第3話 戦鬼
「ど、どうしたんだよ? 俺の顔になんかついてるか?」
俺はちょっと焦りながら少女に指さされた顔をぺたぺたと触る。
「お兄さんだあれ? 旅の人?」
「ああそうだぜ。お嬢さんはこの村の人かい?」
俺は顔をぺたぺたと触りながら答えた。
「そうだよ! ……なにしてるの?」
少女が不思議そうに俺を見上げてくる。
「いや、お嬢さんが顔を指さすから、なんかついてるのかなって」
「別になんにもついてないよ。旅の人が久しぶりだから驚いたの!」
「なんだそういうことかよ。もっと早く言ってくれよな。俺はてっきりさっき摘まんだベリーがシミにでもなったのかと……。ここに来るまでにすげえ沢山なってたから歩きながらずっと食べてたんだ」
「ふふ、なにそれー? お行儀悪ーい!」
少女は口に手を当てながらおかしそうに笑うと、少しすました大人びた感じでささっと身なりを整え。
「私ココット。あなたは?」
「俺はラグノ。旅をしてるんだ。ずっと東の方からやって来たんだぜ」
「東? じゃあ森を抜けてきたの?」
「そうだよ。だからさ、このあたりのことには疎くって。この村でいろいろ話を聞けたらなって思って。ほら、この村って森から一番近くにある村だろう?」
「ふうん。でもここって田舎だから、なんにもないよ。村のみんなはのんびりした人たちばかりだし!」
「かまわないさ。このあたりのことを少しだけ教えてほしいだけだし。あと、できれば今夜泊まれるところがあると嬉しいんだけど。この村に宿屋ってあるかな?」
「宿屋はないねえ。お店もほとんどないし。でもうちで良かったら泊っていく?」
「え? いや、でも見ず知らずの人に頼むのも悪いしな……」
さすがに今出会ったばかりの人に頼めるほどの押しの強さは俺にはない。
「でも外で寝るのは大変でしょ? 夜は寒いし。虫とか来るし」
「まあ……」
たしかにこの辺りって夜は結構冷えるんだよな。
「大丈夫だよ! 家族には私が伝えるから。それに人が多いほうがにぎやかで楽しいもん!」
「そう言ってもらえるのはありがたいけどさ」
言い終えると、突然俺たちの周りが薄暗くなる。
「な、なんだ?」
俺は突然のことに驚き目をキョロキョロとさせる。
「あ、デッツさん! おかえりなさい!」
ココットが俺の後ろに向かって声をかける。
振り返ると目の前に山のように大きな男が立っていた。
で、でっけぇ! 何者だこのおっさん。腕周りなんか俺の何倍もある。ていうか俺の足より太い。まるで巨人だ。
「よおココット。家の手伝いか? えらいな」
「うん! 井戸で水を汲んでたの。そしたらこのお兄さんに会ったの」
「ほう。見ない顔だな少年。この村になにか用かい?」
おっさんはでかい割にはその話しぶりは穏やかだった。
「俺は旅人のラグノといいます。森の東から来ました。このあたりのことを知りたくて、この村に寄ったんです」
俺はおっさんの顔を見上げながら説明した。
「旅人か。いいねえ。若いうちに世界を見て回るってのはいいもんだと思うぜ。俺はずっとこの村にいるからさ。ま、ここはなんもないけど、のどかでいいところだよ。ゆっくりしていきなよ。ちょうどいい。収穫も終わったところだ。こいつを片付けたら話を聞くぜ」
そう言うとおっさんは背後にある大量の農作物が積まれた手押し車を親指でさす。
「まあすぐに戻ってくるから待ってなよ。最高の野菜たちを置いてくるからよ。がっはっは!」
でかいおっさんは手押し車を押しながら、背中越しに豪快な笑い声を上げ、村の奥へ去っていった。
「デッツさんは村一番の力持ちなんだよ! 村の腕相撲大会じゃ毎年チャンピオンになってるんだ」
「いかにもそんな感じの人だよなぁ」
農作業をするよりも騎士とかのほうが向いてるんじゃないだろうか。あれだけ筋骨隆々の体ならきっと大活躍間違いなしだ。
村の入り口でしばらく少女と談笑しているとおっさんが戻ってきた。
「んで何を聞きたいんだ?」
「まずはこのあたりの地理について教えて貰えると助かります。次の目的地を決める参考にしたいので」
