第16話 天空を覆う


 空高く浮かび上がった規格外の巨体が、頭上から落ちてくる。

 巨体は一瞬のうちに目の前に迫り、俺の視界を覆いつくした。空が完全に消える。

 俺の何百倍もの体重を持つであろう肉体から発せられる、あり得ないほどの重量感。直撃すればただでは済まないことが容易にわかる。

 逃げなきゃ。早く。そんなことはわかってる。なのに――。

 恐怖で足が動かなかった。


「や、め――」


 俺は黒い空を見上げながら、かすれた声を出すだけで精いっぱいだった。

 当然そんなことをしてもボスの体は止まってくれない。まるで容赦などない。ボスにとって、俺という存在など一匹のアリに過ぎないのだ。

 そしてなんらの容赦もなく、その巨体は俺に激突した。


「デプ~~~ン! ウッヒーーーーー! ごめんね~~~。お尻でつぶしちゃってごめんね~~~。潰れたトマトにしちゃってごめんね~~~。お掃除はみんなでしてね~~~。ヒャハハハハハハッ!」


 見えない。

 なにも見えない。

 なにがどうなってるんだ。

 それにしても暗い……。なんて暗いんだ。


「さあ~て! トマトはあと二粒だよお~~~! すぐにグチャッ! てしちゃおうねえ~~~! はっはあ!」


 すぐ近くから聞こえるボスの笑い声。

 すごく愉快そうな声。

 声――。声、か。

 そうだ、声が聞こえる。

 じゃあ俺は生きてるんだな。きっと。

 不思議だ。

 あんな怪物につぶされたはずなのに。体はどこも痛くない。

 あまりにひどいケガをしたせいで痛みを感じないってわけでもないらしい。

 俺の体はたぶんいたって健康だ。

 それになんでだろう。あんな巨体につぶされてるのにあんまり重いと感じない。

 ――俺は両腕を伸ばた。


「う~ん? なんかお尻がムズムズするぞ~~~?」


 俺を押しつぶす生ぬるいブヨブヨを押し返す。

 不思議と重くはなかった。

 ブヨブヨは簡単に持ち上がり、隙間から光が差し込む。闇が消えていく。


「ど、どうなってるんだ~~~い? な、なんか体が浮いてるような気がするよ~~~」


 回復する視界。広場を見渡す。ゴブリンが密集している場所、発見。

 腕に力を込め、持ち上げたボスを密集地帯へ投げ飛ばす。

 ぶおっという風を切る音とともに、空を隠すほどの巨体が飛び上がる。


「と、飛んでるぅ~~~? みんな~~~! なんかボス飛んでるよ~~~!」


 ちょっぴり楽しそうに空中散歩を満喫するボス。


「うわああああああ!」

「ボ、ボスゥゥゥ!?」

「に、逃げろおおおおおお!」


 迫り来る巨体を見上げたゴブリンたちが影の下で慌てふためく。

 直後、ボスの巨体はゴブリンの一塊に激突し。


「ホゴオオオオォッ!?」

「グゲエエエエッ!」

「ゲガヒャッ!」


 巨大な尻の下で、ゴブリンたちが断末魔の声を上げる。

 着地した巨体は、ゴブリンの一塊を殲滅すると同時に広場全体を大きく揺らした。


「いてて……。な、なにが起こったんだ~~~い? ……あれれえ~? なんかお尻の下があったかいぞお~~~!」


 ボスは立ち上がるとお尻の下に敷いていた者たちを見た。


「……………………。うわああああああああ! み、みんなあ~~~! ペ、ペシャンコにつぶれてるううううううう! な、なんでこんなっ!? ム、ムゴすぎるうううううううう!」


 自らのお尻によってつぶれたゴブリンたちを見て、両手で頭を押さえながら苦悶の表情で叫ぶボス。


「ゆ、許さん! だ、誰がこんなことを~~~! 誰がああああ~~~!」


 怒声を上げながら血走った眼を四方へ向け、犯人を捜すボス。その目が俺へ向けられる。

 俺の姿を捉えた瞬間、ボスはこめかみに浮かばせた血管をピクピクと動かした。

 完璧に頭に来てるらしい。


「あ、あの小僧かあああ! あの小僧のせいでみんながあああああああ! ゆ、許さん! 許さんぞ! みんなをこんな目にあわせた罪! そのちっぽけな命で償えええええええええええッ!」

