0日目-3
ユメちゃんが部屋に戻ってきた。いっぱい笑っていたはずのユメちゃんは唇をきゅっと結んでいた。椅子に置いていた双子ウサギを抱っこして、椅子の上にちょこんと座る。ぐすん、と鼻をすする音が小さく部屋に響いた。
「…………たのしくないよ。がっこうなんて、ぜんぜんたのしくない……」
ユメちゃんは双子ウサギを抱き締めると、ぽつぽつ呟いた。
「やすみのじかんなんて、なくなっちゃえばいいのに。ずっとこくごとか、“どーとく”とかだけしてたい。すきなおとこのこのはなしなんて、わかんないよ。ユメ、がっこうにおともだちなんていないもん。みんな、ユメとはなれちゃったんだもん」
『……』
ボク達はなにも言えない。ボク達はただ、ユメちゃんの話を聞くことしか出来ない。
「なんで……ユメだけ、『ばいばい』しなきゃだめだったの……?」
ユメちゃんは幼稚園の友達と同じ小学校に行けることを楽しみにしていた。でももうすぐで卒園式という時に、ママさんのお仕事の都合で引っ越さないといけなくなったんだ。「ユメちゃんが卒園するまでは」と、パパさんとママさんが夜遅くにひそひそ話していたと、ユメちゃんが泣いてボク達に言っていた。
「さみしいよ……あっちゃん……いっくん……あいたいよぅ……」
すんすん、とユメちゃんのすすり泣く声が響き渡る。
ユメちゃんは部屋の中で、いつも泣いている。部屋の外ではいつも笑っているのに、ここではとっても泣き虫で、すごく人見知りで、いつだってドアを閉め切って泣いている。パパとママはそのことを知らない。「学校が楽しい」と笑って話すユメちゃんの嘘を信じている。
ユメちゃんは嘘吐きだ。本当は寂しくて怖くて、寒くて堪らないのに。忙しいパパさんとママさんのために、迷惑を掛けたくないとずっと嘘を吐いている。
ユメちゃんが嘘吐きだと知っているのは、この部屋の中のボク達だけだ。
「みんな……どうしてるかな……? ユメがいなくても、がっこう、たのしいのかな……?」
ユメちゃんは今日もひっそりと涙を零す。お気に入りの椅子に座って、膝を抱えて、双子ウサギのぬいぐるみを抱き締めながら、小さな雨を降らせる。かわいいユメちゃんによく似合っているフワフワのヒラヒラがいっぱいのスカートは、今日も雨で濡れている。
『……泣かないで、ユメちゃん。笑って。ボクは、ユメちゃんには笑っててほしいよ』
泣かないで。笑ってて――どれだけ願っても、ボクの言葉は届かない。
「……おともだちが、ほしいよぅ……ひとり、は、やだよぉ……っ」
ユメちゃんは雨を降らせる。ボク達がどれほどキミを想っているのか知りもしないで。
『どうして』
ボクの言葉に、誰もなにも答えない。それでも思うことは同じ。
『ヒトリじゃないのに。ボク達がいるのに』
今日も、ボク達の想いはキミには届かない。
* * *
お風呂から戻ってきたユメちゃんは椅子の上に置いていた双子ウサギを抱っこすると、嬉しそうに笑いながらフリフリがいっぱいのベッドに飛び込んだ。
「えへへ、パパがね、ユメがいいこにしてるから、あたらしいおともだちをつれてきてくれるって」
ユメちゃんがベッドの上をころんころんと転がる。抱っこされている双子ウサギが『うわー』『うあー』と目を回すのを見て、ボク達は笑った。
仰向けになったユメちゃんはボクに振り向くと、本当に嬉しそうに、笑った。
「ユメ、いいこだって。ちゃんとがっこうにいって、しゅくだいもきちんとやって、おともだち、も、いて、……いいこ、だよね……?」
ユメちゃんの声が萎んでいく。ユメちゃんはベッドから起き上がると、椅子の背もたれをなでた。
