第2話 祝福または呪詛


「蛍……じゃないよな」


 ……妙だな。蛍にしては光が大きい。それにあんな色の蛍、俺は見たことがない。なんというかどことなく不気味な感じがした。

 俺はその光がどうにも気になってその場を立ち上がった。

 光を追いかけて森の奥へ進んでいく。

 木々の間を縫いながら前方をゆらゆらと飛んでいく光を目指す。

 光はゆっくりとしたスピードで森の奥へ奥へと飛んでいった。

 木にぶつからないように気をつけながら光を後を追いかける。

 星が明るいのが幸いして見通しは悪くはない。

 赤い光はまるで俺を導くかのように森の奥へ向かっていく。


 それほど早く飛んでいるわけではないが何せ木々が邪魔をして早くは進めない。

 下手に走って転ぶのも危険だ。

 なかなか距離が縮まらない。

 それでも諦めずに追いかけ続けていたら、ふと木々の間を抜けた。

 視界が急に広がる。

 そこは小高い丘のある開けた場所だった。

 丘の頂上へ向かってあの光が飛んでいく。

 俺は丘の上へ小走りに近づいた。

 俺が追いつくとほぼ同時に、光は丘のてっぺんに力なく着地した。

 地面に輝く赤黒い光を覗き込む。

 どうやら虫ではないみたいだ。小動物でもないし……。なんなんだこれは?

 輝きには実体がなかった。ただ光だけがその場で明滅している。存在というよりも現象と言ったほうがしっくりくる感じだ。

 光は今にも消えそうなくらい弱々しく輝いている。明るくなったり暗くなったりを繰り返しているがその輝きは次第に消え入りそうなくらいに小さくなっていった。

 地面に光るそれに手を伸ばす。――と。

 手を近づけた瞬間、消え入りそうなほどに小さな光は、俺の手のひらに向かって不意に飛び掛かってきた。突然のことに動揺して後ろに数歩よろけた。


「わっ!?」


 取り乱していると赤黒い光は俺の手のひらにぶつかる。そして、ズズズ……と俺の手のひらの中へと沈んでいく。


「な、なんだよこいつ――!」


 慌てて反対の手で掴もうとするが、俺の指先は虚しく光をすり抜ける。

 その間にも光は次第に俺の手の中へと全体を沈めていく。


「う、嘘だろ!?」


 慌ててぶんぶんと手を振るが、沈んでいく光は一向に出てこない。

 それどころかさっきまでよりもさらに沈み込み、ついに光は完全に俺の手のひらへ吸い込まれた。

 驚いた俺はさらに激しく腕を振った。しかしついに俺の中に消えた光が出てくることはなかった。


「はあ……はあ……。痛テェ……」


 激しく振り回しすぎて腕が痺れる。


「クッソー。な、なんなんだよ気持ち悪い……」


 あーあ……。こんなことなら追いかけるんじゃなかった。

 今となっては文字通り後の祭りだけど……。

 俺はあの変な光が吸い込まれた右手に視線を落とした。

 手のひらをじっと見つめる。あの妙な赤黒い光は跡形もなく消えている。

 なんか体に悪いもんだったらどうしよう……。

 急に取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないかと猛烈な後悔が襲ってくる。なんて馬鹿なことをしたんだろう。

 俺は猛烈に沈む気分の中、しばらくその場に立ちすくんだ。

 しかし不幸中の幸いか、今のところ特におかしな変化はないようだ……。

 ……ま、大丈夫だろ。

 起こってしまったことはしょうがない。

 どうせこれ以上考えても答えはわからなさそうだから、こういう時はさっさと眠るに限るぜ。どうせ考えたって不安になるだけだしな……。もうサイアクだ……。今後は余計なことには首を突っ込まないようにしよう……。

 猛烈にテンションが下がった俺は逃げるようにその場所を離れると、たき火の場所へ戻り憂鬱な気分で横になった。たき火が消えていなかったのがせめてもの救いだ。 ――そして夜が明けた。


