんかしてねえ。俺よりもルィンやラグノのほうが活躍してたぞ」

「まあルィンちゃんも! うんうん、そうよね! あなたたち二人ならやってくれると思ってたわ! 本当にお似合いのコンビなんだかあ! ところでラグノっていう方はだあれ?」

「こいつだよ」


 グレンが親指で俺を差しながら。


「旅をしてるらしいぜ。昨日この町に着いたばかりなんだとよ」


 マリーさんがパチパチと瞬きしながら、興味深げに俺の顔を見て。


「あらあ……。それは災難だったわねえ。びっくりしたでしょう? 普段はあんなことないのよお」


 マリーさんはどことなく申し訳なさそうな顔をしながら、手を顔にペタと当てた。


「で、早速だがマリー。店行っていいか?」


 その言葉にマリーさんがピクリと反応して真顔になる。


「つ、ついに一緒にお店する気になってくれたのねえ! グ……グ……グレンちゃあああああああああああああああん!」

「うおおおおおおおおおおおおお! 重てえっ! バタつくな!」


 再び飛び掛かったマリーさんをグレンが腰を落とし受け止める。


「はあ……はあ……はあ……」

「あらあら大丈夫?」


 再びグレンの汗を拭うマリーさん。

 ぜえぜえと息を切らすグレンが呼吸を整えながら。


「うるせえっ! 欲しいもんがあるから買いに行くだけだ!」

「あらあ、そうだったのぉ。いいわよ、みんなでいらっしゃいな。お店やる気になったらいつでも言ってね! マリーの隣はいつでも開けてあるから!」


 そう言って再び投げキッスを飛ばすマリーさん。

 それをさっとかわしたグレンが。


「いいから行くぜ」


 言いながらせっかちに歩き出す。


「まあまあそんなに私のお店に来たいなんてかわいいんだから!」


 そう言いながらマリーさんは「待ってーん」とグレンの後を追いかけていく。

 俺とルィンは顔を見合わせると、にやにやしながら二人の後をついて行った。



 ――マリーさんの道具屋にて。

 店は西通りの中ほどよりも、やや西門寄りの場所にこじんまりと構えていた。

 からんと鈴がなり、ドアが開く。

 外観の印象とは裏腹に店内はずいぶんと広かった。

 所狭しといろいろな商品が飾られている。

 こういう店って見ているだけでちょっとワクワクしてくるんだよな。


「ウンディーネの雫をくれ」


 入店するや否や、グレンがカウンターに立つマリーさんに告げる。


「うん? おいグレン、お前もう買うもん決めたのかよ。せっかちな奴だな。なあ、もうちょっと見ようぜ。まだ来たばかりじゃん。ああだこうだ言って楽しむ、この時間が楽しいんじゃないか」


 俺が言うとルィンが顔を明るくさせ。


「だよな!? 俺もそう思うんだけど、グレンはいつもこうなんだ。買うもの買ってさっさと帰るタイプ。男にありがちらしいぜ、そういうの」

「マジで? 絶対、女の買い物とか付き合えないじゃん。すーぐイライラしだして『まだか? まだか?』って五分ごとに連呼してくんだろ? めんどくせえ……」

「そもそも買い物を楽しむって発想がないんだよな。店まで送り届けて、相方の買い物が終わるまで、その辺のベンチで寝っ転がってるようなタイプ。人生つまんなそー」

「あー! いるいる! めちゃくちゃいるわ、そういう奴!」

「うるせえぞ、おめえら! 聞こえてんだよ、さっきから!」

「「おーコワ」」


 買い物男談義をしている俺たちに、グレンが怒鳴りつけてきた。

 やれやれ、気の短いやつだ。


「あらあら、ケンカしちゃダ・メ!」


 おっとりとした笑顔のマリーさんが人差し指でちょんとグレンのおでこをつつく。


「う……。なあ、早く商品をくれないか?」

「あらん、せっかちなんだから。ええと、ウンディーネの雫ね。ウンディーネの雫は奥の棚……ああ、あったわ!」


 マリーさんは商品棚から、おしゃれな装飾の施された小さなビンを取り出し、グレンに手渡した。

 中にはやや青みがかった透明の液体が入っているようだ。

 グレンは液体の入った容器を光に透かしながら覗き込む。


「ム……。この感じだと、かなり純度が高いんじゃないか?」

「まあ! お目が高いわあ! さっすがグレンちゃん! たしかにほとんど薄められてないわ。しかも在庫はその一品限り! ウンディーネの雫は、めったに入荷できないのよねえ」


 おしゃれな容器を見つめたグレンがニッと笑みを浮かべ、カウンターの上にコトリと戻した。


「よし、これをもらおう」


 グレンはさして悩むことなく即決した。判断の早いやつだ。


「少々値が張るけど、大丈夫かしら?」

「構わんよ。昨日、臨時収入があったばかりだからな」

「なんだよ臨時収入って?」


 俺が尋ねると。


「ほら。昨日、教会に腕を怪我したおっさんが来ただろ?」

「ああ、犬のおっさんか」

「あいつが立ち去るときに結構な金を置いてったんだ」

「あら~、それはよかったわねえ。きっとグレンちゃんの日ごろの行いがいいから神様が祝福してくれたのね!」


 うんうんとうなずくマリーさんの顔が、感心したように、ぱあっと明るくなる。


「ま、まあそうかもな……」


 マリーさんと、たわいもない雑談を交わしながら、グレンが料金の精算を終える。


「ありがとう! 二人の将来のお金が増えていくわあ! マリーの隣はいつでも開いてるからね! グレンちゃんのタイミングでいいから!」


 マリーさんが鼻息荒く目からきらきらと星を飛ばす。


「う……」


 その様子を見て固まるグレン。

 二人の間に流れる沈黙。

 カウンターの奥から熱っぽい視線を向けたマリーさんが。


「グレンちゅわああああああああああああん!」


 唐突に乗り出して抱き着こうとする。

 それを電光石火の動きで回避したグレンが手早くアイテムを仕舞うと、出口へ走りながら。


「よおおおおおおおし! 世話んなったマリー! ありがとな! また来るぜ!」


 言いながらグレンが店の外へ走っていった。


「ええ!? もう帰るのかよ。今来たばっかじゃねえか」

「グレンはいつもこうなんだよ。だからじっくり見たいときは、こいつときたら駄目だぜ」

「あらあらせっかちさんねえ。渡したいものがあったのに。じゃあ代わりにルィンちゃんに渡しておくわね」


 そう言ってマリーさんはカウンターの奥から皿を取り出す。


「クッキー焼いたのよ。教会の子たち好きでしょう? 渡してあげて」

「ありがとうございます! あいつらきっと喜びますよ」


 ルィンが満面の笑顔で皿を受け取る。


「んじゃ、グレンも行っちまったし俺たちも行こうか」


 ルィンに言われて店を後にすることにする。

 

「うふふ。いつでも来てね」


 マリーさんに別れを告げると俺とルィンも店を後にした。

 背後から届く柔らかい声が俺たちを見送った。

 店を出て少し歩くとグレンを見つけた。

 合流し、並んで町を歩く。


「でもなんだってそんなもん買ったんだ?」


 俺はグレンに聞いた。

 そもそもこいつ、魔法使えるのにアイテムとか使う意味あるのか?

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