同棲開始
愛実と付き合い始めて半年が経ったころ、誠司が仕事から帰ると郵便ポストにアパートの契約更新のお知らせのはがきが届いていた。
アパートの階段をのぼりながら、今の会社に就職を機に実家から一人暮らしを始めて、このアパートに暮らすようになって10年目であることを思い出した。その間少しずつ昇給して、ようやく係長に出世してすこしばかりだが手当もつき収入も増えたので、引っ越してもいいような気にもなってきた。
そんなことを考えながら部屋のドアを開けると、
「おかえりなさい。」
愛実が迎え入れてくれた。シフト制で働く愛実は平日が休みのときは、誠司の部屋にきてくれて、掃除してくれたり、夕飯を作ってくれたりしてくれる。
そのたびにきてくれるのは嬉しいけど、「掃除しなくていいよ」とか「ご飯も一緒に食べに行こう」とは言うけれど、「ただ待っているのも退屈だし。」「外食ばかりしていると体に悪いし、お金もかかるから。」と言って、今日みたいに誠司の帰りを待ってくれている。
リビングのテーブルにはすでに、コールスローサラダとほうれん草のお浸しが並べてあった。スーツから着替えた誠司は、
「何か手伝おうか?」
「じゃ、お箸とスプーンとってもらってもいい?」
スプーンを食器棚から取り出すためにキッチンに行くと、愛実は美味しそうなビーフシチューを皿に注いでいるところだった。
「お待たせ。さあ、食べよ。」
ビーフシチューを運びながら愛実は言った。カットソーにロングスカートのシンプルな組み合わせで、会社や通勤中によくみる組み合わせでもあるが、愛実が着るとみんなとはちがう雰囲気になる。
「ビーフシチューとコールスローサラダは少し多めに作っておいたから、良かったら明日も食べてね。二日連続が嫌なら、ビーフシチューは冷凍しておいてね。」
「こんなにおいしいなら毎日でもいいから、明日食べるよ。ありがとう。」
愛実は食事を作ってくれる時、翌日以降も食べられるように少し多めに作ってくれる。誠司はいつもは適当な肉野菜炒めしかつくらないので、食事の幅がひろがって嬉しい。
美味しい食事も終わり、愛実がお皿を洗っているのを見ながら誠司はコーヒーを飲んでいる。いつも片付けを手伝おうと申し出るものの、「気にしないで、コーヒーでも飲んでて。」と愛実一人で片付けてくれる。
片付けが終わり、愛実も自分のコーヒーをいれてリビングに戻ってきた。テーブルに置いていた、アパートの契約更新のはがきを見て、
「契約更新なの?」
「4月に更新だけど、どうしようかなと思っているところ。」
「私も4月に更新なの。」
愛実はすこし思いつめたように言った。多くの人が就職や転勤を機に4月から部屋を借りることが多いので、4月更新であることに珍しくはないが、あえてそのことを口に出す意味は、鈍感な誠司でも気づいた。
「2LDKでも借りて、一緒に暮らす?」
一瞬の間があった後、
「いいの。嬉しい。」
今にも泣きだしそうな声で愛実は答えた。戸籍が男のままである愛実とは入籍ができないので、一緒に暮らすということは恋愛関係の一つの区切りとなる。
その次の日曜日、早速二人で暮らすための部屋を探すために不動産を訪れた。受付のアンケートに答えたあと、予めネットで探していた物件の内覧をお願いした。
誠司の希望は、駅から10分以内でバストイレ別で、愛実の希望は2口コンロできれば3口であった。予算も愛実と折半というだったので、もうすこし増やしても良かったのだが、愛実は不相応なことはやめようと二人のいままでの家賃の合計よりも安いところを探すことにした。
一件目は不動産業者の常套手段である予算より少し高めのいい物件を見た後、2件目に予算内の物件を見ているところで、内見に同行してもらっている不動産業者のスタッフが、
「すみません、3件目の物件の鍵の受け渡しについて管理業者と連絡とるのでしばらく見ながら待ってもらっていいですか?」
と言い残し、部屋から出て行った。
キッチンを見ていた愛実はスタッフが出ていくのを確認すると、
「奥様って言われちゃった。」
照れくさそうに笑顔をみせた。誠司がどっちが良かったと聞くと、
「私はこっちの方がいいかな。」
「ここより最初に見たところにしないか?ここはエレベータなしの3階だけど、向こうはエレベータあるし、築年数も若いし。すこし予算オーバーだけど、二人の今までの家賃を足したぐらいだし、いいんじゃない?」
「上を見たらきりがないし、ここだって駅からは近いし、収納も多いから気に入ってるけど、やっぱり向こうの方がいい?」
「エレベータなしで3階まで毎日上るのが大変かなと思って、向こうがいいかなと思ったけど。」
「3階ぐらい大丈夫だって。私たちって子供はできないから、老後のことは自分たちでどうにかしないといけないから、節約できるところは節約してお金貯めておこうよ。」
なにも考えずあまり貯金もなかった誠司と違って、もともと一人で生きていく覚悟をもって女性になっている愛実は堅実だった。
結局、2件目にみたところにしようと契約する時に、
「妻がここがいいというので、こっちにします。」
誠司が言った後、横をみると「妻」という言葉に反応してにやけた笑顔の愛実がいた。こうして、誠司と愛実の同棲生活が始まった。
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