第9話 駿河湾

 紗菜を取り調べる警官が交代した。その警官は知性の薄そうな体育会系といった感じの警官だった。で来るのかと紗菜は予想したのだった。


「今から俺がお前を取り調べる。八条紗菜、お前がやったんだな。吐け、直ぐに吐け、そしたら今日は帰れるんだ、お前まさか俺の楽しい勤務後の時間を邪魔する気か? だったらお前は敵だ、俺は容赦せんぞ。だが、お前のことだ、もちろん俺の楽しい勤務後のカラオケタイムを邪魔する気はないよな、ほら、私がやりましたと言え」

「やってません」

「貴様! まさか本気で本官のカラオケタイムを邪魔する気か!」

「いえ、邪魔しませんのでお帰りになって結構ですよ」

「えっ、帰っていいの? だったらすぐカラオケに行って‥‥って、阿保か! お前が自白せん限り帰れんわ!」


 こいつはちょろいな、紗菜はそう思ったのだが逆にそれが甘かったのだと知ることとなった。


「やってないものはやってません」

「はぁ、やったんだろうが! お前の親も殺したんだろうが。俺は知ってるぞ、お前の彼氏が少なくない借金を作ったんだろ、それで金が必要になって母親殺したんだろ? 吐かないと彼氏もしょっ引くぞ!」


 虚偽とは言え吐けば余計に彼が尋問を受ける結果になるだろうと紗菜は懸念する。そうなれば余計に嫌疑が膨らむこととなる可能性がありそれはなんとしてでも避けなければならない、しかし、既に彼が取り調べを受けることは確定しているのだろうと考えると彼女がいくら彼は関係ないと言っても、彼女が例え自白しようとも、それらはすべて無駄な事なのだろうと思えた。彼女の不安は実際彼には借金があった為に、その解消策として祖父の財産を少しでも多く相続する為に伯父を殺害し、その相続財産を彼の借金返済に充てようとしたと言われてしまえばまるでそれが理由で実際に紗菜が殺害したようにも思えてしまうことだった。更に借金は多額であった為に紗菜が通常相続できる財産では賄いきれない借金だったことが紗菜の犯行説により真実味を持たせる結果になることは目に見えていたのだった。

 これは不味いことになったと紗菜は思ったが予測しなかったわけではない。当然彼の借金についても警察は触れてくるとは予測していたのだが想像と違い現実になるとやはり不安が首をもたげてくる。


「吐かないと彼をしょっ引くとか脅迫じゃないんですか? それは警察官としたあるまじき行為なのでは?」

「はぁ? ? えっ、今日吐くのか? だったら今吐け! ほら吐け! さぁ、吐け!」


 日本語が通じてないんだろうか、それとも敢えて知らない振りをしているんだろうか、主張が通じないことが、まるで外国で言葉の通じない警官に通訳なしで無実を主張するかのような不安を覚えた。


「ほら、高さん、そんなに言うと、怯えて白状できないじゃないか。紗菜さん、君もこいつが怒る前に白状した方がいいよ。こいつ怖いんだよ」

「怒らせないために殺人罪を認めろっておかしくないですか? それに無理に吐かせるとかになるって分かりますよね、もう正当行為の域を超えてますよね?」

「はぁ、俺にって言ってんのか? お前馬鹿にしてんのか? お、お前は警官馬鹿にした罪で逮捕するぞ!」


 そんな罪名の犯罪など無いのに恰も当然存在する罪名の如くに主張する警官を紗菜は唖然と眺めるほかなかった。それよりもまた話が通じなかったことに紗菜は苛立ちを募らせるのだった。


「日本は罪刑法定主義であり人を罰するには予め成文の法典で規定しておかなければいけないんですよ。どんな罪で罰するとか法で定められてるでしょ?」

「はぁ? どんな罪で罰するかは警察が決めるんだ!」

「いやいや、それだと憲法三十一条の何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられないとの文言に反するし警察が憲法の上に存在することになりますよ? 法律とか三権分立とか小学生の時に習いませんでしたか?」

