0日目-6
ユメちゃんの歌が聞こえた。金曜日はいつも、ユメちゃんは歌いながら帰ってくる。今日は言葉がない歌だった。
歌声が近付いてくる。ユメちゃんが玄関のドアを開けると、みんなもユメちゃんに気付いて、お話しを止めた。
……みんなでユメちゃんを待つ。洗面所へ向かう足音。水が流れる音と、ぱしゃぱしゃと手を洗う音。また足音。
「ただいまーっ」
ユメちゃんが、笑いながら帰ってきた。
『おかえりなさい、ユメちゃん』
ユメちゃんはランドセルを机の近くに置くと、ボクの上に座った。
「きょうはね、『らーらーらーらーらーらーらーらーらーらーらーらーらーららー』っていうきょくをきいたんだよ!」
『わかんないよ?』『わかるわけないよ』
枕元の双子ウサギが言う。でもその声は勿論、ユメちゃんには届かない。
ユメちゃんは楽しそうに、ボクに座りながら、ずっと同じ曲を歌う。今日の嫌な出来事に、蓋をするように。
『……なにかあった? ユメちゃん』
思わず声をかける。それでもボクの言葉も届かなくて。
――ユメちゃんが泣き出したのは、もう少し後。悲しそうな歌声になってからだった。
* * *
ユメちゃんは双子ウサギを抱っこしながら膝に顔を埋めると、いつものようにすんすんと泣き出した。
『ユメちゃん……』
なんでいつも笑ってくれないんだろう。ボクに座って笑う時は、本を読んでくれる時や、学校から帰ってきてすぐの時だけだ。引っ越す前はこうじゃなかったのに。
『泣かないで、ユメちゃん……』
ユメちゃんの涙が双子ウサギに吸い込まれる。
どうして。ねえ、なんで。
ボクの言葉は、いつだってキミに届かないんだ。
* * *
夜、ユメちゃんが眠ると双子ウサギは静かに言った。
『どうしよう?』『あしたはがっこうないよ』
『……』
言いたいことが分かってしまったボクはなにも返さなかった。
双子ウサギは続ける。
『しあさってはあるよ?』『またなくよ』
『……』
『がっこうがないのが、いいこと?』『そんなわけないよ』
『……』
『そろそろなつだよね?』『はるはおわったよ』
『……』
『ユメちゃんは』『なつやすみのとき』『『ずっとここにいるの?』』
『…………悪いことじゃないでしょ』
思ったより低い声が出た。みんながびっくりしたのが伝わってくる。ボクは笑うと、双子ウサギに言った。
『学校に行かなかったらユメちゃんは泣かない。好きな本を読んで、ずっと笑ってくれる。それは良いことだよ。泣きたくて泣くわけないんだ』
みんなはなにも言わない。でもなにを言いたいのか分かってしまう。それでもボクがそれを認めるわけにはいかなくて、ボクも黙った。
――静かになって、どれくらい経っただろう。
ボクはユメちゃんの方を見た。暗くて顔は見えないけど、泣いてないみたいで安心した。
『……』
ボクの言葉は、どうしたってキミには届かない。だからキミは、また学校が始まったら「寂しい」って泣くんだ。それなら学校なんて行かなくて良い。ずっとここにいれば良い。そうすればボク達がそばにいてあげられる。だから――だけど。
だけど、ユメちゃんの幸せを願っているボクは、それを願っちゃいけない。
「んー……」
ユメちゃんが寝返りを打つ。うなされてはいないけど、笑ってもいないようだった。
『……』
ユメちゃんはボク達にたくさんの本を読んでくれる。ボク達がこうしてお話し出来るようになったのも、ユメちゃんがボク達に色んなことを教えてくれたからだ。ボク達はユメちゃんからたくさんのことを教えてもらった。
なのに、なんで、ボクからユメちゃんにはなにも返せないんだろう。
『――……ねえ、カミサマ。本当にいるなら、ボクの願い、叶えてみてよ』
いつもの涙と、いつもの嘘。そんな“いつも”が、なくなってくれるなら。
『ボクを、ユメちゃんのトモダチにしてください』
「君の願い、僕が叶えてあげる」
突然目の前に現れた光の粒が、そう言った。
『……えええぇぇぇぇぇぇっ!?』
ボクの声にみんなが驚いたのが伝わってきた。
