ラグノーツ

清澄武

第1話 邂逅


 旅をしていた。

 当てのないひとり旅。

 そう。行き先は決めてない。

 だからどこへでも行ける。

 見知った土地を離れ、見知らぬ大地へ足を踏み入れる。

 すると世界は途端に謎にあふれ、旅は冒険の旅になった。

 青い空はどこまでも高く、大地は無限のごとく続いている。

 山を登り、谷を越え、草原をさすらう。

 名も知らない薄紅色の花びらが辺り一面に舞い散る。

 熱を帯びた風がとぎれとぎれに吹き、髪と服を揺らした。

 怪鳥の不気味な鳴き声がどこか遠くから空気を震わせる。

 未知なる世界は果てしなく広がっていた。

 そんな旅をしていた。


 前の街を出発した俺は、大陸を西へ向かって歩いていた。

 休み休みに平原を歩き、昼を大きく回ったころには巨大な森にさしかかった。


「でかい……」


 俺の目の前に数え切れないほどの大木が並んでいる。

 歩みを止めて地図で確認する。シレーネの森と呼ばれるこの森は、南北に大きく広がっているようだ。これだけ間延びしていると迂回なんてした日には相当な遠回りになるだろう。

 俺はしぶしぶ森を突っ切るルートを選んだ。

 そう、あくまでもしぶしぶ……。

 野生動物くらいなら別にいい。この辺りには凶暴なものはいなかったはずだし。

 でも魔物は別だ。魔物は人を襲う。もしも凶暴な魔物に遭遇でもしたら俺程度の戦力じゃひとたまりもないだろう。

 とはいえこの辺りには凶暴な魔物は生息していなかったはず。念のためガイド付きの地図を確認してみるけど注意を促すような記載はない。

 数種類の魔物は生息しているみたいだけどそこまで危険なものはいない。それに魔物は森の北の方に棲んでいるらしい。それがわかっていたため、俺が今立っているこの場所は森の中央よりもかなり南に近い。そうなるようにあらかじめルートを選んできた。

 だからそんなにナイーブになる必要はないぞ! そう自分に言い聞かせる。


「よ、よし」


 ごくり、と喉が鳴る。

 しばらく森を見つめて覚悟を決めた後、俺は歩き出した。

 緊張で全身がこわばり、どことなくギクシャクした歩みになる。

 大丈夫。このルートなら魔物も出ないはずだ。

 俺は気にせずに、そのまま森に突入した。

 護衛を雇えばよかったかな。いや、そんな金ないか。などと考えていると、先ほどまでとうって変わり、辺りが木々に包まれる。平原と比べて見通しがすこぶる悪い。これじゃあなにかが近づいてきてもすぐには気づけないだろう。いつ襲われるかわかったもんじゃない。だから森は苦手だ。見通しのいい平原とはまるで違う。

 歩きながら四方をやたらときょろきょろしてしまう。文字通り手に汗を握りながら。このあたりには魔物はいないとわかってはいても、それでも無意識のうちに全身が緊張する。

 強い冒険者なら、こういう状況を"緊張感のある冒険"として満喫できるんだろうな。しかしそれは強さがあって、はじめて成立することだ。何かを楽しむにはある程度の強さが必要なんだ。当然俺にこの状況を楽しめるほどの余裕はない。いつの日か森の中を堂々と闊歩してみたいもんだが……。残念ながらそんな日はきっと来ないだろう。俺は剣術も魔法もからっきしだからな。剣や魔法の腕は生まれつきの素質がかなり強く影響する。俺は残念ながらどちらの適正も低いみたいだ。以前、習ってみたもののまるでモノにならなかった。まあこればっかりは生まれつきだからしょうがない。


