第5話 死の予感


「――っ!?」


 おっさんが短くうめき、体を硬直させる。

 オーガは顔の目前まで迫った丸太を音もなく片手で受け止めて見せたのだ。

 おっさんがオーガにつかまれた丸太をすぐさま引き抜こうとする。しかし先ほど同様、微塵も動かない。


「うおおおおおおおおおっ!」


 おっさんの雄叫び。二人の巨人による力比べ。

 すでに肩で息を切らせているおっさんに対して、オーガはまるで呼吸を乱していない。

 どう見ても一方的な戦いだった。

 いくら頑張ったところでおっさんがオーガにかなうことはないだろう。そう思わせるほどに両者の実力差は絶望的に開いていた。両者の力関係は武術の素人である俺の目にも明らかだった。まるで大人と子供。いや、大人と赤子ほどもその力は離れている。

 しかし結果は意外なものだった。


「飽きた」


 短い一言と共に、ふいにオーガが丸太を離したのだ。

 拍子にバランスを崩したおっさんが後ろへよろめく。


「はあっ……はあっ……はあっ……」


 完全に息が上がったおっさんがオーガの前で立ち尽くす。


「なんだあ? もう終わりか? もう終わりなのかあああああっ!?」


 オーガの野太く巨大な声がビリビリと響きわたる。


「よおーーーし。それじゃあよお……」


 オーガが突然、ドスドスと歩き出す。

 巨大な足が踏み出されるたび、地面が震え、振動が伝わってくる。

 一歩、また一歩。おっさんとの距離が確実に縮まっていく。


「ぬう……」


 おっさんは力なくうめくと身体の前で丸太を構えた。


「なあ? ずいぶんやりたい放題してくれたじゃねえか。どれ、お礼に一発――」


 オーガがそう言った次の瞬間。

 オーガの拳が下からえぐり上げるようにおっさんへ向かって放たれる。

 拳はおっさんが構えた丸太の幹へまっすぐに進んでいく。

 な、なにやってんだあいつ。

 あの太い丸太にあんな威力のパンチを打ったら自分の拳が壊れるだけだぜ。

 それに気づいたのだろう。おっさんが腰を落としてオーガの拳を受け止める体勢に入る。

 直後、拳は丸太のど真ん中に盛大にぶち当たった。

 おっさんはオーガの攻撃を完璧に受け止めたのだ。


「な、なにぃ!?」


 なぜかおっさんが驚愕の顔で取り乱している。

 おっさんの腕の中で、オーガの完璧に受け止めたはずの丸太がミシミシと音を立てる。

 丸太にぶつかったオーガの拳は威力を失わず、丸太の深部へえぐりこまれていく。あり得ない光景。あり得ない怪力。ほどなくして拳は丸太を貫通した。

 丸太を貫通したオーガの拳がおっさんの腹めがけて飛んでいく。

 えぐり込むような拳がおっさんの腹に直撃した。


「ぐおおおおおおおッ!?」


 衝撃でおっさんの体が浮かび上がり、それと同時に両腕から丸太が零れ落ちる。

 冗談みたいな光景。信じられない。あれほどの巨体が目の前を軽々と吹き飛んでいく。

 おっさんの身体はそのまま遥か後方へ吹き飛ばされ、民家に背中から激突する。

 激突音が響き渡り、おっさんはそのまま地面へ倒れ込む。そしてピクリとも動かなくなった。


「おおっとぉ? わりぃわりぃ。ちぃーーーーっとばかし強かったかあ? それでもだいぶ加減してやったつもりだったんだけどなあ。クックックック」


 オーガは再び腕を組むと愉快そうに笑いつづける。


「デ、デッツ!? おいおいおい! 嘘だろ!?」

「な、なんてこった……。あ、あのデッツがたった一撃で……」

「い、いや! 焦るなお前たち! あいつはあのデッツだぜ? これしきの事で倒れるわけねえだろ!」

「そ、そうか! そうだよ! そうだよな! すぐに立ち上がってくれるさ!」

「立てーーーーデッツゥゥゥ!」

「「「デーーーッツ! デーーーッツ! デーーーッツ!」」」


 村人たちから上がるデッツコール。

 しかしおっさんはいつまで経っても一向に動く気配をみせない。

 次第にコールは止み、村人たちが取り乱し始める。


「な、なあ全然動かねえぞ? デ、デッツさんどうしちまったんだ?」

「お、おい……。これってさ、やべえんじゃねえのか?」

「バ、バカな……! デ、デッツがやられたっていうのか!?」

「ま、まさかあのデッツですら敵わんとは……」

「デッツに無理ならもうこの村に勝てるものはおらん! 皆逃げるのだ!」

「うわああああああああああああああっ!」


