第二夜 『病理解剖』
最近の全国的な傾向として、病理解剖の件数が著しく減少している。
それに伴い臨床研修病院の指定を取り消される施設が相次いだ。
というのも、前時代的な指定基準(年間剖検例が20体以上・剖検率が30%以上)が残っているからである。
「法律は匍匐前進で現実を追いかける」なんて、まことに巧いことを言う役人もいた。
伝統だけは100年以上を誇るエイチ病院でも、病理解剖件数の確保が重要な課題であった。
病院存続の危機と思い詰めた病院長は、帰宅前に医局の黒板に大きく書き残した。
「剖検数が20体不足です!」という文字は、翌朝早く出勤してきた医師の手で素早く消された。
その結果、大勢の目に触れて失笑を買うこともなかったが、相変わらず剖検数の不足は続いた。
エイチ病院で剖検数が激減したのは、死亡退院が減ったからに他ならない。
22世紀に入ってからというもの、日本人死亡率は大幅に低下した。
それと言うのも、エイチ病院にかぎらず多くの場合、死にそうになると患者は退院してしまうのである。
まるで剖検を拒否するように、今日もまた瀕死の患者が〈超高規格救急車〉で運ばれていった。
それと入れ替わるように、別の患者が臓器移植センターから搬送されてきた。
数週間前に超高規格救急車でエイチ病院から運ばれ、腹腔内全臓器移植を済ませたばかりの患者である。
多臓器移植が普及した現在では、脳死が人間の死として社会的にも受け入れられている。
脳移植を推進する議論もあったが、他人の記憶まで移植されては世の中が混乱するという理由で、臨床実験は取りやめになった経緯がある。
脳死と判定された場合も、脳味噌以外の臓器は全て特殊処理されて冷凍保存されるため、やはり臓器移植センターへ搬送されるのである。
その際に使用される車は、超高規格救急車と全く同じ機能を有しているが、外装は黒塗りで「超高規格霊柩車」と呼ばれている。
臓器移植センターでは、臓器を取り出したあとの遺体をごく稀に解剖することもある。
しかし、ここでも法律の壁は厚く、脳だけでは剖検数として認められていないようである。
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