1日目-1
水色ウサギの時計が鳴り響く。
ユメちゃんは「んー」ともぞもぞして、しばらくするとのそのそと起き上がった。よたよた歩いてアラームを止めると、ぽやーんとした顔のままボクがある方を見て――目をまんまるに見開いた。
「ウサさん!?」
ユメちゃんがいつもの場所に駆け寄る。でもユメちゃんが床をぺたぺた触っても、どれだけ部屋を見回しても、白ウサギの椅子はどこにも見当たらない。
ユメちゃんの瞳がどんどん潤んでいく。ボクが声をかける間もなく、ユメちゃんは涙をぼろぼろ零してしまった。
「うさ、ウサさん……っゆ、ユメ、のっユメのウサさんっ」
立ったまま涙を拭うこともせず泣くユメちゃんに、「ごめんね」と思いながら嬉しくなる。でもボクはキミに泣いてほしいわけじゃない。
だから、ボクは本棚の陰から急いで飛び出すとユメちゃんを力いっぱい抱き締めた。
「泣かないで、ユメちゃん!」
「っ!?」
びっくりしたユメちゃんの泣いていた声が止まった。腕の力を緩めて抱き締めたユメちゃんを見下ろす。
ユメちゃんはまんまるの瞳でボクを見上げた。
「泣き止んで、ユメちゃん! ボクはキミには笑っててほしいな!」
首を傾げながら笑いかけた。フードのウサギ耳が首に当たってむずむずするけどがまんする。
ユメちゃんは目とほっぺを赤くしながら、首を傾げた。
「……おにーちゃん、だぁれ?」
「……」
ユメちゃんにはボクが分からないみたいだった。そりゃそうだ。分かっていたことだった。だからびっくりさせないように、朝までずっと本棚の陰に隠れていたんだ。
でも、それでも気付いてほしかったと思うのは、ボクのわがままだから。
だから、ボクはユメちゃんに笑った。
「――……ボクはね、キミのトモダチになるために、ここに来たんだ」
「とも、だち……?」
少しずつ、花が咲いていくように、ユメちゃんの表情が明るい驚きに変わっていく。
「ユメの、おともだちに、なってくれるの……?」
ボクは膝をつくと、目線をユメちゃんに合わせた。ユメちゃんの目に映っているボクは、どこからどう見ても、人間の男の子だった。
「ボクを、キミのトモダチにしてほしいな」
* * *
ユメちゃんはボクをベッドに座らせて双子ウサギを抱っこさせると、慌てて部屋を出ていってしまった。
「……ボクとお話し、出来る?」
ボクは部屋から出ない方が良いと思って、双子ウサギに話しかけた。けれど声は返ってこない。部屋を見回す。灰色ウサギの大きなぬいぐるみ、クリーム色のウサギの形の枕、月ウサギとリボンの髪飾り、ウサギの鏡のドレッサー、桜色ウサギのリュック、桃色ウサギの柱時計、水色ウサギの時計――白ウサギの椅子だった時はあんなに賑やかだったのに、今のボクにはなにも聞こえない。
「……ボクの声は、聞こえてるんだよね?」
当然、声は返ってこない。
「……そっか。うん。これは……寂しい、な……」
これがユメちゃんの涙の理由だったんだ。
双子ウサギをてきとうに動かしてみる。『やだやだ』『うごかさないで』と言っているような気がした。
「お、おまたせ……」
ユメちゃんの声に振り向く。ユメちゃんはドアからひょっこり顔を出したまま、ちょいちょいと手招きしていた。
「どうしたの?」
双子ウサギを抱っこしたままユメちゃんに近付く。ユメちゃんはもじもじしながら、小さく言った。
「あさごはん、いっしょに、たべよ……?」
「えっ良いの?」
ユメちゃんがこくんと頷く。嬉しくなって思わず頭に手を伸ばすと、ユメちゃんはびくっとした。
「――」
それでも手を止めず、ユメちゃんの頭に触れる。そのままなでると、小さく「えへへ」と笑う声が聞こえた。
「ありがとう、ユメちゃん」
ボクの言葉にユメちゃんは緩く首を横に振る。顔は上げてくれない。
「……そうだ! はい!」
「っ?」
黒色ウサギを差し出すと、ユメちゃんはきょとんとした顔でボクを見上げた。
