第5話 聴取

 午前八時逮捕された紗菜は取調室に連れて来られた。紗菜を不安が襲う。連行される間、警官は接見交通権を認めようとはせず弁護士には連絡できていなかったのだ。

 彼女の弁護士は会社の顧問弁護士とは別に雇っていた。それは祖父八条信長の財産分与の件で祖父の長男である八条伊織から訴えられていたからだった。

 その内容は彼女が相続した財産は不当に相続したものであり、その財産は遺留分を除いて八条伊織に帰属することを確認する確認訴訟であった。

 伊織はそれとは別に三男の陽太を被告とした訴訟も提起していた。しかし、陽太が死に彼を殺した紗菜に秘かに感謝していたのだった。それは犯人になってくれた紗菜に感謝していたのだ。相続人を殺せば相続欠格、これで彼女は相続権を失う。つまり取り分が増えるという事だった。


 取り調べ用の机に座らされた紗菜は周囲を六人の警官に囲まれ無言の圧力を加えられていた。


「八条陽太殺害したことを認めるか?」

「殺してません」


 警官は当然紗菜が自白せず犯行を否定してくるだろうとは予想してた。しかし、警官は薄ら笑いを浮かべ続けている。まるで当然紗菜は犯行を認めるしかないという自信があるとしか紗菜には思えなかった。


「本当か、後で嘘を吐いていたことが分かれば偽証罪だぞ」


 そんな事は有り得ないことを紗菜は知ってはいたが、彼女にとってそれは恐ろしかった。警察はそんな虚偽の事実を告げて脅迫してまで紗菜の自白を取ろうとしていることが。それが日本の警察の常なのか今回に限ってのことなのかは分からないが冤罪事件蔓延る日本であることに鑑みればそれが常なのだろうと思えて仕方がなかった。


「私、法廷で宣誓してませんし、ここは法廷ではありません。偽証罪は真正身分犯です。法廷で宣誓した者だけが犯すことのできる犯罪です。法廷での宣誓が無ければ偽証罪にはなりません。そんな嘘を吐いてまで自白を強要するのですか。それは脅迫であり強要罪ではないのですか?」

「ふん、知ったようなことを。良くお勉強していらっしゃることで」

「嫌味を言うのが警察官の精一杯の強がりなのでしょうか」

「なんとでも言え。刑法三十五条知ってるか? 正当行為は違法性が阻却され犯罪を構成しない。つまり、警察官が犯罪者の犯罪を自白させるために行う犯罪行為は違法性が阻却されるが為に犯罪とはなり得ないのだ、そんなことも知らないのか?」

「つまり、警官が自白の為に拷問することも犯罪にならないと? 殺しても無罪だと?」

「そんな訳があるか、阿呆なのか?」

「私が言いたいのは正当行為にも限度があり全てが正当行為とみなされるわけではないということです。つまりは規範的構成要件、裁判官の判断が必要な構成要件だということです」

「ちっ」


 そこへ一人の警官が入って来て取り調べていた男達の中で一番偉いと思われる男に耳打ちする。


「何? 待てと言え」

「それが‥‥」


 また耳打ちしていてその内容は紗菜には聞こえなかった。


「分かった、通せ。取り調べは暫く休止だ」


 入れ替わりで紗菜の弁護士が入って来た。

 彼女の名前は佐竹美桜、彼女と同じ二十六歳であり、彼女がアメリカのロサンジェルスに留学してきた時からの付き合いだ。一流大学を卒業しロースクールを出て弁護士になって未だ2年目の新人だが友人であり彼女を信頼しているということもあり委任したのだった。


「あの動画見せた。顔色変えたよ、一応暗にテレビ局に売るとは臭わせた。その上で録画してもらえないのか、自分たちに不都合であれば録画しないのか、無茶な取り調べをしようとする場合は録画しないのか、録画しない場合は無茶な取り調べをするのか、だとすれば紗菜も録画しないのだから無茶な取り調べをするのではないのか、無茶な取り調べをしないのなら録画しても良いのではないかと交渉して何とか録画を認めさせた。さすがに私が同席するのは認めてもらえなかったけど」

「ありがとう、録画されているだけでも安心できる」

「紗菜駄目よ、安心しては駄目。録画するのも警察だしその管理も警察、消すのも自由、加工するのも自由、それに、加工したかを判断してもらうとしてもその機関と警察が癒着していないとは限らないし、その機関に警察が脅しをかけないとも言えない。全て過去にあったことだから」