『なんでボクにびっくりするの!? これ、この、マリモみたいなのがいきなりしゃべりだしたんだよ!?』
『まりも?』『まりもはみずのなかにしかいないよ』
『きみ、へん。なにか、してた?』
みんなが不思議そうにボクを見る。
なんで? どういうこと? もしかして、
「君の推察通りだよ」
光のマリモが、楽しそうにくるりと回って、そう言った。
ボクは一応声を小さくして、マリモに話しかけた。
『どうしてボクにしか見えないの? みんなには聞こえないの?』
「君は特別だからだよ。他の物とは違う」
『ボクが特別?』
そんなわけない、と思った。ボクが特別なら、ボクの言葉だけでもユメちゃんに届いたって良いはずだ。
「なんで君だけが特別なのか、分かってないみたいだね」
マリモはくるくる回り始めた。マリモが描く円の中央で光の玉が少しずつ膨らんでいく。
「まず、僕が見えていること。これが二つ目の条件」
光の玉がユメちゃんくらいに大きくなっても、マリモは回り続ける。
「次に、僕と会話が出来ている。これが三つ目の条件」
光の玉がボクくらいの大きさになると、マリモは玉へ飛び込んだ。
「なにより重要な第一の条件――君は、願い事をした」
光が弾ける。雪みたいにふわふわと舞い落ちる光の粒の中、一人の男の子が、ボクの目の前に立っていた。
『……キミは、カミサマ、なの?』
男の子はボクの言葉にきょとんとすると、「あははっ」と笑いだした。
「僕は魔法使いさ。魔法を使うことしか出来ない、ただの魔法使いだよ」
『マホウツカイって、絵本で動物を人間にしてくれる、あの?』
随分前にユメちゃんが読んでくれた絵本を思い出す。人間の女の子に恋したネズミのために、魔法使いがネズミを人間にしてあげたというお話だった。
『……ボクを、人間にしてくれるの?』
魔法使いさんは手を伸ばすと、ボクを優しくなでた。
「魔法は、誰かを幸せにするためにあるんだ。だから僕は、君に魔法を使いたいと思ったんだよ」
『……? どうして?』
「ん?」
『どうして――そんな、泣きそうな顔してるの?』
魔法使いさんは、何故か、悲しそうに笑っていた。
ボクの言葉に魔法使いさんは目を伏せると、「あははっ」と嬉しそうに笑った。
「やっぱり、君はすごいね。だから特別なのかな」
『?』
よく分からない。悲しそうに笑っていたのに、すぐに嬉しそうに笑える魔法使いさんのことも。なんでボクが特別ですごいのかも。
「もーなんで分かんないかなぁ」
ボクが考えていることが分かったのか、魔法使いさんは不思議そうに首を傾げた。
「心があるモノに意思が宿るのは当然のこと。長く大切に使われれば、物にだって心は生まれる。それが玩具やぬいぐるみなら、なおさら。
この中で心が生まれるのが一番早かったのは、そこの白か黒のウサギのぬいぐるみだったんじゃないかな。持ち主のそばにあるのが当たり前で、持ち主の身近にある物だから」
その通りだった。ユメちゃんの部屋に一番長くいるのはボクだけど、ボクがユメちゃんに語りかけるようになったのは、ユメちゃんの部屋に来て三年後くらいだった。双子ウサギが話すようになったのは、それぞれ、白色ウサギが来て一ヶ月後、黒色ウサギが半月後だった。双子ウサギより早く来ていたはずの灰色ウサギは、双子ウサギが話し始めて二ヶ月後くらいだった気がする。
しゃべらない仲間も多いけど、ユメちゃんの元に来て一番遅く心が生まれたのは、きっとボクだ。
「でも、白と黒のウサギのぬいぐるみは特別にならなかった。他のぬいぐるみも。君が、君だけが、特別になった。
白ウサギをモチーフに作られた、ただの椅子である、君が」
魔法使いさんがボクの耳の部分から手を離す。
「歴史ある物でもない、ぬいぐるみや人形とも違って持ち主のそばにあることも少ない、役目がちゃんと決まっていて、用が終われば捨てられてしまうだけの、ただの道具。そんないくらでも代用出来る物に、心が生まれた。そして意思が宿った。
それが君だよ。この特別感、分かってくれたかな?」