ボクは笑い掛ける。
「双子ウサギも一緒に連れて行こう! 話せなくても、トモダチみたいなことは出来るんだから!」
ユメちゃんはボクと黒色ウサギを交互に見る。黒色ウサギが『かってなこといわないで』と言っている気がしたけど、聞こえないんだから知ったこっちゃない。
「……」
しばらくすると、ユメちゃんはおずおすと黒色ウサギを受け取った。いつものように、ぎゅっと抱き締める。
「……いいの? いつもはね、ママがね、だめっていうの」
「ママさんは今いないんだから、大丈夫だよ!」
「パパもね、よごしちゃうよっていうんだよ」
「汚れちゃったら一緒に洗おうよ!」
「でも……いいこに、してないと……めいわく、かけちゃう……」
ボクはしゃがみ込むと、ユメちゃんに白色ウサギの手をぱたぱたと動かして見せた。
「ユメちゃんはいつも良い子だよ? だからたまには、ちょっとだけ、悪い子になってみよう?」
ユメちゃんは黒色ウサギを抱き締めたまま、もじもじと動かない。それでも静かに返事を待っていると、小さく小さく、頷いた。
「今日はユメちゃんの悪い子記念日だっ」
笑いながらユメちゃんの頭をなでる。
ユメちゃんはやっと、小さくだけど、ボクに笑ってくれた。
* * *
ユメちゃんに連れられてご飯を食べる部屋に入る。
大きな机の上には、こんがり焼けた一枚のトーストが乗っている皿と一枚のハムや半分この目玉焼きが乗っている皿が並んでいた。
「ウサおにーちゃんはここにすわって」
ユメちゃんに言われて椅子に座る。ユメちゃんはボクの正面の椅子に座ると、隣の椅子に黒色ウサギを置いた。ボクも白色ウサギを置く。せっかく連れてきたのに、ボクとユメちゃんからは白色と黒色の耳先しか見えない。
「いただきます」
ユメちゃんはほとんど隠れてしまった双子ウサギを気にせず、そう言いながら両手を合わせた。
「……いただきます」
ユメちゃんの真似をしながら、手を合わせて挨拶する。たしか、これから食べる命と作ってくれた人に言う感謝の言葉だったはず。双子ウサギと灰色ウサギでおままごとしていた時に、ユメちゃんが教えてくれた。
ユメちゃんが黒色の水が入っている小瓶を手に取った。じっと見ていると、皿の上で小瓶を軽く振った。目玉焼きの上に、数滴、黒色の水が掛かる。
ボクも真似してみようと、もう一つの小瓶に手を伸ばす。
「?」
手に取った時、水の揺れ方が違うことに気が付いた。ユメちゃんのはさらっとしてるのに、これはどろっとしている。
どうしようか考えていると、ユメちゃんが持っていた小瓶を差し出した。
「ウサおにーちゃんは、そーすのほうがすきなの?」
「そーす? これが?」
ユメちゃんが読んでくれたお話に出てきたことがある。たしかハンバーグにかかってるものだ。
「これは目玉焼きにはかけないの?」
「どうなのかな? ユメはいつもおしょうゆだよ?」
「それがしょーゆ?」
三人の夕ご飯の時、よく「取って」「どうぞ」と話していたのを部屋で聞いていた。色々な物が「取って」「どうぞ」とされていたけれど、一番されていたのが醤油だった。
「ウサおにーちゃん、おしょうゆ、はじめてなの?」
ユメちゃんが首を傾げる。
「うん。しょーゆとそーすって、水と泥みたいだね」
ボクが正直に頷くと、ユメちゃんは「そうかな?」と笑いながら、ボクの皿に腕を伸ばした。なにか欲しいのがあるのかと思って皿をユメちゃんの方に押し出す。ユメちゃんは皿の上で小瓶を軽く振った。ぽたぽた、醤油が目玉焼きに降り掛かる。
「はい、どうぞ」
「! ありがとうっ」
皿を引き寄せる。ちらりと見ると、ユメちゃんは楽しそうに笑いながらトーストをちぎっていた。
「……?」
こう、かな。
ボクもちぎってみる。次にユメちゃんは、ちぎったトーストを目玉焼きに突き刺していた。
「!?」
え、良いの!? 汚れちゃうよ!?
