第11話 信長の真実

「紗菜に会わせてください。お願いします、彼女は無実なんです。だから一刻も早く自由にしてあげたいんです。過酷な取り調べなんて無実の彼女には屈辱でしかない」


 感情を露にし紗菜の釈放を懇願していたのは八条信長の次男八条陸であった。彼は秘書を一人連れて渡せる訳もない差し入れをもって紗菜が取り調べを受けている警察署を訪れたのだった。彼にも受け取ってもらえないことは分かってはいたのだが少しでも力になりたかったのだ。そして紗菜を警察署から、その過酷な取り調べという環境から出してあげたかったのだった。


「お帰り下さい、弁護人以外の面会は出来ません。八条紗菜さんは既に検察に送致しました。今後は検察が取り調べることになります」


 社会的地位のある伊織に対して横柄にふるまう警察官はいない。彼がその地位を失うようなことがあればその限りではないのだろうが、今のところ礼儀正しく接してくれている。


「くっ、仕方がない。次は弁護士連れて来る」


 陸の声は留置場の紗菜にまで届くほど大きかった。

 紗菜はこの味方の居ない環境の中で唯一の見方を見つけ心が少し暖かくなった。未だ頑張れる未だ真実を主張し続けられる、未だ屈しない。彼女のモチベーションを上げるには十分な力を持った陸の声だった。



 ▼△▼△▼



 金本に脅された翌日、また八条陽介は叔父である八条伊織の邸宅を訪れていた。


「ご案内します」と言うメイドに「いいよ、場所分かるから」と案内を断り一人で伊織のもとへ行く陽介。

 この家は広く一度一人になってしまえば容易には見つけられない。それが一人になった理由であった。そうすれば、伊織の秘密を探り出せ金本に借金をチャラにしてもらえるのだ。しかも少なくない金額をだ。そして、伯父が相続レースから転げ落ちれば取り分は増え贅沢三昧できる。高級車を乗り回し毎日高級クラブ通いだ。未来の自分を想像すると自然と笑みが零れる陽介であった。

 手にはスマホを持ち録画の準備、ポケットにも別のスマホ。本格的な録画機材なら証拠としての信憑性は増すのだろうが見つかった時に疑われてしまう。その点スマホなら疑われない。更にそれなりに画像も良い。

 足音を立てないように伊織がいると言われた書斎に足を運ぶ。周りには誰も居ない。スマホの録画スイッチを押す。もう一つのスマホは音だけ録音する。


 近づいて行くと伊織は誰かと話しているようだった。中を覗くと彼は一人でありスマホで人と話しているようだった。恐らくワイヤレスイヤホンで話しているので声が聞こえ難く声量が大きくなっているようだった。


「紗菜の方は大丈夫か? 未だ警察署か? ‥‥ このまま裁判になれば刑は確定だな。陸はどうだ? ‥‥ まだ何も弱点はつかめてないのか、早く何かつかめ。俺が父を薬で弱らせたことは解剖では見つからなかったんだよな? ‥‥ そうかその薬は発見不可能か、これで俺が相続欠格になることはないな。陽介? あいつは放っておいても大丈夫だ。‥‥ 早くしろよ」


 陽介は耳を疑った。

『あいつは放っておいても大丈夫』だと?

 それ程俺のことを馬鹿にしているのかと信じられなかった。

 ん? いや違う。陽介は否定した。

 耳を疑ったのは別の件‥‥そう、あれだ、なんだっけ? あ、伯父が祖父を殺したんだった。

 陽介は馬鹿だった。

 だが、これを渡せば金本の借金はチャラだ。相続人が一人減ったと大喜びで伊織邸を後にしようとした。だが彼は玄関に到着する前に書斎に戻る。彼が来たことはいずれ伊織に知られることとなる。会いもせず帰ったのでは伊織に会話を聞かれたのではとの疑念を抱かせることになるからだった。


「伯父さん、トイレに入ったらなかなかうんちが出なくてさ」


 一応伊織邸に入ってから書斎に来るまで時間がかかったことに虚偽の理由を告げるという策を弄するほどの知恵はあった陽介だった。


「何しに来た、要件を早く言え」

「融資を考え直してもらえないかなと」


 相変わらずの陽介の態度に伊織はまさか会話を録画されていたとは夢にも思わなかった。

 相変わらずの伊織の態度にも余裕の笑みを浮かべる陽介には伊織の足元が瓦解する音が聞こえるようだった。



 ◇◇◇◇



 翌日紗菜のもとを訪れたのは八条陸の弁護士藤原琴葉だった。紗菜の弁護士は既に紗菜に解任されていた。その事を知った陸が自分の弁護士を寄こしたのだった。


「それで、私に刑事弁護を任されますか?」

「はい、お願いします」

「現在は非常に宜しくない状況です。真犯人を見つけなければ打開できないでしょう。現場にいた点と彼氏の借金という状況証拠、それに凶器の指紋という物的証拠、それだけで訴訟資料としては十分かもしれません、検察はそれだけで最後まで行けると踏んでいるでしょう。ですので、包丁の指紋が古いものである点、包丁は盗まれたものである点を主張しその証拠はあなたを陥れるために用意されたものであると主張します。まぁ、真犯人が見つかれば問題はないのでしょうけど。こればかりは簡単にはいかないでしょう。警察はあなたの犯行とする捜査以外はしていなかったようですし」

「宜しくお願いします」


 伯父に続いて二人目の味方だった。今はもう違うがずっと友だった佐竹美桜の様に心強かった。


 翌日検察の取り調べに東京地検八王子支部に向かうおとする紗菜は釈放された。

 紗菜の家から包丁を盗む窃盗犯の姿を捉えた警備会社の動画が見つかったのだ。なぜ今まで提出しなかったのかという警察の問いには先日見つけたばかりだという回答に警備会社は終始した。


 警察署を出る八条紗菜を出迎えたのは叔父の八条陸と弁護士藤原琴葉だけだった。


「紗菜、痩せてないか?」

「来てくれてありがとう、伯父さん、でも痩せてたら良かったのにね。取り調べダイエットね」


 紗菜は下らないことを言うほど伯父が来てくれたのが嬉しかった。


「藤原さんもありがとうございます」

「仕事だからね。でも大変だったのよ検察を説得するのは。まだ完全に容疑が晴れた訳じゃないって言われたわ」


 感謝されるのには慣れた藤原琴葉だが紗菜に感謝されるのはどこかこそばゆかった。

 紗菜にはどこか顧客以上のものを感じていたからだった。


「どうだ、紗菜は真犯人に狙われる可能性が高い。うちに来るか? 安全だぞ」


 優しい言葉を投げかける伯父であったが、紗菜は久しぶりに一人になりたかった。


「大丈夫、警備会社も付いてるし。久しぶりに一人になりたいの」

「そうか。何かあれば電話しろ。直ぐに駆けつけるからな」

「私にも電話してね。私もいつでも駆けつけるから」


 二人の温かい言葉にほんの少し涙を流した紗菜だった。


「その時はお願いします」



 次の日、八条紗菜が死亡したとの報道が一斉に流れた。

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