女人国道中膝栗毛

@2321umoyukaku_2319

第1話

 借金の取り立てから逃れるために地底へ向かう男が二人。進退窮まった者にありがちな話だが、さらにまずい方向へ向かっている。逃げた先は軍隊が戦時中に使用していた防空壕だった。本土決戦に備え廃坑を改造して建設された巨大な構造物だが所詮は袋小路でしかない。末端まで進んだところで、そこは行き止まりだ。そんなところへ身を隠して、一体どうなるというのか? 文字通り、袋のネズミだ。先の見通しなどまったく立てられないオツムだからこそ借金で首が回らなくなるのだ! と説教しても始まらない――この物語を含めて、何も。

 実を言えば、何の勝算も無く地の底へ行進しているのではない。彼らなりの目算があったのだ。その目算とは全体一体、何なのか? 言えない。決して言えないのだ。その時が来るまで、それは言えない悪しからず。

 その時が思いのほか早く訪れた。男たちは防空壕の最深部へ到達したのだ。二人は懐中電灯に照らされた切場《きりば》を見た。岩盤で塞がっている。最早もはやこれ以上の行き場は無いのだ。

 絶体絶命の状況にもかかわらず、二人の男は会心の笑みを浮かべた。ここが彼らの目的地なのだ。二人は懐中電灯を消し柔軟体操を始めた。それから衣服を脱ぎ全裸になって体中に香油を塗りたくる。そうやって準備を整えると、二人はボディービルのポーズを次々と決めてきた。なるほど、二人とも鍛え上げられた良い体をしている。だが、借金取りに追われて逃げ込んだ防空壕の奥深くでするべきことではなかろう。まして、光の届かぬ暗闇の中である。誰が二人を見るというのか? 奇妙なことは他にもある。ポージングをしている最中、二人は無言だった。力を込める瞬間も決して声は出さない。ボディービル大会でお馴染みの掛け声は当然、聞こえない。二人は実は防空壕跡地に入ってから、一言も言葉を交わしていなかった。これは無言の行なのだ。会話は勿論のこと、意味のない呻き声や叫びすら発してはならない。その上で、かくも愚かしい振る舞いに興じなければならないのだ。

 どうして、こんなことをしなければならないのか?

 その質問の答えは、やがて判明する。

 いつ分かるのか?

 突き当りの岩盤に亀裂が走り、そこから強い光が漏れ出てきた今、今である。

 二人の男は一瞬、ポージングの動きを止めた。そして両者、無言で目配せをする。それから何事もなかったかのように筋肉アピールを再開した。胸中の思いは共通だ――やはり噂は本当だったのだ。俺たちは遂に辿り着いたのだ! 伝説の女人国にょにんこくに分け入る岩戸は、ここにあるのだッ!

 高天原たかまのはら、たかまがはらにあるとされる天の岩戸は良く知られているが、それ以外にも岩戸はあって、それがここにある……と両名は言っているのである。天の岩戸は天照大御神あまてらすおおみかみが閉じこもったことで有名だ。二人の言葉を信じるなら、ここの岩戸は伝説の女人国に通じているのだそうだ。女人国とは、女性だけが暮らしているという想像上の国で、西のアマゾネス東の女護ヶ島にょごがしまといった具合に洋の東西を問わず伝承が残っている。

 地底に女人国があるという伝説は、この地方には昔から言い伝えられていた。山奥で鉱山を掘っていたら女人国の女が「山を荒らすな」と怒り心頭のご様子で武器を持って大勢出てきたので急いで逃げたとか、繁殖期になると女たちは里へ現れ男を誘惑して女人国へ連れ去るとか、色々あるが近代に入ると信じる者は皆無となっていた。

 それが防空壕建設で廃坑の拡張工事を開始したら、労働者の間で女人国の噂が一気に広まったのである。発破を掛けたら女の悲鳴が聞こえた、女がいないはずの坑道の奥で女の姿を見た、等の幽霊話から始まって土地に伝わる女人国の伝説が語られるようになるまで、それほどの時間は掛からなかった。

 多くの労働者が工事現場に入るのを恐れるようになるに至って、工事を請け負った企業も対策を考え始めた。労働者を脅して地下深くへ追いやる以外に特別な対策はなかったが、賃金を払わないと言われたら雇われ者は幽霊だろうが女人国だろうが現場へ入るしかない。そして、遂に労働者たちは廃坑の最深部に到達した。そこで彼らは女人国からの使者と名乗る異形の物体と遭遇したのである。