ユメちゃんはびっくりしているボクに気付かないまま、たっぷり黄色くなったトーストをぱくんと食べた。
「……」
とろりと黄色のなにかが広がっている目玉焼きを見る。ユメちゃんが半分こにしてくれたのだろう、ちょっとだけボクの方が大きいように見えた。
「――」
唇をきゅっと結んだ。思いきって、ちぎったトーストを目玉焼きに突き刺す。指先が汚れちゃったけどしょうがない。垂れないように急いで口に入れた。
「……!」
なにこれ!?
もう一回、トーストを黄色くして、食べた。もう一回、食べる。止められない、止めたくない。あ、醤油のところに付けると味が変わる。え、すごい。なにこれっ!?
「あははっ」
「!」
ユメちゃんの声にびっくりして食べる手が止まった。顔を上げると、いつの間にかフォークを握っていたユメちゃんが楽しそうに笑っていた。
「ウサおにーちゃん、おいしいねっ」
「――うん。そう、だね。“おいしい”ね!」
そっか、これが。
お話で聞いていたから、「おいしい」がどういうものなのかは分かっていた。けれど、自分で経験してみると、思っていたものと全然違うことが分かる。
「……おいしいね、ユメちゃん」
心の底から、ユメちゃんに話しかける。
ユメちゃんはボクの言葉に、「うん!」と嬉しそうに笑った。
* * *
ユメちゃんに教えてもらいながら雑巾で机を拭く。ママさんとパパさんが言った通り、ご飯の時は双子ウサギ達はいない方が良いかもしれないと思った。
「ウサおにーちゃんはへやにもどってて。ユメ、はみがきしてくる」
「うん」
ユメちゃんがぱたぱたと廊下へ駆けていく。
ボクは机を拭き終わると、双子ウサギを抱っこして家族の部屋から出た。ユメちゃんの部屋に向かいながらきょろきょろ見回す。洗面所は近くにないみたいで、遠いところから水の音が聞こえた。
「色んな部屋があるんだね」
廊下にはドアが並んでいて、ユメちゃんの部屋以外は全部しまっている。ママさんとパパさんが帰ってくるのはいつも夜だから今なら部屋を見れるかと思っていたけど、諦めた方が良さそうだ。
「ユメちゃんはいつも、ああいうご飯を食べてたんだね」
初めてのご飯はおいしかった、けど、今までユメちゃんは一人で食べていたんだと思うと悲しくなってしまった。
「ボク、人間になれて良かった。ユメちゃんのことならなんでも知ってるって思ってたけど、全然知らなかった」
ユメちゃんの部屋に入る。ユメちゃんが外の世界から帰ってきた時に見るユメちゃんの部屋は――なんとなく、寂しい、と、思った。
「ウサおにーちゃん?」
「わっ!?」
びっくりして振り返る。いつの間に戻ってきていたのか、ユメちゃんがボクを見上げながら首を傾げていた。
「どうしたの?」
「えっと……」
さすがに「みんなの声が聞こえなくて寂しい」なんて言えない。
ユメちゃんから目を逸らすと、本棚が目についた。
「そう、ユメちゃんのお話を聞きたいなって思って」
咄嗟にそう言うと、ユメちゃんは嬉しそうに笑った。うぅ、嘘じゃないのに、ユメちゃんの笑顔が痛い気がする。
「じゅんびするから、ウサおにーちゃんはうしろむいてて!」
「なんで?」
首を傾げると、ユメちゃんは顔を赤くして唇をきゅっと結んでしまった。
「……」
「……」
「……?」
「~~っ」
「!」
答えてくれないユメちゃんの目が潤んできて、ボクは慌てて後ろを向いた。
ユメちゃんがぱたぱたとボクから離れる音が聞こえる。
「ユメちゃん?」
「ぜったいにみちゃだめだよ!」
「? う、うん」
ユメちゃんの珍しく強い言い方に、首を傾げながら頷く。双子ウサギを抱っこしながら待っていると、布が擦れる音が聞こえた。
あ、そっか。やっとユメちゃんがいつもしていることを思い出した。けれどボクはベビーカーに乗っていた頃のユメちゃんを知っているんだから、今更恥ずかしがることなんてないと思うんだけど。あ、でも今のボクは“初めまして”の男の子なのか。そっか………………そっか。
「もういいよ!」
「!」
