第10話 教会
「で、お前なにしてるんだよ」
少年がおでこを押さえながら俺に尋ねる。
「じゃーん、見ろよこれ!」
俺はお姉さんにもらった船をこれ見よがしに少年へ近づけた。
「入り口でもらってさ。なんか今日は年に一度の祭りだって言うじゃん。記念に浮かべに来たってわけ」
「ほーう? あててて……」
「どうした?」
俺が尋ねると、少年はおでこを押さえながら痛みに歪む顔で。
「お前にヤケドさせられたところが痛むんだよ! というか見て分かれよ!」
「俺は旅人のラグノだ。よろしくな!」
「聞いてない!? なんで聞かないの!? 俺の話を聞いて! ていうか、どうしてこの流れで自己紹介!? お前頭おかしいのか!?」
「にぎやかな奴だな」
「お前がにぎやかにさせてんだよ!? 君さっきから反応おかしいよね!?」
「で、なんて名前だっけ?」
俺が少年に名前を聞くと、少年は呆れたような顔で。
「ルィンだよ。お前なあ、ムカついたからって人に火を押し付けちゃダメだぜ?」
ルィンはため息混じりに、もっともなことを言う。
よく手入れされていそうな、朝焼けのような柔らかみのある赤髪がふわりと風に揺れる。ルィンが着ている赤と黒を基調とした服は品が良く、なんとなく高級そうな雰囲気を醸し出している。もしかしたら、この少年は高貴な存在なのかもしれないな。
俺はすでにだいぶ遠くまで流れている、ルィンの流した船を見ながら。
「にしてもすげえ人だな」
「祭りの日はだいたい毎年こんな感じだ。これだけの人にはなかなかお目にかかれないだろ?」
「こんな沢山の人、生まれて初めて見たよ」
俺はそう言うと近くの船から火をもらい、消えたローソクに再び火を灯した。そして船の上に設置する。
ぽうっと火の灯った船を、川の上に静かに浮かべた。
ルィンの船と同様、俺の浮かべた船も川の中央へ向かってゆっくりと進んでいった。
「……さてと。用は済んだし俺はもう行くぜ。じゃあな旅人」
ルィンが身をひるがえし立ち去ろうとする。
「どこいくんだよ?」
「教会だよ、教会!」
ルィンは背中越しに首だけを向けて、ちょっと怒り気味に答えた。
「教会? なんでまた。お祈りでもするのか?」
「お前のせいだろ!?」
取り乱したルィンがガバリとこちらに向き直って声を高ぶらせる。
「はあ? どういう意味だよ?」
「だ・か・ら! 傷を治してもらいに行くの!」
「傷ぅ? この国の教会は、祈ると怪我が治ったりするのか? 奇跡じゃん」
「はあ……。お前何にも知らないのな。気になるんだったらついて来いよ」
「言っとくけど金はないぞ」
「いらねえよ。そんなもん」
俺はルィンについて町の中央にある教会へやってきた。
ここが傷の治る謎の教会か。
それにしてもなんで教会に行くだけで怪我が治るんだ? 不思議な話だ。
見た感じ別に普通の教会に見えるけど……。
ルィンが教会の扉を開き、奥へ向かって叫ぶ。
「おーい、神父ー。いるかー?」
聖堂の奥へルインの声が響く。
扉をくぐったルィンの後について、俺も教会の中へ足を踏み入れた。
「ああん? なんだルィンかよ。なんかあったのか? てか別に神父じゃねえし」
教会の奥で椅子に座って、子供のものと思われる小さな服を縫っていた男が立ち上がる。
口と態度と目つきの悪いその男は、透き通る水のような美しい青の長髪を揺らしながら、つかつかと俺たちのほうへやってきた。
神父というにはあまりにも粗暴な感じの男だ。まあ顔は悪くないけど。
長身の男は白のローブに身を包んでいる。
ただし腕が露出していて、普通のローブよりも動きやすそうなデザインだった。絵画の偉い魔法使いが着ている窮屈そうな感じのローブとは全く違った。
「おいグレン、ちょっとこれ治してくれよ」
そう言ってルィンは神父におでこを見せた。
「なんだあ? 炎魔法でもぶつけられたか?」
ルィンの赤くなったおでこをまじまじと見つめるグレン。
「ローソクで焼かれたんだよ!」
「はあ? ……ぷっ。……くくくく! なんだよおい、昼間から根性焼き食らうとか何しでかしたんだよ、お前」
「何もしてねえよ! 何もしてねえのにこいつが!」
若干半泣き気味のルィンが力のこもった指先で俺を指した。
「え、俺ぇ?」
「いや、君だよね!? なんでポカーンとしてるの!? 部外者の反応だよそれ! おかしいよね!? 君は当事者だよ!?」
「ははは。いやー、あの時はうざくてイラっときたからさ」
俺は後頭部を掻きながらさわやかに笑って答えた。
「イラっと来ても人のおでこを焼くなよ!」
お怒り気味のルィンがごく当然の主張を俺にぶつけてくる。
こいつは割と正論を言うタイプらしい。
「まあまあそう怒るなって! これからは気をつけるからさ」
