第11話 左犬


 相当頭に来たのか、グレンに詰め寄り、えらい剣幕でまくし立てるおっさん。

 一触即発の緊張感が教会内にピーンと張り詰める。

 それでもグレンは治す気がさらさらないのか、おっさんの態度など意に介さず、知らんぷりを決め込む。

 両者の間の空気は刻一刻と悪化していき、この教会という空間に気まずさだけがじくじくと募っていく。

 見かねたルィンがおっさんの肩にそっと手を置き。


「おいおい、おっさん。そりゃ言いすぎだぞ。回復魔法ってのは、使うとすごい疲れるんだ。そんな軽々しく催促しちゃあいけないぜ?」


 諭すような声でおっさんをたしなめる。お前もさっき同じこと言ってたがな。


「ちっ! ケチくせえ。どうせ治すだけの腕がねえんだろう? だから疲れたフリして追い返そうって魂胆なんだろ!? ネタはわかってんだ! ええ!? 図星だろうヘボ神父!」


 おっさんは怒り心頭で毒を吐き捨てた。

 めちゃくちゃ態度悪いぞ。このおっさん。


「……そうか。じゃあ、ちょっと見せてみろよ」


 人差し指をクイクイッと曲げて腕を出せと合図するグレン。

 これだけ暴言を吐かれているというのに神父は予想外に冷静だ。


「へへっ。そうこなくっちゃ!」


 調子よくニヤニヤと口元を緩めたおっさんが、待ってましたと言わんばかりに服をまくり、ケガをした左腕――と言っても至って軽傷――をグレンへ差し出す。


「よおーし。すぐに治してやるからなぁ。絶対に動くなよ? 絶対だぞ?」


 心なしか、やや邪悪な笑みを浮かべたグレンが、ガシッと力強くおっさんの腕を握り、固定する。そしてもう片方の手をおっさんの傷へかざした。ルィンの時と同様にかざした手が白く光り輝く。……なんだかさっきよりも輝きが強い気がする。