「つぶしたのはお前だぞ」


 投げたのは俺だけど。


「黙れええええええええ! 人のせいにするんじゃないよおおおおおお! 僕のファミリーをプレスする権利は誰にもなああああい!」

「でもつぶしたのお前だぜ」


 俺が再度指摘するとボスはさらに顔を紅潮させ激怒する。


「黙れええええ! そもそもお前は何で生きてるんだあああああ!? 舗装の隙間にでも入って助かりやがったのかああああ!? そうだろおおおおお!」

「いや、つぶされたぞ」

「嘘をつけええええええ! 俺につぶされて生きてられる人間などいやしなーーーーーーい!」

「本当につぶ――」

「しゃべるなああああああああああ!」


 まるで会話にならない。

 完璧にトサカにきてやがるな。

 ホブゴブリンがドスンドスンと地面を激しく踏みつけながら突っ込んでくる。


「う、うわああ!?」


 その巨体に似合わず信じられない脚力。

 家よりもでかい巨体が高速で俺へと迫り来る。

 一歩進むたびに重量で床の舗装が砕け散る。


「くらええええええええいッ! ボスタックルーーーーーーーーー!」


 で、でけえ! 速え! 怖え!

 俺はビビりながらも、必死の思いで体の前に両手を構えた。直後、ボスの巨体が激突する。


「――! ふ、ふひひひ! や、やった! 悪魔を倒してやったぞおおおおおおおお! あはっは! ちっちゃいねえ! ちっちゃいねええ~~~! こんな簡単に潰れちゃうなんてさあ! みんな~~~! ボスがやったよ~~~!」

「「「うおおおおおおーーーーー! ボスううううううーーーーーーー!」」」


 ボスの愉快そうな笑いが広場に響き、周囲のゴブリンたちが熱狂の歓声を起こす。


「正義はいつも勝つんだよ~~~! さあ、どんどん町を破壊しちゃおうね~~~! はっははぁ! ……は? な、なんだあ? おかしいぞぉ? お腹がムズムズするぞお~~~?」


 自身の腹へ視線を落としたボスが、腹を受け止めている俺の姿に気づく。


「な、なんだ貴様ぁ!? な、なぜ潰れていない!? なにをしやがったぁ!」

「ただ止めただけだ」


 そう。本当にただ止めただけ。

 相手はこんな巨大だって言うのに俺はその相手の攻撃を簡単に受け止められた。

 自分でも信じられない。本当にどうなっちまったっていうんだ、俺は。

 俺がボスの腹をグッと押し返すと、ボスは「うおおっ!?」と叫びながら後ろへよろめいた。そしてバランスを崩して派手に尻もちをつき、床を激しく振動させる。


「おっとっと……。お、お前、今なにをした!? ……ん? なんかまたお尻があったかいぞお……?」


 ボスが立ち上がると尻もちの下から数体の押し潰されたゴブリンが。


「また潰れてるじゃねーーーかああああああーーーーーーーッ!」


 広場に響く馬鹿でかい絶叫。

 潰れたゴブリンたちを見て、わなわなと震えるボスの顔が、みるみるうちに赤く染まる。


「ゆ、許さん! 何度も何度も何度も何度もっ! お、俺の大事なファミリーをッッッ! み、みんなああ……! き、貴様にこの悲しみがわかるかッ! 俺のこの悲しみがああああッ! き、貴様だけは、貴様だけは絶対に許さんぞーーーーーーッ!」


 鬼の形相を宿したボスが、俺へ向かって一直線に突進しだす。

 しかし、わずか数歩でその動きがピタリと止まる。


「おやおやぁ~~~?」


 突然顔を崩し、ニタニタと不気味に笑い出したボスが、教会上部の窓へ顔を近づける。


「こっ、こんなところにプチトマト発ッ見ぇぇぇん!」


 まずい! 中にいる子供たちに気づきやがった――!


「僕のファミリーをつぶしたんだからさあ~~~。あれもつぶしていいよねえ~~~? ファミリーを失う気持ち、君にも教えてあげるよおおおーーーーー!」


 叫びながらボスが腕を振り上げた。


「よ、よせ!」

「あっはは! 泣いてるよおおーーーー! ウケるう~~~! じゃあね! みんなまとめてつぶしてあげるねぇ~~~! 恨むならこの悪魔を恨むんだよお~~~! アーメン!」


 俺の制止を一切聞かず、ボスは巨大な平手を教会の屋根へ振り下ろした。

 ま、まずい!

 ――間に合ってくれッ!

 何も考えず思い切り地面を蹴った。

 巨大な平手はすでに屋根の直上に迫っている。平手と屋根の間のわずかな隙間が少しずつ少しずつ狭まっていく。

 な、なんだ?

 時間が妙にゆっくり流れていく気がする。

 音が消えていく。静かだ。

 景色がゆっくり流れる。

 ホブゴブリンの腕は、まだ、屋根の直前にある。

 もう触れそうだ。

 だが、まだ触れてない。

 巨大な手のひらが俺の目の前に近づいてくる。

 まだ屋根は壊されていない。

 その巨大な手が叩きつけられるよりも前。

 俺の体が屋根と腕の間に割り込んだ。

 そのまま巨大な手の平をアッパーで突き上げる。

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