ユメちゃんの声に振り返る。
ウサギとチェックのドレスみたいなワンピースを着て、いつものウサギみたいな髪型をさせたユメちゃんが、嬉しそうに笑っていた。
「今日はすぐに結べたの?」
月とウサギとリボンの髪飾りに触れる。時々パパさんに洗われる月ウサギはふわふわしていた。
ユメちゃんはきょとんと首を傾げた。
「なんで、いつもはすぐじゃないって、しってるの?」
ボクは苦笑した。嘘は吐きたくないけど、あんまり本当のことも言いたくない。
「ユメちゃんのことが、大好きだからだよ」
「っ!!」
ユメちゃんが顔をぽんっと赤くした。首を傾げると、「あ、えっと、おはなし! おはなしよむよ!」と本棚に駆け寄った。
困ったように本を選ぶユメちゃんの背中を見ながら、ボクは昨夜の魔法使いさんとのお話しを思い出していた。
* * *
『三匹のイタチ』
あるところにイタチの三兄弟がいました。
長男イタチは嘘吐きとして有名でした。
しっかり者の次男イタチと、臆病者の末っ子イタチは、そんな長男イタチが嫌いで仕方ありませんでした。
ある晩のことです。
末っ子イタチが干し柿の様子を見に離れに行くと、離れの近くで倒れている鳥を見つけました。
末っ子イタチは慌てて鳥に水を飲ませました。
元気になった鳥は、イタチに自己紹介をしました。
「助けてくれてありがとう。
おいらはカラスだ。お礼にお前さんの知りたいことをなんでも一つ、教えてやるぞ」
末っ子イタチはとても驚きました。
カラスは本当のことしか言わないことで有名なのです。
「ではお願いです。長男イタチの秘密を教えてください」
末っ子イタチはカラスにお願いしました。
臆病者の末っ子イタチは、長男イタチが嘘を吐く理由が知りたかったのです。
カラスは「カーカー」とたっぷり悩んだ後、言いました。
「お前さん達は家族じゃない。そのことを、長男イタチだけが知っている。カーカー」
末っ子イタチは驚きました。
お礼をしたカラスは天高く飛び上がると、夜空に溶けて消えてしまいました。
困りに困った末っ子イタチ、しっかり者の次男イタチに相談しました。
「ぼく達は家族じゃないんだってよぅ。赤の他人なんだよぅ。他イタチなんだよぅ」
次男イタチも困ってしまいました。
本当のことしか言わないカラスのことは次男イタチも知っていたからです。
しばらく二匹でうんうん悩んでいるうちに、次男イタチはひらめきました。
「兄さんに訊いてみよう。『家族じゃない』と言ったら、兄さんが言うことは全て嘘なんだから、僕達は本当の家族だ」
二匹は早速、嘘吐き長男イタチにこのことを訊くことにしました。
「兄さん兄さん、いつも嘘しか言わない僕達の兄さん。
本当のことしか言わないカラスから聞きました。
兄さんは僕達の兄さんではないのですか?
「兄ちゃん兄ちゃん、嘘吐きイタチのぼく達の兄ちゃん。
カラスから兄ちゃんの秘密を聞きました。
兄ちゃんはぼく達の家族じゃないのですか?」
長男イタチは、二匹の弟の頭を尻尾ではたきました。
「うるせえやい。
あんな夜の闇にこそこそ隠れるカラスが、本当のことを言うわけないだろうが」
二匹の弟イタチは首を横に振りました。
「カラスは本当のことを言います。兄さんは嘘吐きです。
だから答えてください。
僕達は家族ではないのですか?」
長男イタチは大きな大きな溜息を吐くと、黙って首を横に振りました。
「首を横に振った! 兄ちゃんは『家族じゃない』って言った! ぼく達は家族だ!」
末っ子イタチは大喜びです。
次男イタチは少しだけ困ってしまいました。
嘘吐きな長男イタチが家族でなかったら良かったのにと、何度も思っていたからです。
長男イタチは、もう一度尻尾で二匹の弟の頭をはたきました。
それは昔のことです。
人間に捕まりなんとか逃げてきたイタチは、四匹のイタチが人間の罠に掛かっているのを見つけました。
イタチはそのうち二匹の小さいイタチをなんとか助け出すと、臆病そうな一匹を口に咥え、しっかりしてそうな一匹を背中に乗せました。
