7日目-1
水色ウサギの時計の音が鳴り響いているのに、今日もユメちゃんはベッドから起きようとしない。
ボクは音を止めると、ベッドに座った。
「……おはよう、ユメちゃん。体調悪い?」
「……うん」
嘘だ、と分かった。
「……学校、行きたくない?」
「うん」
これは本音だ。
枕元の双子ウサギを見る。ボクより近くにいるはずのフタリはやっぱりなにも言わない。
「……休む? ママさんとパパさんが心配するよ?」
わざと嫌な言い方をすると、ユメちゃんがもぞもぞ動いた。ちょっとだけ怒ったような顔でボクを見ている気がした。
「…………しんぱいなんて、しないよ」
ユメちゃんはそう言うと、ベッドから起き上がった。他になにも言わずに部屋から出て行く。
――部屋の静かさが、今日はなんだか嫌な感じだと思った。
双子ウサギを抱き締める。めいいっぱい力を込めているのに片方が落ちそうになる。
「……このままじゃ、駄目だよ」
双子ウサギが霞んだ。慌てて両目を擦るとフタリが床に落ちてしまった。拾い上げようとしゃがもうとした時――世界が回った。
「っ? あ、れ――?」
力が入らなくなって床に倒れ込む。身体が動かない。なんだか寒くて硬い。息が、苦しい。
『しっかりして!』『ねてないで!』
「――!」
久しぶりに聞こえた声にはっとすると温度が戻ってきた。急いで起き上がって双子ウサギを見る。けれど待っても待っても、白色ウサギと黒色ウサギのぬいぐるみはなにも言わなかった。
「……もう、時間なんだね」
ボクを人間にしてくれた魔法使いさんのことを思い出した。
床に座り込んで両手を見下ろす。指があんまり曲がらなくなっていた。
――「ただ、僕は魔法使いとして未熟なんだ。例えば、コップに水を入れる時、零れないように入れるよね。ちゃんとした魔法使いは水をコップの縁ギリギリに入れることが出来る。でも僕はそれが出来ないんだ。コップに水は入れられるけど、水の勢いが強すぎちゃう」
ドアが開いた音が聞こえて顔を上げる。ボクを見下ろすユメちゃんの表情が霞んでよく見えなくて分からない。
それでも、ボクはユメちゃんに笑った。
「着替えるんだよね? はい、どうぞ」
双子ウサギを手探りで掴んでフタリで目隠しするように抱っこした。
ユメちゃんがゆっくり着替え始める。わざとゆっくり着替えているのだと分かってしまった。
「……ユメちゃん、そんなに学校、行きたくない?」
「……」
ユメちゃんは答えない。それでもボクはお話しを続けた。
「学校で嫌なこと言われてる? 怖いことされてる?」
「……」
「なんでもないのかな。でも、なんでもないのに怖くて嫌なことってあるよね。ユメちゃんが読んでくれたミノムシが言ってたね」
「……」
「……良いんだよ。無理なんかしないで良い」
「!」
ユメちゃんの動きが止まった音がした。双子ウサギをずらして見る。
ユメちゃんは、白いふわふわのワンピースを着て、ウサギがいない靴下を握り締めたまま、ボクに背中を向けて、ただ、立っていた。
「……がっこう、いかなくていいの?」
ユメちゃんが震える声で言った。
ボクは咄嗟に言おうとした言葉を、飲み込む。ごっくんと胸に落として、はっきりと、言った。
「ママさんとパパさんとお話ししてみようよ」
「それはだめっ!」
ユメちゃんがボクの言葉をさえぎるように振り返りながら叫んだ。ボクにはもう見えなくても、泣きそうな顔をしているのだと分かった。
「めいわくかけたくないもんっ! だから、それはいっちゃだめなんだもんっ!」
「迷惑なんて誰が決めたの?」
ユメちゃんが唇を結んだ。
「言ってみないと分かんないよ。どうして大好きなママさんとパパさんを怖がるの?」
「だいすきだからだもんっ! ユメのせいで、ママもパパもかなしくさせたくないっ!」
ユメちゃんが嫌々と首を横に振る。
「悲しませたくないのに、大好きなのに、嘘は吐くの?」
「……っ!」
ユメちゃんが深くうつむいた。
ボクは立ち上がると、ユメちゃんの前に立った。
「ボク知ってるよ。ユメちゃんはいつも嘘吐いてる。楽しくない学校の話を楽しそうにして、聞こえてきたクラスメイトの話を自分が話したみたいに言ってる。でも、ママさんとパパさんが聞きたいのはそういう話じゃないはずだよ」
「……そういうおはなしをききたいんだよ。『ユメはだいじょうぶ』っておもいたいから、そういうおはなしをききたいんだよ」
