第8話 拳


 な、なんてこと考えやがる……!


「よ、よせ――」


 俺の制止もむなしく、オーガは全く止まる気配を見せない。


「や、やめろーーーーーーーー!」

「ヒッハーーーーーーーーーー!」


 オーガは猛烈な勢いで迫り来ると、そのままの勢いで俺の頭に巨大な岩を無慈悲に叩きつけた。


「ヒ、ヒハハハハハハハ! 見たかよクソガキがよおおおおおお!」


 俺の頭に直撃した岩が、砕け、雨のようにぼろぼろと地面へ零れ落ちていく。


「へ、へへへ……。やったぜ! やってやったぜええええええええ!」


 岩の雨が止むと、目の前で歓喜するオーガの姿が俺の目に映る。

 嬉々とした表情のオーガと目が合った。

 その瞬間、オーガの顔から笑顔が消える。そしてその顔は今度はみるみるうちに青ざめていく。


「な、なん……。どうなっ……」


 俺の頭にぶつかった岩は粉々になり、俺の足元を埋め尽くしている。

 岩のかけらを見ていた俺は、はっと我に返り、慌てて自分の頭をさする。

 だ、大丈夫だ。どうにもなってない。


「ど、どういうことだ。なんで俺こんな……」

「ひっ!」


 俺が疑問を声にすると、オーガは引きつった顔で短く声を上げ。


「く、来るな! 来るんじゃねえっ!」

「いや、近寄ってないです」

「うるせえええええええええええっ!」

「ひっ!」


 事実を言っただけなのに鬼の形相で怒鳴りつけられた。

 怖え! オーガ怖え!


「い、いいか! 近寄るなよ! 絶対に近寄るんじゃねえぞ!」


 オーガの声は微かに震えていた。

 しかも気が付くと、肩を上下させ、ゼエゼエと息を切らせている。

 オーガの呼吸は明らかに乱れていた。

 大岩を運んで疲れたんだろうか。


「お、おい! あの少年、なんか知らんがオーガを追い詰めてないか?」

「たしかに……。オーガの顔からさっきまでの余裕がなくなっている」

「す、すげえ! よくわからんがとにかくそのままやっつけてくれ!」

「頑張れ少年!」

「「「少ー年! 少ー年! 少ー年!」」」


 いつの間にか湧き起こる村人たちの少年コール。

 俺を応援する声が遠くからいくつも飛んでくる。

 なんかめちゃくちゃ恥ずかしい……。


「ぐうッ! 図に乗るな! 人間風情が!」


 言葉とは裏腹に、オーガは飛び退いて俺から距離を取った。

 そして深呼吸を数回繰り返す。

 するとオーガの乱れていた呼吸が一瞬のうちに整い、同時に冷静さも取り戻した。

 このわずかな間の所作だけで、このオーガがやはりとてつもなく強いことが俺にもわかった。


「くっくっく! よかろう! 特別に俺の最高の攻撃を貴様にお見舞いしてやる! 今度こそ正真正銘、貴様の最後だッ!」


 言い切ると同時。

 その体は一瞬のうちに天高く飛翔した。

 なんて跳躍力だ! あの巨体が一瞬のうちにあんなに高く……!

