第17話 王国の影


 ホブゴブリンの巨大な腕が屋根からはがれるように宙へ弾き飛ぶ。


「ぐがああああああああっ! お、俺様の手がああああああああ!」


 巨大な手のひらに大穴が空き、穴から向こうの空が見える

 苦悶の表情を浮かべた巨体が、空中に浮かぶ俺を、その穴から怨嗟の瞳でにらみつける。


「貴ッ様あああああ!」


 家よりも巨大な怪物が、怒り任せに極大の拳を放つ。空気を破裂させるほどのその一撃は、身動きの取れない俺を完全にとらえていた。こんなの食らったら町の外まで吹っ飛ばされそうだ。受け止めるか? ……無理だな。この状態じゃまるで踏ん張りが効かない。

 ジャンプ中の俺の体はピークをわずかに過ぎ、ようやく下降に転じたばかり。地面がえらく遠い。俺は迫り来る拳を無防備に見つめることしかできなかった。まあしかたない。この体勢じゃ、できることなんて何もないし。俺の仕事はこれで終わり。でも子供たちは守れたし、だったら別にもういいかぁ、とも思った。悪くない最後だと思った。

 ふいに教会の窓から中が見えた。教会の奥では男の子二人がしゃがみ込んで涙を流していた。女の子が二人を心配そうに見つめながら、肩を抱いて慰めている。

 てか、泣いてんのお前らかよ!

 ……まったく。男ならもう少ししゃんとしろよ。お前らのヘタレ具合に、逆に勇気わいてきたわ。……こっちのデカブツは俺がやんねえとな。

 ホブゴブリンの拳はすでに目前に迫っていた。

 このままじゃまともに喰らうな。

 どう見ても、かわせない。かわせないけど。……かわす必要あるのか?


 拳が俺に直撃する。その瞬間、俺は巨大な拳にへばりつくようにしてしがみついた。

 そしてそのまま拳をよじ登り、巨大な腕の上を走る。

 手を抜け、手首を超え、前腕を駆け抜け、肘・上腕で加速をし、そして盛り上がった肩の傾斜を思い切り踏み込んで肩上部まで躍り出た。

 すぐ目の前にホブゴブリンのでっけえ顔が現れる。

 巨大な二つの目玉がギロリと俺に向けられたところで、俺は飛び上がった。


「飛んでいきなッ! ゴブリンパーーーーーンチ!」


 ホブゴブリンのアゴを突き上げるように俺のパンチがめり込む。


「ぐぼおおおおおおおあああああああああああああッッッッッ!?」


 ぶわっと浮かび上がったホブゴブリンが、絶叫を上げながら町の上空を飛んでいく。すさまじい重量感。通り過ぎた場所に順々に影を作りながら、巨体が町から遠ざかって行く。その叫び声は次第に小さくなっていき、そしてその姿もやがて見えなくなった。

 今日一番の特大花火が町の上空に打ち上がった。

 空中でその様子を見届けた俺は、無事広場に着地した。

 あの巨体が消えたことで広場はさっきまでよりもずいぶんとスッキリしている。

 手下のゴブリンたちはなにが起きたのか理解できていないのか、しばらく言葉を失っていた。


「ボ、ボスがあああああ!」

「ウソ!? ナ、ナンデ!?」

「あ、悪夢だ……。こんなバカげたことありえないよ……」

「でもゴブリンパンチだとあの人間がゴブリンみたいな……」


 鋭い指摘をしてくる一匹のゴブリン。


「うるせえっ!」

「ヒッ!」


 俺は正論ゴブリンをただ怒鳴りつけた。

 ビクッと正論ゴブリンが肩をすくめる。


「ひ、退けーーーーーー! 退くんだーーーーーーー!」


 一匹のゴブリンが喉が枯れんばかりの絶叫で撤退の号令をかける。それを皮切りに、完全にパニックに陥ったゴブリンたちが我先にと広場から撤退していく。

 ものの数分で、さっきまでの喧騒が嘘のように消え去り、広場は沈黙に包まれた。

 そんな沈黙を、信じられないものでも見たかのような顔でグレンが破る。


「ラグノっ! お、おめえ、あのでけえゴブリンを……」

「な、なんか殴って吹っ飛ばしたみたいに見えたが……」

「「な、なにをしたんだ!?」」


 グレンとルィンが俺の肩につかみかかり二人して同じ質問をしてくる。


「あれはゴブリンパンチだ」


 俺は適当につけた名前を決め顔で二人に披露した。


「知らねえよ!? なんだよそりゃあ!?」

「いや、ゴブリンパンチはただのパンチだ。だけどたぶんゴブリンに効果抜群だと思う。知らんけど」


 俺は適当な追加効果を上乗せしてグレンに伝える。


「そ、そんなわけないだろ!? ただのパンチがあんな強いわけは!」


 すかさずルィンが突っ込んできた。

 どうやら二人は俺の話を信じてないみたいだ。そうはいっても事実だからな。

 俺が放ったのは本当にただのパンチだ。というよりただのパンチ以外のパンチを俺は打てない。そんな格闘技の教養は俺にはないし。

 どうしよう。なんて説明したらいいんだ?

