第7話 恐怖の双璧
「なんとか言えええええええええ! 泣くなあああああああああっ!」
「うああああああああああああああああんっ!」
オーガが怒鳴りつければつけるほど、俺は泣くのを我慢できなくなった。
オーガに胸倉をつかまれて宙ぶらりんになりながら、ぽたぽたとあごから涙を垂らす。
「ぐ、ぐぐ……。……ク、クク。クククク……。おっと失敬」
怒り狂っていたオーガは冷静さを取り戻すと、突然、俺の体を地面に投げ捨てた。
俺は尻もちを着いた後、勢い余って二回転ほど転がった。
「いやあスマンスマン。俺としたことがついつい取り乱しちまったぜぇ」
薄ら寒い目で見下ろすオーガが、ニタニタと嫌な笑いを浮かべる。
「さすがに少し手加減しすぎたみたいだなあ。お前があまりにも弱っちょろそうなんで加減を間違えたみたいだ。サービス過剰ってやつだ。でもそろそろまじめにやってもいい頃合いだろう。身体も温まってきたしなあ」
オーガが首を左右に伸ばした後、拳をポキポキと鳴らす。
「じゃあ。次はまじめに行くぜ? お前みたいな子虫では跡形も残らんくらいの攻撃をお見舞いしてやる。覚悟はできたか?」
言い終わるとオーガは「すうううう……」と大きく息を吸い込む。
たちまちオーガの全身の筋肉が蠢き出した。それぞれの筋肉がまるで別々の生き物であるかのように波打つ。
肩、二の腕、前腕、胸部、腹部、脚。
そのどれもがはちきれんばかりに脈動し、今にも飛び掛かってきそうなほどだ。
ただでさえでかいオーガの全身がさらに一回り巨大化した。
ただ対峙しているだけだというのに、その体がおぞましい程の強さを持っていることが容易にわかる。あんなので攻撃されたら人間なんてひとたまりもない。
「や、やべでぇ……。やべでぐでえええ……」
「くっくっく。どうやらこの俺の真の強さに気づいてしまったようだな。しかし今頃後悔してももう遅い! 貴様はこの俺の怒りに触れたのだ! 絶対に許さんぞ! 死ねえええええいっ!」
オーガが大きく振りかぶった拳をまるでゴムが縮むかのように勢いよく放った。
攻撃は一度では済まず、片腕が振るわれた次の瞬間にはもう一方の腕が襲い来る。猛烈な連打。攻撃はいつまでも止まず、俺の全身に拳の雨が降り注ぐ。
オーガは一切の慈悲もなく、丸太のように巨大な両の腕を俺の全身へ撃ち込み続けた。
さっきまでとは威力もスピードもまるで違う。
本気を出したオーガの攻撃は想像を絶するほどに強力だった。
拳によって生まれた風が、ものすごい勢いで俺を通り抜け、髪が激しく揺れる。
その風圧の強さが攻撃の威力を物語っていた。
瞬き数回するうちに、鬼の拳は何十発も俺の全身へ撃ち込まれた。
こんな攻撃を一発でも食らったら人間など消し飛んでしまうだろう。
「はあ、はあ、はあ、はあ……! くく、くくく……。見たか! これがこの俺の真の実力だ!」
「うえっ……」
「泣くなああああああああああああッッッッッ!」
「ヒッ!」
ビクリと俺の全身が跳ね上がる。
「なんなんだよおぉぉぉ!? なんで倒れねえんだ、てめえはよおおおおおおおおおおお!?」
オーガが地団太を踏みながら怒り散らす。
その迫力にビビり、また涙がこぼれる。
「うぐっ……」
「だから泣くんじゃねえっつってんだろうがああああああ! あああああああああああああああっ! チクショオオオオオオオオオオー―――ーーーーー! ふざけやがってえええええええええ!」
俺が泣くたびにオーガの怒りのボルテージはうなぎのぼりに上がっていった。
その様子にビビり、俺はさらに涙を流す。
オーガの怒りはさらに増していき、唾を大量に飛ばしながら俺を罵倒してくる。
それでも泣き止まない俺を見てプッツンしたのか、オーガはまるで駄々っ子の子供のように飛び跳ねながら、地面をダンッ! ダンッ!
あ、あれ。
俺、なんで……。
生きてるんだ?