「パパとママに、めいわく、かけなくって。しゅくだいも、ひとりで、できて。おなかすいても、れいぞうこのおやつしか、たべなくって。みんなとここで、たくさん、ごほんをよんで」
ユメちゃんが背もたれのウサギの耳をなでる。たくさん、たくさん。
「だから、ユメ、いいこだもん。だれにもめいわくかけてないから、わるいこじゃ、ないもん」
ユメちゃんの声が濡れる。ユメちゃんのクリクリした目が、どんどん潤んでいく。
『ユメちゃん』
ボクは語りかける。「寂しくても良いよ」って。「良い子になろうとしなくて良いよ」って。
でもやっぱり、ボクの言葉はキミには届かない。ユメちゃんは泣きそうな顔で、「悪い子じゃないもん」と言いながら、ただウサギの耳をなでる。
声も想いも届けられないボクには、この硬い躰を貸してあげることしか、出来ないんだ。
* * *
さらさら、ユメちゃんが寝返りをうつたび、ユメちゃんの綺麗な髪が優しい音を立てた。新しい『お友達』の夢を見ているのか、たまに「えへへ」と嬉しそうに笑う声が小さく部屋に響く。長い前髪の下の顔はきっと笑っているんだろうな、と思った。
『……良いなぁ』
『なにが?』『いいの?』
思わず呟いたボクの言葉に、枕元に置かれている双子ウサギが返した。ボクは暗くて見えないユメちゃんを見ながら答える。
『枕ウサギは、ユメちゃんの笑顔が見えるんだなぁって思って』
ウサギの枕はよく分からないと思っているようだった。
『ユメちゃんがボクに見せてくれるのは、泣いてる顔ばっかりだから。ボクに笑ってくれたのは、どれくらい前だったかなって思って』
みんながボクの言葉に『あー』と納得した。灰色ウサギがボクに言う。
『きみ、いちばんいっしょ。さみしい、わかる』
そう、パパさんとママさん以外でユメちゃんと一番長く一緒にいるのはボクだ。だから、色んなユメちゃんを誰よりも見てきたはずなのに。
『……話せない、小さくない、柔らかくないボクは、ユメちゃんを笑顔に出来ないのかな』
嘘吐きになる前のユメちゃんはいつも楽しそうに笑っていた。笑いながらボクの上に座って、いつだってみんなにその日のことをお話ししてくれた。
『……』『……』『……』『……』『……』『……』『……』『……』
みんなはなにも言わない。
ボクは慌てて言葉を続けた。困らせたいわけじゃなかったから。
『仕方ないよ。大丈夫。ちゃんと諦めてるから。
椅子のボクに出来ることは、ユメちゃんを見守ることだけなんだって』
『あきらめちゃうの?』『しかたなくないの?』
双子ウサギが訊く。
ボクは一瞬言葉に詰まって、笑って答えた。
『ボクのそばで泣くくらいなら、ボクのそばじゃなくても良いから、笑っててほしいよ』
静かにドアが開く。少しだけ明るくなった部屋にみんなが思わず黙り込むと、ママさんがこっそり隙間からユメちゃんを見た。夜遅くまで家でお仕事をしていたママさんは、これからやっと眠るのだ。ママさんが笑いながら小さく言った。
「おやすみなさい、夢見子」
『おやすみなさい』
近付く夏の匂いだけを残してドアは閉まる。部屋がまた暗くなった。今日はお月様もお休みなんだっけと思った。気が付くと、初夏の匂いも消えてしまっていた。
『……』
寂しいな、と思った。いつだってボクの言葉は、届いてほしい人に届かない。
ボクがどれほど想っても、伝えたいと祈っても、ボクの言葉は空気を震わせることも叶わない。ボクは無力で――すごく、ちっぽけだ。
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