「なんでそんなに軽いの!? 結構なことしてるよ!? 君の感覚おかしいからね!? ……てことなんだ。頼むぜ神父」
ルィンのおでこをつまらなそうに見つめた神父が。
「ツバでもつけとけ。そのうち治るから」
グレンはそっけなく答えた。
「ちょ、ひどくね!? ヒリヒリして痛えんだよ。頼むよ」
「大げさな……。その程度のことでワアワア喚くんじゃねえよ。子供じゃあるめーし。そんな程度でいちいち魔法に頼ってたら人生なんてやってけねえぞ」
たしかにそれもそうだ。本来多少のケガなんて自分の自然治癒力で治すもんだ。
この青髪の神父、結構正論を言うタイプらしいな。
「なんだよ。ケチケチすんなよ。減るもんじゃないんだから。ほらさっさと治してくれよ」
「減るよ! 減るんだよ魔力が! それも盛大にな! 回復魔法は魔力の消耗が馬鹿みてえに激しいんだよ! お前も知ってるだろ?」
「うわああああん! ケチ神父がケチな魔法をケチるよおーーーーー!」
「うるせえ! ケチケチ言うな! 失礼だぞ! あとケチな魔法じゃなくて、もんのすげー使える魔法だかんな!」
「もういいよ! 道具屋のお姉さんに言いつけてやる!」
ルィンのその言葉を聞いた途端、グレンの表情がサーッと曇る。
「おいよせ! あいつには言うな! あいつだけはヤメロォッ!」
教会を出ていく素振りを見せるルィンの肩へ、取り乱したグレンがガッとつかみかかる。
すると何事もなかったかのようにケロッとした顔でグレンへ振り返ったルィンが。
「じゃあ、早よ」
「……ちっ。見せてみろ」
めんどくせえなという声が聞こえてきそうな顔のグレンが、しぶしぶルインのおでこを診る。
火傷部分に顔を近づけながら。
「べつに大した傷じゃねえよ」
「……道具屋」
ルィンがぼそりとつぶやくと、グレンが顔を歪め。
「――ぐ! わかったよ! ほら、自分で前髪かき上げろ」
笑顔のルィンがさっと手際よく前髪をかき上げ、おでこを露出させる。グレンがルィンのおでこのやけどに手をかざす。すると、かざされた手のひら全体がボウッと白い光に包まれていく。たったそれだけのことをしただけだというのに、ルィンのおでこのやけどがみるみるうちに消えていく。
「ふう……。ほら。これでいいだろ」
「おおー!」
おでこをさすりながら感激したように顔を明るくするルィン。
「さっすが神父様! 回復の効きが桁外れだな! もう全く痛くないし!」
「まったく。調子のいいヤツだぜ……」
す、すっげぇ。
これが魔法ってやつか。あのやけどが一瞬で……。
ルィンの傷が治ったのもつかの間。
バタン、と。
教会の扉が騒々しく開かれた。
「ううぅ……。痛てえ……。痛てえよお!」
ちょい髪の毛薄めのおっさんが、左腕を押さえながら教会に走り込んできた。
おっさんは苦痛に耐える顔を浮かべながらグレンのところまで小走りでやってくると、これ見よがしに腕を見せつける。
「おい神父さんよお。腕ぇ怪我しちまったんだ。ほら、こいつだよ! 酷っでえだろう? すぐに治してくれねえか?」
「はあ……。……見せてみろ」
やれやれ、といった様子でため息を漏らすグレン。
おっさんが左腕の服をまくり、傷をグレンに見せる。
「なんだあ? こりゃただの擦り傷じゃねえか。こんなもんツバつけときゃ治る」
ルィンに言ったのと同じセリフをグレンが再び口にした。
こいつはこれが口癖なんだろうか。
するとおっさんはすぐにグレンに詰め寄り。
「おいおいおい! そりゃあないぜ! そんなこと言わねえで治してくれよ! ほら見てくれよ、こんなに広く擦れちまってる。痛てえんだよ」
後ろ髪を掻きながら、いかにも面倒くさそうな感じでグレンが。
「たしかに少し広いが、表面だけの浅い傷だ。気にするほどのもんじゃねえよ」
グレンの言ったことは事実だった。
そんなに大騒ぎするほどのものじゃないことは、素人目にも明らかだった。
いい年こいてこんなことで騒ぐなんて。大げさなヤツもいたもんだぜ。まったく。
「でも神父さんよお、痛てえんだよ……。冷たいこと言わずに何とかしてくれよ……。な! な! こんなに頼んでんだからよ」
おっさんは沈痛な面持ちで、すがるようにグレンにつかみかかる。
「しつけえ野郎だな。俺は今! 魔法使ったばかりで疲れてんだ。そんなに治してほしいなら、また明日来な」
その言葉を聞いた途端、おっさんがダンッ! と床を踏みしめ。
「てめえ、なんなんだ、その態度は! 人が下手に出てやってればいい気になりやがって! 魔法なんて減るもんじゃねえんだから、ぐだぐだ言ってねえでさっさと治しやがれ!」
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