 その怪物がどのような外見をしていたのかは正確には伝わっていない。それを見た者は皆、既に物故者となっているし、敗戦時に軍部が目撃証言を記録した資料をすべて焼却したので、曖昧なことしか分からないのだ。分かっているのは、女人国からの使者が工事の即時停止を求めたこと、そして工事責任者と会合を持ち、何らかの条件を飲めば工事の継続を認めるまでに姿勢を和らげたこと、地表側から話し合いを希望するときは女人国に対する敬意を示すため無言で坑道の最深部までやってきて、裸になって逞しい男性の肉体美を見せつけるように伝えたこと、これぐらいである。

 地上の側から女人国へ会合を求める呼びかけは行われないまま終戦を迎えたので、工事とマッチョむんむんポージングの機会は永遠に失われた……はずだった。それがどうして二人の男が全裸でポーズを決めているのか? 話は少し遡る。この二人は、とある町のオカマバー(この物語の頃にはゲイバーという洒落た呼び方はなかった)で働くカップルだった。そのオカマバーのオーナーは戦時中に建設会社の現場責任者をしていて、防空壕建設現場で起きた女人国に関する奇怪な事件の噂を知っていた。当時はまだオカマが暮らしにくい時代だった(今もそうかもしれない)。そんな時代に生きるオカマにとって、女しかいない女人国は女だけでなくオカマにとっても天国ではあるまいか? 借金苦のせいで、とうとう自殺まで考えるほど気持ちが衰弱していた二人の男、ターヤ49歳とキジィ29歳は、そんな風に考え、オカマバーの売り上げを持ち逃げして旅費を作ると伝説の地、つまり地下の女人国へと出発した。その旅路の果てが、ここ、廃坑の最奥だ。

 この説明が終わると共に、廃坑の突き当りの岩盤が崩れた。そこから放たれた強い光に、ターヤとキジィの目が眩む。光の中から現れたのは二人より背が高くスタイル抜群の遮光器土偶だった。遮光器土偶は言った。

「よく来たわね。長いこと待っていたわよ。生贄はあんたたち?」

 無言の行を破っていいのか分からなかったので、二人は沈黙を守った。それが肯定と受け取られたようである。自分たちは生贄ではないと言うべきだったかと二人、後になって思わなくもなかったが思ったところで後の祭りというものだ。

 遮光器土偶は両目から怪光線を発射した。その光線に包まれたターヤとキジィは、あっという間に美少女へ変身した。遮光器の巨大なガラス面に映る自分たちの姿を、二人は信じられないという面持ちで見つめた。そうなったら、もう沈黙を守ってなどいられない。本性が露呈する。

「ちょっとナニコレ! 何なのよ!」とターヤ49歳。

「あたしのストロングなボディーが、こんな惨めなものに成り果てちゃうなんてサ……もう信じられないっ」とキジィ29歳。

 その後も二人は甲高い声でキーキー喚き散らした。マッチョマッチョしていた時はためらうことなく全裸となって自慢のわがままボディーをこれでもかぁん、これでもかぁん! と言わんばかりの勢いで過剰に見せつけていたというのに、生まれたままの姿の可憐な美少女になった今はというと右手は胸、左手は腰を隠し心なしか前屈みになっているのは、とても可愛らしくって糸岡氏じゃなかった、いとおかし。

「あんたたち、うるさいわよ。ちょっと静かにおしよ」

 遮光器土偶が注意したが、ターヤとキジィは黙らない。

「どうしてこんな小娘になってんのよ」

「聞いてないわよ、マジで聞いてないわよ」

「話してあるわよ、忘れてんじゃないの。それとも、あんたたちバカぁ?」

「馬鹿にしないでよ、馬鹿じゃないわよ」

「あたしたちのグンバツなボディーを返してよ返してよ、早く返してよぉん!」

 うざくて可愛いウザカワイイ系女子を略してウザカワと呼ぶ地方があるようだが、そこに女人国は含まれているらしい。遮光器土偶は言った。

「あ~のね、ウザカワの系統はね、もういるのよ。キャラクターの個性を立てたいのならねえ、別のにしたら? 個性を際立たせる何かがあるはずよ、あんたたちにも」

「あったのよ、あったから言ってんじゃない」

 ターヤはリュックサックの中から思い出のアルバムを取り出し遮光器土偶の顔の前で広げて見せた。

「これは日本版『ロッキー・ホラー・ショー』の舞台オーディションで撮ったもの。ウチとキジィの二人で受けに行って、最終選考まで残ったのよ」

 キジィが合いの手を入れる。

「そうそう、あたしたち、もうちょっとだったのよ」

 遮光器土偶は冷たく言った。

「最終選考まで残っただとか、あと少しで合格したのに、なんてのはね、何の自慢にもならないの。受かった者と落ちた奴の違いは天と地より大きいわ」

 もうすぐ50歳になるターヤは肩を落として負け続けた人生の書をリュックサックに戻した。アラサーだが気持ちは若いキジィは、まだ未来に若干の希望を抱いていたので、遮光器土偶に食って掛かった。