混乱する頭のまま涙をぬぐう。
するとオーガの鬼の形相が俺の両目に鮮明に飛び込んでくる。
醜悪な眼球は赤く血走り、目力だけで相手を殺せるんじゃないかって思えるほどの邪悪さだった。怖え……。
「俺、なんで生きてるんだ……」
「俺に聞くなあああああああああ!」
「ひいいいっ!」
オーガは完全にヒステリーを起こして顔中の血管を浮き立たせる。
「こんだけ攻撃したのに、なんで死なねええええええええッ!」
震え上がるほど恐ろしい形相で俺をにらみつけるオーガ。
ただでさえ怖い顔が浮き上がる血管でさらに怖すぎる。
「ご、ごめんなさいぃぃぃぃ!」
必死に謝罪した。
しかし俺の謝罪も無視して、完全に怒り狂ったオーガが俺の顔面へ殴り掛かった。
「うわああああっ!?」
俺は反射的に目をつむり、それと同時に、片手を顔の前に出した。
直後、前に出した手のひらに、なにかが触れる感触があった。
「な、なんだと!?」
オーガの驚いたような声が俺の耳に届く。
「え……」
オーガの予想外の反応に、今度は俺自身が驚き返した。
恐る恐る目を開ける。
……信じられない光景が俺の目に飛び込んだ。
オーガの拳は俺の前で止まっていたのだ。
いや、違う。
"俺がオーガの拳を止めていた"。
オーガの拳は俺の手のひらで止まっている。俺がとっさに出した手のひらによって……。
う、嘘だろ……。なにが起こってるんだ?
「ぐ、ぐおおおおおおお……」
オーガのうめき声。
それと同時にオーガが拳に力を込めたのがわかった。
俺の手のひらを押す力が、さっきよりもほんの少しだけ増す。それは子供が少し頑張った程度のささやかなものだった。ほんのわずかなパワーアップ。はっきり言ってとても本気を出しているとは思えない。
オーガの拳は俺の手をまるで押し返せなかった。
というより、オーガの力は信じられないくらい弱かった。
まるで子供がじゃれついているかのような……。その程度の力しかない。
どうなってるんだ? ふざけてるのか?
そんなことを考えていたらオーガが突然後ろへ飛び退いて俺から離れた。そして。
「な、何者だ貴様!」
「えっ?」
驚きに戸惑う俺へ、オーガが続ける。
「名を名乗れと言っているのだあああああああっ!」
「ひいっ!? ラ、ラグノです!」
ビクリと震えながら俺は答えた。ていうか大声怖いからいい加減やめて……。
「ラグノ……だと?」
「は、はい」
オーガが腕を組んで沈黙し、なにやら考え出す。
俺は心臓をバクバクさせながらごくりとつばを飲み込んだ。
「ラグノと言ったのか?」
「は、はい」
「そうかラグノというのだな?」
「はい」
オーガは腕を組みながらしばらく逡巡した後。
「誰なんだよオオオオオオオオオオオオッッッッ!」
「ええ……」
質問にはちゃんと答えたのに、なぜかわからないが突然ブチギレられた。
何で聞いたの……。
「うあああああああああああああ!」
オーガは突然叫びながら頭を抱えてうずくまった。
ど、どうしたっていうんだよ。
オーガはうずくまったまま、うめき声を上げ、頭を掻きむしっている。
まるでこっちのことなんかお構いなしだ。
――! 待てよ。これってチャンスなのでは!?
い、今のうちにココットを逃がすんだ!
「ココット!」
俺が振り返ると。
いつの間にかそこに少女はいなかった。
「あれ?」
見ると、ココットは少し離れた小屋の後ろから顔だけを出してまるで見てはいけないものでも見るかのように、こちらを凝視している。
ココットの大きく見開かれた目と俺の目が合った。
ええ……。いつの間に逃げてんの……。さっきまで震えてたじゃん。
そんなことを考えていると、ドシンドシンと振動が響く。
「な、なんだ?」
いつの間にか少し離れた場所にいるオーガが、両腕で巨大な大岩を抱えながらこちらへ向かってくる。
な――。
「ひっひっひ! いいもん見つけたぜえぇ! どうよこれぇ? ご立派なサイズぅ! こいつでよお! おめえのどたまをよお! かち割ってやるぜええええええ!」
大岩を抱えたオーガが地面を踏み揺らしながら俺へ向かって走ってくる。
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