「私を不安にさせないでよ。でも私が殺人を犯したとする根拠って何か聞いた?」

「うん、聞いたわ。刺された包丁からあなたの指紋が出てきたのよ」

「え? 私触ってないわよ」

「そう、その証言があなたが犯人であるという事にも繋がったって言ってた。つまり、発見時に触ったのであれば指紋は着いて当然でしょうけど、あなたは触ってないと言った。つまり嘘を吐いたことになる。それが犯人だと決定づけたと言ってた」

「私殺してないのに‥‥」


 これは不味い、指紋が紗菜を陥れる為に紗菜が触った包丁を使用したのであれば紗菜がそれを証明しない限り警察は簡単に証明できる紗菜犯人説を採ろうとする。紗菜は単に無実を証明するだけでなくその点を証明もする必要が出て来てしまったのだ。あまりにも不利だった。これでは犯人を見つけて自白させなければ紗菜の有罪は確定してしまうことになるだろう。紗菜は一縷の望みを美桜に賭けることにした。既に犯人は紗菜だと思っている警察が他の選択肢を選ぶはずがなく真犯人を見つけることもしないだろうことは予測できた。もう美桜に賭けるしかなかったのだ。


「美桜、真犯人見つけて」

「大丈夫、私の目の前にいるわ」

「えっ?」


 そう言って美桜は取調室を後にした、あなたはここに居るべきよと呟いて。

 その呟きを聞いたものは誰も居なかった。



 ◇◇◇◇



「それで、美桜、紗菜は有罪になりそうか?」


 八条信長の長男伊織は我儘に育てられ欲しい物はすべて手に入れないと気が済まない性格だった。今彼が欲しいものそれは信長が残した財産のすべてだった。彼の望みを邪魔する者、それを彼が放置するはずがなかった。


「はい、今取調室でこってり絞られてました。殺人容疑の根拠となったものは彼女の指紋のついた包丁です。紗菜は陽太さん発見時に包丁には触れていないと言ったそうです。にもかかわら包丁には彼女の指紋が付着していたのです。それで疑いを深めたと言っていました。凶器に指紋が付いていたのです。彼女が有罪にされるのは確定でしょう。たとえ彼女を陥れようと何者かが彼女の指紋のついた包丁を取得し彼女を犯人に仕立て上げる絵を描いたのだとしても初動捜査のミスを指摘されることをプライドが許さない警察は紗菜を容疑者として取り調べ検察に送致するでしょう。検察も凶器の指紋と犯行現場にいたという状況証拠がある限り紗菜を起訴するのは間違いありません。そしてそうなれば裁判官も有罪にせざるを得ないでしょう」

「そうか、これで、相続人が一人減ったのは確定だな。残されたのは、俺と次男の隆か?」

「いえ、殺害された陽太さんの息子さんが陽太さんが相続するはずだった財産を代襲相続することになります」

「ちっ、邪魔だな」


 そこへ、家政婦が訪れた。


「旦那様、お亡くなりになった陽太様の御子息が来られてますが如何いたしましょうか?」

「あ! 噂をすれば影だな、親子共々金の無心じゃないだろうな。まぁ、いい、通せ」

「畏まりました」


 十数分後、殺された陽太の長男の陽介が慌てた様子で伊織達がいた彼の執務室に入って来た。


「伯父さん、この家広すぎるよ。時間掛かり過ぎるよ」

「要件は何だ」


 伊織は苛立ち任せに声を放つ。

 いつも無駄な質問の多い愚鈍な陽介に伊織はあまり好印象を抱いていなかった。


「父さんの借金を返せって強面の男達がやって来たんだって。俺怖くってさ、まだ相続財産が確定してないから現金も来ないだろ? でもそいつらもう待てないって、伯父さん工面してよ」

「今は相続財産を確定している最中だ、つまり原告は俺で被告はその地位を相続したお前だ。つまり俺たちは今争っている最中だ。金を渡すことは出来んな」

「そんなぁ」

「それが法だ、弁護士先生もそう仰っている。とにかく帰れ」


 陽介はその言葉に愕然とし目の前が真っ暗になった。

 弁護士の顔を見て何も言わないのだから真実なのだろうことを察しとぼとぼと帰って行った。


「良かったんですか?」

「何がだ?」

「潜脱手段などいくらでもあったでしょうに」

「弟の家族といえど所詮係争相手でしかない。情けは禁物だ」


 冷たすぎる男だと美桜は思った。しかし、どこか魅力的でさえある男だった。さすがに大企業を幾つも従える八条ホールディングスの現会長なだけのことはあるなと美桜は感心したのだった。

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