「そんな言い方しなくたってイイじゃないのさ! これからよ、あたしたちは、これからなの! だから返してよ、あたしたちの体を返してったら!」

 遮光器のガラスをキラリと光らせて、土偶は言った。

「取引したでしょう。工事を続けたいのなら人身御供ひとみごくうを差し出しなさいって」

 人身御供の意味が分からないので、キジィは薄ら笑いで肩をすくめた。その意味を知っているターヤは遮光器土偶をじっと見つめた。

「生贄って言ったわよね、さっき」

 遮光器土偶の巨大な頭が小さく上下した。

「言った」

「ウチらの元の体は、生贄になったの?」

「なった」

「あの体は、取り戻せるの?」

「知らない」

「知らないって、どういうこと!」

「ちょっと唾を飛ばさないでよ。担当が違うから、知らないんだって」

 事の次第が分からず話に食い込めずにいたキジィだったが、生贄と人身御供が同じ意味だと、やっと理解した。鼻息荒く遮光器土偶に突っ掛かる。

「あたしたちの体が生贄になったってことは、神様とか何かの餌にでもされちゃったってことなの?」

 土偶は太い首を左右に振った。

「餌ではないわねえ」

「何になったのよ!」

「女たちの玩具」

「女たちの遊び道具って、何なのよ?」

「さあねえ? あたしは詳しいことまでは知らないけど、あんたたちの体を使って、女たちはエッチなお人形遊びとかお医者さんごっことかしてんじゃないのかしら」

 外側は美少女で中身はオカマゲイの二人は顔を見合わせた。声を揃えて悲鳴を上げる。

「イヤーッ! キモキモキモキモキモファウーゥッ!」

 遮光器土偶は呆れた。

「声を合わせてキモキモ言わなくたっていいじゃないのよ」

 ターヤは全身をプルプル震わせた。

「ウチ、女に体を触られるの、絶対に嫌なの」

 顔を含む体中に鳥肌が生じたキジィは、見る間に増殖している粟粒を嫌がる土偶に示しながら言った。

「あたしなんて見てよ、これ。女があたしの体を弄り回しているって思った瞬間に、もう出たわよ蕁麻疹じんましん

 どうにかしてよ! と詰め寄られ遮光器土偶は困り果てた。

「前回の会合で、話はついているって聞いて来たんだけど」

 大規模な防空壕の建設工事即時中止を通告するため、女人たちの地底国家は異形の外交団を工事現場である廃坑へ派遣した。その使節団と接触した工事責任者は工事の継続を認めてもらう代わりに、女人国が要求する人身御供の供給を約束した。平和な時期であるなら生贄の提供など許されないが、何しろ戦時である。人命よりも勝利が大事なのだ。かくして労働者の中から候補者の人選が秘密裏に進められたが、生贄を捧げる前に終戦となり、残虐な儀式は施行されなかった。工事に関する秘密資料は連合軍が来る前に軍部が焼却したので占領軍総司令部は何も知らなかったし、正気を疑われることを恐れ関わった工事関係者は戦後になっても口をつぐんだままだった。

 一方、女人国の住人は約束を忘れていなかった。ある日突然工事は中止となり地底に平安は戻ってきたけれども、それでも生贄は欲しいのだ。一日千秋いちにちせんしゅうの思いで人身御供となる男を待ち続けて、遂に来たのだ、その日が!