「ふわあ……」


 寝そべったまま大きく伸びをする。

 そこかしこから聞こえる小鳥のさえずりが森に響き渡る。

 木々の間から差し込む朝日が顔を照らし、柔らかな熱を伝える。

 眠い目をこすりながら、俺は昨日の小川を目指した。

 小川では透明な水が朝日を反射させ、きらきらと輝いていた。

 水を掬い取り豪快に顔を洗う。


「ひー相変わらず冷てえな」


 でもそのおかげで寝ぼけた頭がさっぱりと目を覚ました。


「……おっと」


 水面に映ったぼさぼさの銀の髪に気づき、手櫛で整える。

 あ、そう言えば。


「昨日のアレ、なんだったんだろうな」


 俺は昨夜、赤黒い光が吸い込まれた右手を見る。

 これといって特におかしなところはないと思う。

 全身をくまなく眺めるがやはりおかしなところは見つからない。

 体調も特に悪くないんだよな。

 むしろいつもより体が軽いくらいだ。


「ま、大丈夫だろ! ……たぶん」


 とりあえず納得して――というかあまり考えないようにしながら――身支度を整える。

 すべての準備が終わった俺はさっそく出発することにした。


「――さて、行くか!」


 さっさと出発しよう。今日中に森を抜けたいからな。

 森を西へ歩き続けるとほどなくして森を抜けることができた。

 なんか……。


「思ったよりかなり早く抜けられたな」


 まだ昼よりもだいぶ早い時間だ。予定では早くても昼過ぎごろに抜けるはずだったんだけど。

 森を抜けた瞬間、遥か彼方まで続く広大な草原が視界一面に飛び込んでくる。

 カラっとしたさわやかな風が全身を包む。

 森の中と違ってジメジメとした肌にまとわりつく空気じゃない。

 草原がさわさわと揺れ、羽ばたく鳥の群れが広い空を横切っていく。

 時間が時間だけにまださほど暑くもない。歩くには絶好の時間帯だ。

 天気もすこぶる良好だし!


「これだよこれ! 旅と言ったらやっぱ草原だよな!」


 俺は意気揚々と懐から地図を出し、豪快に広げた。


「次の目的地は、と」


 えーっと……。この場所から北西へ向かってしばらく歩けば小さな村があるみたいだな。今日はそこで宿を取ることにするか。このあたりの情報も欲しいしな。

 そういえば森よりもこっち側まで来たのは初めてだ。

 俺はここいらのことにはとんと疎い。

 まずは無理をせず情報収集だな。

 とりあえず村を目指そう。トット村っていう名前なのか。

 距離的にもたぶん夕方までには着けるはずだ。夜になると魔物が出るかもしれないからな。

 ま、この辺りは特別強い魔物も生息してないみたいだしあまり心配はないだろう。

 そもそも魔物の生息数自体も少ないみたいだし。

 そういや森の中でも魔物に会うことはなかったっけ。……変な光には遭遇したけど。


「……あーやめやめ! 思い出すとテンションが下がる!」


 嫌な思い出を振り払うように草原を歩き出す。

 道中、これといったトラブルもなく、思っていたよりもかなり順調に進むことができた。

 気が付けば昼過ぎには村にたどり着いていた。


「おー。ここがトット村か。てかかなり早く着いたな」


 そういやここに着くまで一度も休憩してないな。

 今日はなんだかいつもより疲れにくい感じがする。もしかしたらいつの間にか体力がついてきたのかもしれない。これも長旅の成果だろうか。何事も継続だな。

 トット村はこじんまりとした素朴な村だった。

 村の入り口から眺めると、いくつかの簡素な作りの民家がぽつりぽつりと建っているのがわかる。


「あ!」


 俺はすぐ近くに、村人と思しき小さな少女がバケツを運んでいるのを見つけた。

 幼さの残る顔の感じからいって、たぶん十歳くらいだろうか。俺よりも五、六歳ほど年下といったところ。

 ブラウンの髪を後ろで二つに三つ編みしている。

 俺の声が聞こえたのだろう。少女がこっちを振り返り。


「あー!」


 と元気な声を上げながら俺の顔を指さした。

 そして少女はバケツを置いて軽快な足取りでこっちに駆け寄って来た。

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