「阿保か! それは弁護士とかの仕事だろうが! 警察は犯人を捕まえるのが仕事なんだ、法律なんか知らなくても逮捕出来りゃそれでいいんだよ!」

「それは、違法行為でもなんでも警察はできるって言ってるんですか?」


 もう何を言っても無駄なような気がしてきた。

 だと思っていた取り調べはの取り調べだった。

 無知は最強だ、だって言葉が通じないんだもの、まるで外国人と話しているようだと紗菜はこのまま犯人にされてしまうのではないのかと思い始めたのだった。



 ◇◇◇◇



「おい、金は出来たか?」


 殺された八条陽太の長男陽介のもとに現れたのは陽太に融資をしていた金本健一だった。彼は陽太の自宅を担保に融資をしていたのだが所詮一番抵当は銀行であり金本は三番抵当に過ぎなかったのだ。その為陽介の相続財産から完済するように圧力をかけていたのだ。相続財産があるとはいえ、既に債権は焦げ付いた状態であり一刻も早く回収したかったのだ。ただ、未だ係争中であり現金や株券等他の財産も陽介のもとには入ってきていなかった。


「待ってください、伯父に融資をお願いしたんだけど断られたんです」

「それは真剣に頼んだのか? 一度断られたから諦めたんじゃないのか? 金が無いんだったら伯父に保証人になってもらえ。だが伯父は金持ってんだろ? だって持ち株会社の会長さんだもんな、駄目なら保証人にでもなってもらえ」

「保証人も駄目だと思います。だって保証人になったら結局金を貸すのと同じだってまた断られると思います」

「お前駄目駄目だな。お前が駄目だって言うが普通の人なら払ってくれなきゃ死ぬ、今ここで死ぬって自分の首に包丁突き付けてお願い位するぞ。それが普通の人だぞ、普通の人が出来ることを出来ないお前はチンパンジーなのか? ニホンザルか? お前は人間だろ? だったら自分の首に包丁突き付けてお願いしてみろ! 少しは血を流せよ、そうすればより効果的だからな」

「それ脅してるんじゃ‥‥」

「そうだよ、良く分かってるじゃないか。脅してるんだよ、首に包丁突き付け金払わなきゃここで死ぬぞって脅すんだよ。それでも払わなきゃ実際に首切れ、簡単にゃ死なねぇだろ、血が吹き出せばビビッて金も払うさ、相手に包丁突き付けてるわけじゃねぇから強盗にもならないだろ? 自分の生命を脅かしてるだけだから脅迫にもならないだろ、相手のシンパシーに訴え掛けてるだけだから脅してる訳じゃないだろ、脅迫罪にも強要罪にも恐喝罪にもなんねぇよ。もう一度行ってこい!」

「いやもう無理です。伯父は怖いんです」

「俺より怖いのか? 伯父はお前を殺すのか? 殺さねぇだろ? 俺は違うかもしんねぇぜ?」

「お、脅してるんですか? で、でも伯父には得体のしれない勢力が付いているんです。だから、一線を越えると殺害されるかもしれません」


 金本は考えた。確かに、大会社の会長であり、組織にコネがあったとしても不思議ではない、その場合金本の様な金融業者は潰されてしまうだろう、いや、潰されるだけなら未だ良いともいえる。最悪、コンクリートのブーツをはかされて駿河湾に沈められるかもしれない。深さ二千五百メートルの駿河湾に沈められれば誰にも見つかることはない。

 ただ、陽介は一つ良いことを言った。八条伊織会長には得体のしれない勢力が付いていて甥でさえ殺されると恐れているという事だ。つまり、八条伊織こそが弟の八条陽太殺害の黒幕である可能性が高い、その証拠を見つければ伊織と取引でき高額な金を得ることができると金本は気が付いたのだった。


「よし、分かった。お前をスパイにしてやる。八条伊織会長の身辺を調査しろ。上手い証拠が見つかればお前の借金をチャラにしてやる」

「ほ、本当ですか?」

「ああ、俺は嘘は吐かん。ただし良い証拠が見つかればだ」

「良い証拠って?」

「自分で考えろ!」


 金本は陽介に数万円渡すと当座の取材費だ上手く使えと言い残し帰って行った。

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