 概ね上記のような説明を土偶から聞いて、ターヤとキジィは納得したかというと、全然しなかった。

「そんなの知ったこっちゃないわよ! ウチらの体を好き勝手にしないでよ!」

「何だか目が見えにくくなってきたんだけど、ちょっと見てよ、目玉にもブツブツが出来てきてない?」

「そもそもよ、どういう理屈で女体化してんのウチら。魔法? 仙術? 科学?」

「息苦しくなってきたんだけど、あんたのとこで医学って発展してる? やばいわ、ゼーゼーしてきた。救急車呼んで、早く! 救急車あぁぁぁぁぁ……」

 キジィの顔色が見る間に悪くなってきた。高度のアレルギー反応で呼吸状態が悪化したのだ。ターヤは慌てた。キジィが喘息持ちであることは知っており、その発作を見たことは何度かあるけれど、ここまで酷いものは初めてだった。

「しっかりして! 救急車ったって、あんた。ここは山奥の廃鉱よ、山の中の地の底まで救急隊は来ないでしょ」

「ぞ……んんあな、こと、いっだ、言ったっでえ……し、じ、死ぬぅ……」

 土偶は宣告した。

「女人国は穢れなき清浄の土地。死人は穢れなので死ぬなら別の場所へ」

 ターヤが切れて怒鳴る。

「酷い!」

 土偶が言い含める。

「何を言っているの。本来であれば生贄となった段階で心は消去、つまり肉体は残るけれど精神的には死んだも同然の状態になるところを、それでは哀れということで、代わりに美少女の体を供与してあげたんじゃないの。実質的にはね、あなたたちにも十分なメリットがあるはずよ。その発作は精神的なものでしょう? それなら、ここを離れたら良くなるんじゃないかしら。せっかく手に入れた美少女の体を生かして、新しい人生を生きてみることを強くお勧めするわ。どうせさあ、ろくな生き方をしてこなかったんでしょう? ちょうど良い機会なんだからさあ、やり直しなさいって。バカなりに」

 土偶の余計な一言のせいでターヤの怒りは収まらないどころか火に油を注ぐ結果となった。

「失礼なこと言わないで! 人を何だと思っているのさ! もしもキジィが死んだら、あんたたちのこと、絶対に許さない。絶対よ! 覚悟しなッ!」

 顔を真っ赤にしてギャーギャーうるさいターヤの横に、土気色の顔になりつつあるキジィがゼーゼー言いながら座り込んで動けずにいる。

 そんな状況は、長くは続かなかった。とうとう遮光器土偶が折れたのだ。

「しょうがないわねえ。それじゃ女人国へ連れて行ってあげるけどさ、どうなっても知らないわよ」

 遮光器土偶は、自分だけさっさと光の中へ消えた。ターヤはへたり込んで動けないキジィを立たせようとしたが駄目だった。肩を貸して助け起こすもキジィはそこから一歩も歩けない。やむなくターヤはキジィを背負って光の方へと歩き出した。男の体だったときと違い、キジィの目方は軽かった。しかし少女の体に変化した結果、筋力が低下したターヤにとっては重かった。

 背負われているキジィが、呻吟するターヤの耳元で囁いた。

「ごめんなさいね、迷惑をかけてしまって」

 喘ぎながらもターヤは笑う。

「この苦労のお返しは、後でたっぷり払ってちょうだいよ」

 二人が恋人同士であることは、既に触れた。年齢は親子ほども離れているけれど、互いに深く愛し合っていて、良いカップルだった。二人の付き合いは、かれこれ五六年になるだろうか。出会いの瞬間から二人は恋に落ちた、というわけではない。当時ターヤは中学校の教員で、妻子もあって、仕事は熱心で夫婦仲は悪くなく子煩悩な善き父親ではあるが、家族がいないときに時折こっそりと女装する、その程度の変態で、自分の中に秘められた同性愛の傾向は意識していなかった。一方キジィは小学校高学年の頃から、自分は男が好きだと自覚していた。中学校に入ると同じ嗜好を持つ相手を探すために積極的な活動を始め、そういった男性――同年齢の相手は見当たらず、主に年上だった――とタコ足で交際するようになっていた。あるとき、それらの交際相手の一人から複数の交際を止めるように命じられ、それを拒否したら酷い暴力を振るわれて入院したことが切っ掛けとなって性癖が周囲に発覚してしまう。家族はキジィを別の中学校へ転入させた。そこがターヤの勤務する中学だった。転校の事情は生徒には知らされないが教員間では共有されていた。自分は女装家であるが同性愛者でないと思っていたターヤだったが、秘めたる性癖がバレて生活環境を変えなければならなくなったキジィの悲劇は他人事とは思えなかった。いじめられないように、十分に注意するようお達しがあったので、担任ではなかったけれどターヤはキジィを気遣い、優しく接してあげた。それが傷ついたキジィの心を癒し、それに対する感謝の思いが、いつしか恋愛感情へ発展したのである――むしろ新たな傷口を作ることになりかねない気がするけれど、怪我を恐れて恋はできない。向こう見ずな、あまりにも無茶なキジィのアプローチに当惑していたターヤだが、遂に教え子の愛を受け入れた。やがて、ターヤは二人の将来を考えるようになった。しかしどれだけ考えても、考え抜いても、未来は見えてこなかった。そんな二人が駆け落ちを選んだのは、客観的には損な計算として思えないけれど、歪な純愛を貫くためには必然だったらしい。いずれにせよ、他人が口を挟むことではないのだろう、多分。