あとの二匹は、罠に掛かったまま、ずっとぐったりとしていました。
イタチは小さい二匹を連れて帰りました。
イタチは、小さい二匹がいつか大きくなって、立派な一人前になった時に、もうここには戻ってこれないようにしてやろう、と思いました。
イタチは、自分が二匹の駄目な見本になってやろう、とも思いました。
長男イタチは嘘吐きです。
いつも嘘を吐く、悪いお兄ちゃんです。
次男イタチはしっかり者です。
末っ子イタチの心配ばかりしている、二番目のお兄ちゃんです。
末っ子イタチは臆病者です。
自分のことで頭の中がいっぱいなので、二匹のお兄ちゃんに大事にされています。
三匹のイタチがそれぞれの道を選ぶのは、まだまだ先のようです。
* * *
「『まだまださきのようです。』――おしまいっ」
ユメちゃんが本を閉じた。ボクが双子ウサギを抱っこしたまま拍手すると、ユメちゃんは嬉しそうに笑った。
「きいてくれてありがとう!」
「ううん、ボクこそありがとう」
白色ウサギを差し出すと、ユメちゃんは白色ウサギをぎゅっと抱き締めてボクの隣に座った。
「むずかしいおはなしだよね。いつも、わかんないっておもいながらよんでるの」
「そうなんだ」
「うん。ウサおにーちゃんはわかる?」
「うーん」
後ろのベッドに寄りかかる。天井を見上げながら、言った。
「長男イタチは、みんなに嫌われるように、嘘吐きになったってお話だよね?」
「そうなの?」
「違うの?」
「だって、みんなにきらわれちゃったら、さみしいよ……?」
ユメちゃんの瞳が揺れる。
ボクは身体を起こすとユメちゃんを抱き締めた。
「っ!? ウサおにーちゃん!?」
「寂しくても良いって、思ったんだよ」
ユメちゃんが首を傾げた。
「みんなに嫌われても、みんなに自分の声が届かなくなっても。
大好きな人に嫌われても、大好きな人ともう会えなくなっても。
――大好きな人のためなら、なんだってやるって、思ったんだよ」
ユメちゃんを抱き締めている腕に力を込める。腕の中のぽかぽかした体温に、なんだか泣きたくなった。
しばらくそのままじっとしていると、ユメちゃんがもぞもぞ動き始めた。苦しくなっちゃったかなと腕の力を緩めると、ユメちゃんはきょとんとボクを見上げた。
「ウサおにーちゃん、ちょうなんいたちさんのこと、わかるの?」
「……どうかな?」
苦笑すると、ユメちゃんは「あのねあのねっ」と言った。
「ユメね、ちょうなんいたちさんがうそつきになったりゆうが、どうしてもわかんないの! ウサおにーちゃんはどうおもうっ?」
ユメちゃんが白色ウサギをぎゅーっと抱っこしながら訊いた。ボクは床に落としていた黒色ウサギを抱っこしながら答える。
「みんなに嫌われても良いけど、みんなを傷つけたいとは思ってないんだよ。だから、嘘吐きになるのが一番良いって思ったんじゃないかな」
「でもでも! ほかにきらわれるほうほうはあるよ!」
「……一番、長男イタチが『楽だな』って思った方法が、嘘を吐くことだったんだと思うよ」
「っ? なんで、うそをつくのが、らくなの?」
「……本当のことを言いたくない時に、どうしても出ちゃうのが“嘘”だから、かな」
「……でも……うそは、らくじゃないよ……」
ユメちゃんがうつむく。白色ウサギをきつく強く、抱き締めながら。
「……なら、なんで、嘘を吐くんだろうね」
「それ、は……めいわく、かけちゃうから……?」
「長男イタチの兄弟の嘘は、誰かに迷惑をかけるもの?」
「……」
ユメちゃんは首を横に振った。
ボクはユメちゃんの頭を優しくなでた。
キミがママさんとパパさんに吐く、優しい悲しい嘘を思い出しながら。
「……長男イタチは、本当のことを言って、信じてもらえなくて、悲しかったことがあったんじゃないかな」
ユメちゃんが顔を上げる。涙は出ていないけど、泣きそうな顔だった。
「本当のことを言って信じてもらえないのは辛いよ。だからきっと、長男イタチは本当のことをずっと隠し続けることにしちゃったんだ」