 魔物の襲撃にビクビクしながら森の中を歩き続けること数時間。

 魔物が出てくる気配はまるでない。

 そういうルートを選んだんだから当然そうなるだろう。

 落ち着きを取り戻した俺は、森の景色を楽しむ程度の心の余裕はできていた。

 気が付くと、いつの間にか太陽が傾きかけている。

 空は赤みを増し、視界が赤に染まっていく。

 木々の隙間から差す夕陽が森全体を橙色に染める。

 じきに夜がやってくる。

 どうやら今夜はこの辺りで野宿になりそうだ。森の中で夜を明かすのか。嫌だな。

 森の広さからいってそうなることはあらかじめわかってはいたが、嫌なものは嫌だ。

 そんなことを考えていると偶然にも上流から流れてくる小川を見つけ、足を止めた。

 川底が見えるくらいに澄んだ水。深さも足首くらいまでしかない。溺れることもなさそうだ。


「ラッキー! ツイてるぜ」


 俺は川辺で靴を脱ぐと、火照った足を片方、水に浸した。


「――冷んめってぇ!」


 まるで刺されたかのような刺激が足の表面から伝わってくる。

 俺は浸した足を反射的に戻した。

 そして今度は指先からゆっくりと水につけていく。


「ひいい……」


 こんな遠慮がちに浸してるってのにそれでもかなり冷たい。

 まったく。森の水ってのはなんでこうも冷たいかね。

 慣れた頃にもう一方の足も水に沈めていく。

 長旅によって足に溜まった熱が小川に逃げていく。

 両足を浸しながら、赤く輝く水面へ両手をくぐらせる。

 水を何度か掬い取り、バシャバシャと顔を洗う。

 最初は恐ろしく冷たいが繰り返すうちに次第に冷気にも慣れていく。

 体を冷ましただけだったけど、それだけで途端に全身の疲労が和らいだ気がした。

 川辺に腰を下ろしてしばらく休んだ後、森の奥へ向かって再び歩き出す。

 木々の間を縫うように歩き続けると、不意に開けた場所へ抜けた。

 木の密度がまばらで休息を取るには持って来いの場所だった。

 日の暮れ具合からいってこれ以上進むのも得策じゃなさそうだし。

 どうやら今日はこの辺りで夜を明かすことになりそうだ。


 森の赤みがじわじわと強まっていく。

 星を見るにはまだ明るすぎる。

 かと言って無理に進むのも危険だ。

 昼の世界と夜の世界の境界。

 逢魔時ってやつだ。

 なんでも最も魔物に出会いやすい時間なんだとか。

 なんて言うと物騒だけど要するにやることもなくて暇を持て余す時間ってことだったりする。


「……薪でも集めるか」


 陽が落ちる前に今晩の分のたき木を集めることにした。

 夜か。夜は魔物の動きが活発になる。

 まあこのルートなら遭遇することもないだろうけど。

 ……念のため少し多めに集めるか。

 俺はそのあたりに落ちている枯れ枝を集め、山のように積んでいった。

 よし。これだけあれば問題なく夜を越せるだろう。

 気が付けば辺りはすでに薄暗くなっていた。

 夜の森は薄気味悪い。よくわからない謎の生き物の鳴き声。風もないのに不意に揺れる木の枝。何らかの生き物が草を掻き分け走り回る気配。遠くで光るいくつもの光。これはたぶん夜行性動物の瞳だろうか。一人だとなおさら不気味に感じる。

 俺はこれ以上暗くなる前にさっさと火を起こすことにした。

 小さな種火の中に枯れ葉を入れ、細い枝を入れ、徐々に大きな火へ成長させる。


「はー。やっぱ明りがあると落ち着くな」


 目の前でゆらゆらとたき火の炎が揺らめく。

 炎を絶やさないように定期的に薪を投げ入れる。

 そのたびに揺らめく炎からパチッパチッと火花が飛び、火力が増す。

 たき火って見てるとなんだかぼうっとしてくるんだよな。

 それに不思議といつまでも眺めていられる。

 俺はその場に大の字になり寝転がった。

 夜空には数え切れないほどの星がひしめき、天を埋め尽くしている。

 赤や青、金色に輝く星まで。

 大小さまざまな星があるが、その中でもひときわ大きく輝く白銀の星が目に留まる。俺が住んでた村ではこの星は祝福の星と呼ばれていた。なんでも、冒険の成功を約束する幸運の星なんだとか。村を発つ前日にあの星に祈りを捧げるってのが俺の村での習わしだった。まあ俺はそういうのはあんまり信じてないんだけどさ。

 ぼうっと星を眺めていると、ホーホーという鳴き声が森のどこかから響いてきた。たぶんフクロウだろう。


「どこからだ?」


 暗い森のあちこちへ視線を這わせる。

 声の主を探していると――。ふと森の中に赤黒い奇妙な光が浮いているのを見つけた。


「な、なんだ?」


 当然フクロウではない。

 不思議な光はふらふらと力なく揺れながら森の奥へ向かって飛んでいく。

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