『……分かんないよ』
ボクの言葉に魔法使いさんは「あはは」と仕方なさそうに笑うと、背もたれ部分に優しく触れた。
「良いよ、分からなくても。君に分かってほしいことは一つだけ。
――君のその願いは、なにを犠牲にしても叶えたいもの?」
『え……?』
魔法使いさんの声色が変わった。でも表情は変わってない。
笑いながら、ボクの言葉を待っている。
『……』
ユメちゃんが読んでくれた絵本には、たくさんの魔法使いがいた。味方になってくれる魔法使いもいたけど、ひどいことをする魔法使いもいた。願いを叶える代わりに、手に入れることがとても難しい物を欲しがる魔法使いもいたっけ。
『……ユメちゃんから、なにか、もらうの?』
それならボクの願いは叶わなくて良い。
魔法使いさんは、ボクの言葉に苦笑しながら首を傾げた。
「もらわない。でも願いを叶えたら、この子は泣くかもしれないし、なんとも思わないかもしれない」
『……ボクの願いで、仲間が壊れたり、する?』
「しない。僕の魔法は、君にだけかけて、お代も、君からもらう」
魔法使いさんは笑っている。嘘を言っているようには見えない。
『――……分かった。
お願い、魔法使いさん。ボクを人間にして。
泣くユメちゃんの背中を支えてあげることしか出来ないボクを、ユメちゃんのトモダチにしてください』
魔法使いさんはボクの言葉に、大きく頷いた。
「それは無理」
『………………なんでっ!?』
言ってることが違うっ!! 嘘吐きっ!! ボクが動けたら魔法使いさんにのしかかれたのに当然動けないこの身体が心底恨めしいっ!!
魔法使いさんは「あははっ」と楽しそうに笑った。楽しそうに笑わないでほしいなっ!!
『なんで無理なの!? さっきボクの願いを叶えてくれるって言ったのにっ!』
「あははっ、はははっ! ごめんごめん、そんな『今すぐのしかかってやりたい』って思われるとは思ってなかったから、ははは!」
『~~~~っもう! 願いを叶える気がないなら帰ってよ!』
魔法使いさんは「ごめんごめん」と言うと、浮かんでいた涙をごしごしと拭った。
「ちょっとだけ試させてもらったんだ。本当に僕の魔法をかけても大丈夫なのか」
魔法使いさんの顔から笑顔が消えた。
「僕の魔法は、お代はいらない。なにも君からも誰かからも、もらうつもりはない」
『そう、なの……?』
「ただ、僕は魔法使いとして未熟なんだ。例えば、コップに水を入れる時、零れないように入れるよね。ちゃんとした魔法使いは水をコップの縁ギリギリに入れることが出来る。でも僕はそれが出来ないんだ。コップに水は入れられるけど、水の勢いが強すぎちゃう」
『……』
魔法使いさんの言いたいことが分かってしまった。
魔法使いさんはそんなボクに気付くと、苦笑した。
「そもそも、僕にかけられる魔法は君を人間にすることが限界。君をこの子の友達にすることは出来ないよ。僕に出来るのは、願いを叶えるお手伝いだけ」
『……』
「君の願いは叶わないかもしれない。願ったことを後悔するかもしれない。
それでも、良いの?
君は、願う?」
『……』
このまま帰ってもらえれば、なにも変わらない日常に戻れる。
ユメちゃんはずっとこの部屋にいて、今までと同じで、ボク達に本を読んでくれて。金曜日には歌を歌いながら帰ってきて、火曜日と木曜日はいつもより落ち込んで帰ってくる。
いつもと同じ。今まで通り。
これまで通り――寂しい、と、泣きながら。
『――それは、やだなぁ』
ぽつん、呟く。
ボクはボクを見つけてくれた時のユメちゃんの表情を思い出した。
『ボクはユメちゃんのトモダチになりたい。
だから魔法使いさん、ボクを人間にしてください』
「――うん、分かった」
魔法使いさんは笑いながら頷くと、両手をボクにかざした。
男の子の姿をした魔法使いは、たくさん傷ついた優しい瞳をしていた。
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