 さっきまでの歓声は露と消え、途端に悲鳴へと塗り替わっていく。


「さあて。大男はもう駄目だな。他に戦う奴はいないのか? できれば今の奴よりうんと強いと面白いんだがなあ!」


 オーガのその言葉を聞いて、村人たちが蟻の子を散らすように逃げていく。


「ああん? なあんだあ? もうやる奴はいねえってのか?」


 そう言うとオーガは目の前にいる俺とココットに視線を落とした。

 邪悪で冷徹な瞳が俺たちをにらみつける。


「ちっ。こんな弱そうなガキつぶしても大して楽しめそうにねえなあ」


 つまらなそうな顔をしたオーガは不満そうな様子でぶつぶつと文句を垂れだした。


「もうちょっと遊ばせてもらえると思ったんだがな。ま、仕方ねえから次はこいつらで遊んでやるか。でもすぐ壊れそうだよなあ、こんな細っちいやつら。なあお前たち、頼むからちょっとは頑張ってくれよ? 俺の機嫌を損ねないようにな!」


 オーガが俺たちへ迫ってくる。

 その巨大な足が大地を踏みしめるたびに地響きが起こる。

 ま、まずい。このままじゃ二人ともやられちまうぞ……!

 な、なんとかしないと。

 でも俺の力じゃ、あんな化け物にかなうわけない……!

 あの馬鹿でかいおっさんでさえ無理だったんだ。俺なんかじゃ手も足も出ないぞ。

 いや、考えろ! 考えるんだ! きっとなにか助かる手があるはず……!


「さあて、あと十歩ほどで到着だよ~。待ちくたびれたか~い?」


 クソッ! あの悪魔のような巨体が近づいてくるたびに頭の中が真っ白になっちまう……!

 体中が震えてまともに力が入らない。

 こんなんじゃ戦うどころかひとりで逃げることすらできそうにないな……。

 な、なにか! なにかないのか! この最悪の状況を切り抜ける何かが!

 俺はぼやける頭で必死に考えた。

 ……………………無理だ。天地がひっくり返ったって勝てっこねえ。どう考えたって助かる道はない。戦闘能力が違いすぎる。それにこの震える足じゃ逃げることだってできっこない。

 ……お終いだな。助かる道は無い。

 俺は隣に立つ小さな少女を見た。

 ココットは蒼白な顔で震えていた。

 無理もない。怖えよな、そりゃあ。

 ……二人が助かる道はどうやらなさそうだ。

 でもココットだけなら……。

 ココット一人だけなら何とか逃がせるかもしれない。

 俺が時間を稼いで、この子だけでも逃がすんだ。

 ココットが逃げるまでの時間をなんとか……!


「に……」


 声が出ない。

 いつの間にか喉はカラカラに渇き切っていた。

 それでも強引に力を籠めると、喉にズキンと痛みが走る。

 痛みのおかげで、ほんの一瞬だけ恐怖を忘れることができた。ツイてるぜ。


「逃げろココット!」


 俺は血を吐くような思いでなんとか声を絞り出した。

 くそっ! 戦ってもいないのにこのザマかよ!

 しかし少女の返答はない。


「コ、ココット?」


 隣に立つココットに目を向けると、ブルブルと震えている。

 どうやら俺の言葉は耳に届いてないみたいだ。

 ま、まずいぞ。このままじゃ二人まとめてやられる……!

 ……仕方ない。

 俺は数歩踏み出すとココットの前に立った。


「ほう? まずは貴様からか小僧」


 目前まで迫ったオーガが俺を見下ろしている。

 な、なんてでかさだ。

 でかい。でかすぎる!

 目の前まで迫ったオーガは圧倒的な威圧感を放っている。

 尋常ならざる巨大さ。人の敵う相手ではないことが一目で理解できる。


「ん? どうした小僧。震えているのか。くっくっく。まあ仕方あるまい。貴様のような羽虫では俺の前に立つだけで恐怖だろう? しかし逃げずに立ち向かってくるとは感心だな。よおおおおし! じゃあ特別に指一本でやってやろう。どうだ? これで少しはやる気になったか?」


 ふ、ふざけやがって!

 と、言いたいところだが。だ、駄目だ。なんつう体格差……。勝てっこない。時間を稼ぐどころか一瞬で終わっちまうぞ。

 身長に差がありすぎて、痛くなるほど首を後ろに倒さないとオーガの顔は拝めない。

 そのくらいの隔絶的な体格差が俺たちの間にはあった。


「そおら。行くぞ、これが」


 オーガは巨大な指を一本だけ立てると、俺に見せつけ。


「避けないとまずいぞ? くっくっくっく。――食らえ!」

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