 天高く浮かび上がったオーガが、空中で拳を大きく振りかぶる。

 そして構えの整った巨体が、今度は高速で落下を始めた。

 俺たちの距離がまたたく間に縮む。

 心の準備すらする間もなく、オーガの体は俺の目前に迫っていた。


「死ねええええええええええええいッ!」


 オーガの拳が俺めがけて振り下ろされる。

 今までのどの攻撃よりも速く、その上、全体重が乗っている。ただでさえ強力な突きがさらに威力を増す。

 ごく一瞬のうちに拳は目前にまで迫っていた。

 オーガの拳がぶつかる寸前、俺は無心で横にステップした。

 信じられないくらい体が軽い。まるで体重がなくなったみたいだ。

 いとも簡単に攻撃の射線上から免れることができた。

 俺という標的を失ったオーガの攻撃が、地面に激突する。

 その瞬間、俺はオーガへ向かってジャンプした。

 迫り来るオーガの巨体。

 俺は飛び上がった勢いを利用して、オーガの顔面目掛けて拳を撃ち込んだ。

 拳がヒットした瞬間、拳全体に手ごたえが伝わる。いわゆる芯でとらえたってやつだろうか。拳の威力がオーガにうまく伝わったのがわかった。

 直後、オーガの全身が激しく回転しながら遥か彼方へ吹っ飛んでいった。


「ぐぼ」


 オーガの巨体がまるで水切りみたいに地面を跳ねながら、派手に回転する。


「ぶげ」


 とぎれとぎれに独特な声を上げながら。


「ぼが」


 すさまじい勢いで彼方へ吹っ飛んでいく。

 その勢いは一向に緩まらない。


「ぐげえええええええええええええええッ!」


 オーガの断末魔。

 オーガの巨体は米粒ほどの大きさになるまで転がり続けて、やっと静止した。

 そして倒れ込んだままピクリとも動かなくなった。


「お、おい……。どうなったんだ?」

「わ、わかんねえ。なんか知らんがオーガの奴、いきなり吹っ飛んでいったぞ」

「なあ、あのオーガ、倒れたままピクリとも動かねえぞ」

「か、勝ったのか?」

「い、いや! まだ安心できねえ! あのデッツすら吹っ飛ばしたオーガだぞ? そうやすやすと倒せるわけがねえ! すぐに起き上がるに決まってる!」


 村人たちがざわざわと騒ぐ。

 どうやらオーガを本当に倒せたのか確信が持てないようだ。

 でもそれは俺自身も同じだった。

 あんなパンチ一発で本当にあの怪物を倒せたんだろうか。

 しかし待てども待てども、ついにオーガが起き上がることはなかった。


「な、なあ、ぜんぜん動かねえぞ。こんだけ経っても動かねえってことは本当に倒したんじゃないか?」

「し、信じられねえが、どうやらそうみたいだな」

「でもあんな華奢な少年がまさかあのオーガを倒してしまうとは……」

「だよな。どうも信じらんねえ話だぜ……」


 村人たちは、ガヤガヤと話し合っている。

 どうやら俺がオーガを倒したのが解せないといった様子だ。

 すると村人の一人がぽつりとこぼした。


「なあ、あのオーガ、もしかしてデッツの攻撃ですでに弱ってたんじゃねえか?」

「な、なるほど! そうか! それなら合点がいく! きっとそうに違いねえ!」

「そうだよ! 怪力デッツにあれだけ滅多打ちにされたんだぜ? いくらオーガといえど、無事で済むわけねえもんな!」

「たしかにデッツのあの丸太の連続攻撃はすごかったもんなあ。きっとあれが相当効いたんだろうな」

「なんだそういうことかよ! はっはっは! でも少年! デッツのおかげで弱っていたとはいえ、おめえさんも大したやつだぜ! あんな怪物と直に渡り合ったんだからよ!」

「運のいい小僧だぜ、まったく! 手柄だけ持っていきやがってよお! でも損したぜ! おめえがいなかったらあんな図体ばかりでかい怪物、俺がのしてやったんだがなあ! 俺の実力を見せる機会がなくて残念だぜ! はっはっは!」

「なあに調子のいいこと言ってんだよ! てめえは隅っこでガタガタ震えてただけじゃねえか」

「でもよ少年! なにはともあれ、おめえさんはこの村の救世主だ! 今夜は盛大に宴といこうぜ」


 オーガが倒されたことを知った村人たちは、陽気な雰囲気で思い思いの言葉を投げかけてくる。

 しかしいまだに信じられないが俺はどうやらオーガに勝ったらしい。あのオーガに……。

 もう一度視界の隅でオーガを見つめる。

 やはりオーガはピクリとも動かない。

 信じがたいことだが俺は本当にオーガを倒したらしい。


「ラグノ」


 背後から男の声。

 振り返るとそこには――。


「おっさん!」


 おっさんことデッツさんが立っていた。


「もう立ち上がっても平気なのか?」

「……なんとかな。お前がオーガと戦っている途中で目覚めたんだ」

「そ、そうだったのか! よかった」

「お前たちの戦いを見ていたが、あのオーガ、明らかに俺と戦っていた時よりも強かった。俺との戦いでは、ほとんど実力を出していなかったんだろうな。完全に舐められていたわけだ。おかげで命拾いしたが」


 おっさんは突然神妙な顔つきになると。


「ラグノ。村を救ってくれてありがとう」

「え、でもあれはおっさんが……」

「ははは。村の者たちはああ言ってるが、あれはどう考えてもお前のおかげだ。俺にはわかっている。……お前がその見た目からは想像もできんほどの強さを秘めていることもな。村人達に変わって礼を言わせてくれ」

「いや、俺は別に何もしてないよ」


 事実、俺は軽くパンチしただけだった。

 そうしたらオーガが勝手に吹っ飛んでいった。

 なんであれでオーガを吹っ飛ばせたのかいまだに理解できない。

 俺が考え込んでいるとデッツさんが「ふっ」と笑いながら、手を差し出してきた。

 差し出された手を握り返す。

 言葉もなく俺たちは固い握手を交わした。

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