 俺が悩んでいると二人がスっと肩から手を離し、急に冷静な素振りで。


「……ふ。まあいいさ。言いたくねえなら無理には聞かねえ」

「あ、ああ。そうだな。人には秘密の百や二百くらいあるもんな」


 それはさすがに多くない?

 なんかよくわからないけど二人は勝手に納得してるようだ。……ま、いいか! 説明するのもめんどくさいし。


 そうこうしていると、背後で教会の扉が勢いよく開き、中から賑やかな声が聞こえる。

 飛び出してきた子供たちが安堵したようにルィンとグレンに抱き着いた。

 全員無事のようだな。……よかった。


 しかし――。

 町を混乱に陥れたゴブリンの襲来。

 なぜこの時期に? なぜこの町を? 目的は?

 すべては謎に包まれたままだった。


 ゴブリンの襲撃から一夜明けた。

 町は復興へ向けた建設ラッシュの真っただ中。

 町のそこかしこに壊れた建物の残骸が散らばっている。

 そこら中から、カンカンとトンカチを打ち付ける音が鳴り響く。何重にも重なり、なかなかのボリューム。この音を聞いていると、なんとなく町が再生へ向かうイメージが頭の中に浮かび上がる。そのおかげで町の沈んだ空気が幾分か和らいで感じられる。

 そんな町の様子をながめながら、俺はある場所へ向かって城下町の大通りを歩いていた。


「それにしても、ひでえありさまだなあ。昨日はお祭りであんなに賑わってたってのに。まあ今もトンカチの音で賑やかではあるけど」


 俺は変わり果てた町を見渡しながら言った。


「あれだけの大群に責められたんだ。むしろこの程度で済んで運が良かったと思うぞ。案外無事な建物も多いしさ」


 隣を歩くルィンは意外にも平静だった。

 町が壊されたんで落ち込んでるかと思ったが、どうやらすでに立ち直っているようだ。


「この辺にはあまり魔物がいないものだとばかり思ってたけど、そうでもないんだな」

「いや、昨日のあれは異例のことさ。本来は安全な土地なんだぜ」

「ふうん? だとするとなんだったんだろうな、あのゴブリンたち」


 俺は当然の疑問を口にした。

 ルィンは安全だというが俺はちょっと懐疑的だった。

 なんせ、ゴブリンたちに襲われた前日にはオーガにも襲われてるし。

 この土地に入ってから二日連続だ。安全な土地ならそんなことにはならないと思うが……。

 ま、偶然かもしれないけどさ。だとしてもちょっと嫌な感じだよなあ。


「なにか良からぬことの前触れじゃなければいいが……」


 口元に手を当てたルィンが、うつむきがちに考え込む。


「……人為的なものかもしれんな」


 黙って俺たちの話を聞いていたグレンが気になる言葉を漏らす。人為的。その単語が耳に入った瞬間、昨日のあれがなおさら物騒なことのように感じられた。

 何か思い当たることでもあるのか、グレンは神妙な顔つきだ。


「人為的? 誰かがあのゴブリンたちを、けしかけたってことか?」


 俺はグレンへ横目を向けながら問う。


「真実はわからんさ。だが、この国に対してよからぬことを考える者がいるかもってことだ。わざわざ精霊祭の日を狙って来るあたり相当悪質だぜ」


 ルィンの静かな瞳がグレンへ向けられ。


「しかしグレン。イシュメリアは隣国とはうまくいってるじゃないか。少なくとも表面上はそうだろう?」

「んじゃさ、もっと遠い国の誰かの仕業じゃないのか? この国を乗っ取ろうって狙ってるヒデェ奴がいるとか。わかんないけど」


 俺のなんとなくの思いつきの発想を聞いて、グレンはどこか暗い顔を浮かべる。


「だったらいいが違うかもしれん」

「何が言いたいんだよ?」


 グレンを見つめるルィンの視線がどことなく鋭くなった気がした。

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