「いいぜ。えっとな――」
おっさんがしゃべりだそうとした時だった。
「た、大変だああっ!」
村の外から聞こえる叫び声。直後、青ざめた表情の青年がものすごい勢いで村の入り口へ駆け込んできた。
「どうしたというんだ。そんなに慌てて」
「た、大変なんだよデッツさん!」
青年は膝に手を着きながらゼエゼエと肩で息を切らせている。
「どうした落ち着け」
「だ、大丈夫? そうだ! はい、これあげる!」
ココットはバケツの水をコップについで青年に渡した。
「す、すまねえ。……ぷはあっ!」
水を一気に飲み干した青年は一息つくと、途端に蒼白な顔になった。
「た、大変なんだよ! オーガがこの村へ向かってくる!」
青年は震える声で告げた。
「オーガ? なんだそりゃ」
俺は率直な疑問を口にした。聞いたことのない単語だ。
「戦鬼<オーガ>ってえのは魔物の中でも特に好戦的な種族だ。加えて戦闘能力もトビ抜けて高い。はっきり言って人の敵う相手じゃあないな」
取り乱した様子の青年とは対照的に、おっさんは冷静な口ぶりで説明した。
「そ、そうだよ! そのオーガだよ! 畑仕事をしてたらさ、俺……み、見ちまったんだ! で、でっけえ……山みてえにでっけえオーガがっ! この村目指して歩いていくところを! だから慌てて帰ってきたんだよ!」
「この村の近くにそんなあぶない魔物が居るの……?」
ココットが不安そうな顔を浮かべる。
「だがこの辺りにオーガなんて危ない魔物はいなかったはずだがな。現に俺は長くこの村に住んでいるがそんな怪物一度も見たことないぞ」
「そ、そんなこと俺に言われたって……。……信じたくない。俺だって信じたくねえさ! けどよ、この目でたしかに見ちまったんだよ! ああ、恐ろしい……。生まれてこの方あれほど恐ろしいもんには会ったことがねえ。ひ、一目見ただけで震え上がっちまった……。チクショウ! あんなのに襲われたらこんな村ひとたまりもねえぜ……」
目の前で震え上がる青年を見て、俺はごくりと唾をのみ込んだ。この様子からして冗談を言ってるようにはとても見えない。
「な、なあ。もしほんとにオーガがここへ向かってるとしたら相当やばくないか? 今のうちにみんなで逃げたほうがいいんじゃないかな」
「そ、そうだ! 急いで村のもんに逃げるよう伝えなきゃなんねえ!」
青年がそう言い終わると同時、青年の体全体が黒い影に完全に覆われた。
そして野太く低い声が響く。
「よおお~人間ども。いったいなにを伝えるってぇぇぇぇ?」
青年の背後に俺が今までに見たことのない得体のしれない怪物が立っていた。
一目見て触れてはいけないものだとわかった。
おっさんの比じゃないほどの馬鹿げた体躯を誇り、頭には二本のとがった角が天へ向かって生えている。鋭利な先端を持つ巨大な角を見た瞬間、俺は全身に恐怖が広がっていくのを感じた。
俺たちに向けられた吊り上がった目はまるで虫けらでも見下ろすかのように冷徹で、邪悪さがにじみ出ている。
口角は歪に吊り上がり、噛み締めた歯がぎりぎりと鳴る。同時に、大木でも噛み切れそうな牙が口元からこちらを覗く。
この場にいるだけで凍えてしまいそうなほどの恐怖が全身を激しく襲う。
心臓が高鳴る。一秒でも早くこの場から逃げるように本能が告げる。
何もしてないのに、まるで何時間も全速力で走ったかのように体中から汗が噴き出し、手足の力が抜ける。気が付いたら膝がガクガクと震えていた。
一目見だだけでこの生き物がオーガだと直感した。
「ひ、ひいいいいいいいいいいっ!」
青年は上ずった悲鳴をあげながら村の奥へ向かって一目散に逃げ出した。
「お、お前たち! 村の者に逃げるよう伝えろ! 急げ!」
デッツさんは顔を引き攣らせたまま俺たちに合図した。
しかしその圧倒的な恐怖を前に、俺もココットもオーガを見つめたまま微動だにできないでいた。
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