「ん? なんだ? ――う!? うげえっーーーーー!? ま、待て! なんかやばい! おい、神父! 今すぐヤメロォ! 腕がなんかやべえ!」


 歪む顔で絶叫しながらただ事ではない様子で取り乱すおっさん。

 すると俺の目の前で、おっさんの二の腕が真ん中あたりから溶けた飴みたいに、ぐにゃんと曲がっていく。


「ぎゃーーーー! 腕がイケナイ方向にいいいーーーーーーー!」


 教会に讃美歌のように響くおっさんの絶叫。

 おっさんの腕は人としてあってはならないことになっていた。

 いまや指先から肩先までが、ぐにゃんぐにゃんに曲がり、腕はまるで飴細工のようにぐるぐると曲がり続ける。それは次第に何かの形を模していき……。


「うわあ!? な、なんだこ……え? これが腕? ち、違う! これは……い、犬だ!」


 俺は目の前のソレに戦慄した。

 そこに腕は、もう、無い。

 先ほどまで腕であったものが存在するだけ。

 黙り込んだ俺は微動だにできず、戦慄の眼差しでそれを見つめることしかできない。いや、視線を奪われ続けていると言った方が正しいか。

 それは隣にいるルィンも同様だった。赤髪の少年は口を半開きにしたまま、完全にドン引きしていた。

 かくして、おっさんの腕は完全に人権を失った。

 静まり返る教会の中で、グレンだけが「クククク……」と悪い顔で愉快そうに笑っている。


「さーあ! ご要望通り傷は治してやったぞ」


 ひ、酷いことを。と思ったが、よく見ると、たしかに傷自体はきれいさっぱり消えている。しかし腕は犬になっていた。


「うわああああーーーーーーー! こ、これ犬じゃねえかーーーーー! なんてことしてくれたんだよーーーーーーーー!」


 自身の腕に突如として生まれた左犬を見て、悲痛な面持ちで額からダラダラと脂汗を垂らしおっさんが絶叫する。


「た、頼むぅ、俺が悪かった! この通りだ! だから腕に戻してくれ!」


 さっきまでの威勢はすっかり消え失せ、おっさんは犬を抱えながらペコペコと頭を下げる。


「おいおいグレン。さすがに犬にすることないだろ? せめてライオンとか、かっこいい系にしてやれよ」


 ルィンはライオン派か。


「ウサギとかのほうが幅広い層にウケそうな気がするけどな。かわいいし」


 俺はウサギを推した。


「ひ、ひどいよおーーーーー! あ、悪魔だ! お前たち俺の腕を何だと思ってんだよぉーーーーー!」


 おっさんの悲痛な絶叫曲、第二楽章が教会に奏でられる。


「クックック。ちょっとした洒落ってやつだよ。案外似合ってるぜ? そのワンちゃん。……ほら、戻してやるから見せてみな」


 グレンが手をかざすと、おっさんの左犬が左腕へ還元していく。かくして腕は無事人権を取り戻したのだった。


「ほらよ。治ったぜ。いろんな意味でな」

「う、うう……。ありがとうございました……」


 すっかり意気消沈したおっさんは消え入りそうなか細い声でお礼を言うと、人権を取り戻した腕を大事そうにさする。


「おいおっさん。治せるということは壊せるということだぜ。ゆめゆめ忘れんこったな。あと孤児のために"お心ばかり"置いてってもらえると助かるんだがな」


 薄髪のおっさんは、懐からお心ばかり(平たく言えば金)を取り出すと、そそくさと床に置いて。


「ひどいよおおおおおおおお!」


 と泣きわめきながら、一目散に教会から逃げ出した。


「治してやったのにひどいとは、ひどい奴だぜ、マッタク」


 口元に手を当てながら、グレンは再び悪い顔で愉快そうに笑った。


「お前いっつもあんなことしてるのか?」


 俺は悪い顔のグレンに聞いてみた。


「ムカついた時しかやんねえよ。あのアートは魔力消費アホみてえに激しいからな」

「そっか。ムカついたなら仕方ないよな。わかるわ」

「わかるなよっ!」


 教会に響くルィンのキレのあるツッコミ。


「ところでおめえさんは何者なんだ?」

「俺? 俺はラグノだ。旅をしている」

 

 グレンに問われて自己紹介すると、ふと教会の外からにぎやかな声が近づいてきた。


「おーいルィン! 鬼ごっこしようぜ!」


 外から駆けこんできた元気そうな男の子が、ルィンの名を呼びながらこちらへ向かってくる。

 少年に少し遅れて今度は小さな女の子が走りながら入ってきた。女の子は俺たちの近くまでやってくると、ルィンの腕にしがみつき。


「ダメだよ! 今日は魔導書を読んでもらう約束したんだから!」

「魔導書ぉ? そんなつまんなそうなもん、一人で読んでろよなー」

「まだ難しくて読めないところがあるから読んでもらうんだよ!」


 女の子と男の子、二人がルィンの腕を引っ張りあう。


「おいおい、ケンカするなよ。魔導書も読むし、鬼ごっこもするから。まだお昼だし遊ぶ時間は十分あるぞ」


 自身の両サイドで腕を引っ張りあう二人の子供になだめるように声を掛けるルィン。

 そうこうしていると今度はおとなしそうな男の子が歩きながら入ってきて。


「二人ともやめなよ。ルィンが困ってるよ。それよりも大通りに出店がいっぱい出てたよ! みんなで行こうよ!」


 ルィンはいつの間には三人の子供たちに取り囲まれて身動き取れなくなっている。

 子供たちはずいぶんとルィンに懐いているようだ。

 意外だな。こう見えて案外面倒見のいいやつなのかな。


「なあなあルィン、その人誰?」


 元気そうな男の子が俺の顔を指さす。


「あー、このお兄さんはな、俺のおでこに根性焼き食らわせたヤバイ人だよ」

「へへっ! なにそれ、おもしれえ!」

「いや、俺は面白くないけどな……」


 ルィンはじゃれつく子供たちをずいぶんと慣れた手つきで上手にいなす。

 たぶん普段からこんな感じなんだろう。


「俺は面白かったぞ。回復魔法っていう珍しいもんも拝めたしな」

「お前はそうだろうな! 俺は面白くねえけどッ!」


 ルィンがこめかみに血管を浮かべながらツバが飛ぶくらい激しく俺に言い放った。バッチイ。


「なあ、みんなで祭りに行かないか? 鬼ごっこや読書はいつでもできるけど、祭りは今日しかやってないんだろ?」

「えー。俺、鬼ごっこしたいのに……」


 俺が提案すると、元気そうな男の子が不満そうな素振りを見せる。


「よーしテッド。じゃあ祭りで好きな物一つ買ってやるよ。それでどうだ?」


 ルィンの提案にテッドと呼ばれた元気そうな男の子が瞳をキラキラと輝かせ。


「ほんとに!? いいの?」

「ああ。その代わり一個だけだぞ?」

「やったー!」

「えーずるーいテッドだけ!」


 今度はそれを聞いていた女の子が不満そうにする。


「もちろん全員に買ってやるから大丈夫だぞ」


 ルィンのその言葉に、残る二人の子供たちも顔を見合わせ、笑顔になる。

 そんな子供たちに便乗して俺も「やったー!」と無邪気に声を上げた。


「お前には言ってないぞ!」


 俺のおでこをつつきながら、すかさずケチ臭いツッコミを入れてくるルィン。


「なんだよケチ!」

「得体のしれない奴に奢るほど俺はお人よしじゃないんだよ! さ、そんなことはいいからさっさと行こうぜ!」


 言いながら子供たちに囲まれて意気揚々と外へ出ていくルィン。


「ああっ! 待ってー!」


 俺は置いていかれるのが嫌で焦ってその背中を追いかけた。

 教会の表に出た俺たちはさっそく行き先の検討を始めた。


「出店が一番多いのは東大通りだな。その次がたぶん南か。まあその分、人通りも多いはずだぜ。身動きとれねえくらいなら、ほかへ行く手もある」

「とりあえず、まずは東でいいんじゃないか? あまりに混んでたら別の通りに行く感じでさ」


 ルィンが言い終わると同時、近くから突然けたたましい悲鳴が上がる。

 周囲がざわざわと騒々しくなり、祭りの浮かれた雰囲気が一瞬で引いていく。

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