ユメちゃんはゆっくりまばたきをすると、首を傾げた。
「……ウサおにーちゃんも、そうなの?」
「――どうかなっ?」
にぱっと笑いかけて、白色ウサギの頭をつつく。ユメちゃんに強く抱き締められていた白色ウサギは、少しだけぐしゃぁとなっていた。
「シロウサさんっ!!」
ユメちゃんが慌てて白色ウサギをぱたぱたと振り回す。聞こえない悲鳴が聞こえそうな光景だった。
ボクは笑いながら手元の黒色ウサギを見下ろす。白色ウサギとよく似た赤い目が、ボクになにか言っている気がした。静かに抱き締めて、他の誰にも聞こえないよう、耳元で小さく小さく言った。
「――信じてもらえないなら、言わない方が良いんだ」
ボクが人間じゃないことも。人間じゃないから、ずっとユメちゃんのそばにいられないことも。
「ウサおにーちゃん? どうしたの?」
ユメちゃんの声に顔を上げる。ユメちゃんは白色ウサギの両手を掴んでぶんぶんと振りながら、きょとんと首を傾げていた。
「……ううん、なんでもないよ。それより、なんで『ウサおにーちゃん』なの?」
ユメちゃんは嬉しそうに笑うと、白色ウサギをボクにかざした。
「おみみ! ウサさんとおそろいだから、『ウサおにーちゃん』!」
「耳? あ、これのこと?」
フードを被る。ドレッサーの鏡を見ると、フードに付いている白色のウサギの耳がボクの頭の上の左右で垂れていた。
昨日鏡で見た時も思ったけど、今のボクの姿はユメちゃんより少し年上みたいだった。魔法をかけてもらう直前、魔法使いさんに「君が望む姿になれるよ」と言われた時は「パパさんみたいになったらどうしよう」とどきどきしたっけ。パパさんみたいになってたら「ウサおじさん」と呼ばれていたかもしれない。
「……“お兄ちゃん”は、やだなぁ」
言うつもりがなかった言葉が部屋に響いた。
慌てて振り向くと、ユメちゃんが潤んだ瞳でボクを見ていた。
「ボクはキミとトモダチになりたいんだ! だから、お兄ちゃんは違うかなって思って!」
「ごめんね、ユメ、おにいちゃん、ずっとほしかったから……っ」
ユメちゃんの目がどんどん潤んでいく。
「泣かないでっ? 大丈夫、ボクは傷付いてないよっ?」
「で、でも、いやだったんだよねっ? ユメ、いやなこと、いっちゃってたんだよねっ?」
涙はもう零れる寸前だった。
やだ。このままじゃ、ボクのせいでユメちゃんが泣いちゃう――ボクがユメちゃんを泣かせちゃう……!
「――っ」
ボクは急いで立ち上がると、ユメちゃんが泣いちゃう前に思いっきりユメちゃんを抱き締めた。
「違うよ! キミはボクを傷付けてない! ボクがもっと早く、ちゃんと言えば良かったんだ」
“お兄ちゃん”は家族だ。どんなに頑張ってもユメちゃんの家族になれないボクは、そう呼ばれちゃいけない。
「泣かないで……キミに泣いてほしくなくて、ボクは今、ここにいるんだから……」
家族になれなくてもトモダチにはなれる。だからボクは、魔法をかけてもらったんだ。
「ごめんね。怖い思いさせて、ごめんね、ユメちゃん」
「……」
ユメちゃんがもぞもぞ動く。泣いてないと良いなと思いながら腕の力を緩めた。
――ユメちゃんは、泣きそうな顔で、笑っていた。
「ううん。ユメも、ちゃんときかなくて、ごめんね?」
ボクはユメちゃんに笑いかけると、両手でほっぺを包み込んだ。しばらくむにむにしていると、ユメちゃんが口を開いた。
「――“ウサくん”、は?」
「……ウサくん?」
ユメちゃんが頷く。ボクの手に、ユメちゃんと白色ウサギの手が触れた。
「ユメ、ウサくんってよびたい。どう、かな?」
――「あなたはね、“ウサさん”!」
「――うん! ボクも、そう呼ばれたいな!」
懐かしいキミの声を思い出して、今のキミを抱き締めながら笑う。床に投げ出してしまった黒色ウサギには、もう少しそのままでいてもらうことにした。
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