「そんなの分からないよ。それにユメちゃんが話したいのは違うことだよね」
ユメちゃんは毎日、部屋でボク達に本を読んでくれる。毎日、毎日。学校がある日も、行かなくて良い日も。ずっと、声を出して、お話ししてくれる。
ボク達の声は聞こえていないはずなのに、本のお話しをするユメちゃんは、いつだって楽しそうだった。
「本当はママさんとパパさんと、楽しくお話ししたいんだよね?」
「……」
ユメちゃんはなにも言わない。うつむいたまま、ただじっと立っている。
「お話ししたいのに、学校のことは話したくなくて、なにを話したら良いのか分からないから、部屋で本を読んでるんだよね?」
「……」
「ねえ、ボク、ずっとキミに言いたいことがあったんだ。だから魔法使いさんに魔法をかけてもらって、キミとトモダチになったんだよ」
「……まほうつかいなんていないもん」
ユメちゃんがぽつんと言った。手を伸ばしてユメちゃんの頭に触れると、ユメちゃんの身体がぴくっと跳ねた。
「キミとトモダチになれて、毎日が嬉しかった。ずっとキミにはただ笑っててほしいって思った。
でもね、それじゃ駄目だったんだ」
ユメちゃんが顔を上げる。涙が零れそうな目に映るボクは笑えているのか分からなかった。
「ボクは、キミのそばにいちゃ駄目なんだ」
「――!? なんで!? なんでそんなこというのっ!?」
ユメちゃんがボクの手を振り払う。涙がぼろぼろ流れて、落ちていく。なにも言わないボクに嫌々と首を振ると、ウサギがいない靴下を握り締めながらボクに抱きついた。
「ウサくんはずっとユメといっしょにいるのっ! ずっとこのへやで、いっしょにあそぶのっ!
がっこうにいったって、だれもユメとおはなししてくれない! みんなユメをみながら、ひそひそおはなししてる! やだよっ! こわいよっ! ユメのおはなしなんてしないでっ! なんでっ!? なんで、あっちゃんといっくんと、いっしょじゃないのっ!? なんで、ユメだけ、ひとりぼっちになっちゃったのっ!?」
ユメちゃんが縋るようにボクに抱きつきながら叫ぶ。誰にも言えなくて、部屋の中で泣きながら呟くことしか出来なかった、ユメちゃんの本当の言葉を。
「ウサくんはどこにもいかないでっ! ずっとずっとユメのそばにいてっ!」
「……っ」
どこにも行きたくないよ。ずっとずっと、ユメちゃんのそばにいたかったよ。
言葉を飲み込んだ。だって、言ったって、どうしたって、この願いは叶わない。
泣き叫ぶユメちゃんを抱き締めたくて、けれどそれは、今はもう、してはいけないことで。ボクは唇を噛み締めながら力が入らないはずの両手を握り締めた。
「やだよぉ……っ! ウサくん、おねがい……!
ユメをひとりにしないで……っ!」
「――!」
――ひとり? 誰が?
部屋を見渡す。もうなにもはっきりとは見えないけれど、みんなの声も聞こえないけれど、それでも――みんなとの思い出は、なかったことにはならない。
「――っ!!」
気が付くと、ボクはユメちゃんを突き飛ばしていた。
しりもちをついたユメちゃんが呆然とボクを見上げる。
謝らないと――そう思ったのに、声が、出ない。どうしよう。なにか、言わないと。なにか――
「――キミは、いつ、ヒトリだった?」
ユメちゃんがびっくりした気がした。それでもボクの言葉は止まらない。
「どうしてなにも分かってくれないの? キミにとってボクは、ボク達は、いなくなっても気付かないような、そんなモノだったの?」
違う。こんなこと言いたいんじゃない。なのに、どうして、止まらないんだ。
「どうしていつも嘘を吐くの? 言いたくないことを言って、自分で自分を傷つけるの?
どうして勝手に決めつけるの? やってもいないのに、最初から諦めるの?
どうして自分からはなにもしないの? しようとしないの? 誰かが来てくれるのを待ってるだけで、自分じゃない人に任せちゃうの?」
ユメちゃんの涙は止まらない。ボクの言葉が増えるたび、小さな水溜まりが増えていく。
「魔法もお姫様も信じないくせに、どうして、王子様を待ってるの?」
それがユメちゃんが飛び出す前に言ったボクの言葉だった。
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