 キジィを背負ったターヤが、かつて硬い岩盤があり、今は強い光を放っている空間へ足を踏み入れた。しかし、そこに床も通路も地面も無かった。一歩前に踏み出した次の瞬間、ターヤとキジィは自然落下し始めた。二人一緒にギャーギャー悲鳴を上げて墜落しながらも、ターヤはキジィを離さずキジィはターヤにしがみつく手を離さなかったのは、愛の深さゆえか、あるいは強い恐怖と緊張で体が硬直していたためか、それともその両方か? と考えたところで意味はない。それよりも、この現状を一体全体、どう解釈すべきなのか? そっちの方が大切だ。

「二人とも慌てないで! リラックスして、深呼吸でもしてみてよ」

 聞き覚えのある声だった。ターヤとキジィは周りを見回す。先程の遮光器土偶が斜め下の空中に浮かんでいた。

「ちょま、ちょ、ちょっと待ってよ、ここは何処なのよーっ」とターヤ49歳。

「落ちるぅーっ、落ちるのよ、落ちているのよーっ! 落ちるのは恋だけでたくさんなんだからねっ!」と、ショック療法が功を奏しアレルギーによる喘息発作が治ったキジィ29歳。

「ホント、男ってイチイチうるさいしネチッ恋わよね、間違えたわ、ねちっこいだったわ」

「だったらどうなっていうのさ! そんなことよりウチら墜落して死んじゃうわ」

 強い風に煽られ涙目のターヤを、キジィが背中からぎゅうぅっと抱きしめる。

「あたしはね、ターヤとなら平気よ。一緒に落ちて行っても、ターヤとならば何処へ落ちたとしても幸せよ」

 ターヤはキジィの手に自分の手を重ねた。

「キジィ」

「ターヤ、ターヤ、あんぅ、好き好き、超愛しているわ」

 キジィがターヤの背中に自分の腰をグイグイ押し付けた。しかし、あるものがないと調子が狂うようで、悲しげに呟いた。

「女の体って、駄目ね。あたし、どんな美少女になったとしても、不幸な気分がしてしまうみたい」

 さすが相性ぴったりのアベックなだけあって、気分はターヤも同じだった。

「わかるわかる、すんごくよくわかるわ。ウチも、熱いキジィを体の奥深くで感じたいの。背中越しなんて、絶対に嫌、絶対に、絶対イヤなのよっ! 皮膚ではなくって粘膜でキジィを味わいたいのよっ! 味わい尽くしたいのよっ!」

 外見は美少女でセリフは美食家、中身はオカマの中年オヤジであるターヤを見て、遮光器土偶は感に堪えないといった風情で言った。

「うん、あんたたちは本物の女じゃないけれど、中身は女なのかもしれないわね」

 そして遮光器土偶はターヤとキジィに近づくと、二人の体に半透明の白く輝く布を掛けた。その布に包まれると、二人の落下速度は次第に減弱していった。やがて落下は止まり、二人は中空でふわふわと浮遊した。

「お空に浮かんでいるけど、何なの、これ?」とターヤが首を傾げる。

「凄く肌触りが良いわぁ」と布地を頬をすり寄せてキジィ。

 これは天女の羽衣なのだと遮光器土偶は説明した。それを聞いてターヤは「これって、まるで『魅せられて』を歌ったときのジュディ・オングの衣装みたいじゃない」とキジィに言ったがキジィは何のことだか分からず、超えられないジェネレーションギャップを痛感した。

「歌謡曲については答えられないけど」と前置きしてから遮光器土偶は「重力制御が可能な繊維で織った布地なの」と言った。その説明を理解したのかしていないのか、どっち何だか見た目では見当もつかぬ天然素材のキジィが質問する。

「何処で売っているの? あたし、欲しい!」

「非売品」

「あら残念。じゃあさ、それはともかくとして、ここは何処なの?」

 落ち込んでいるターヤの背中に背負われたまま、キジィが遮光器土偶に重ねて質問する。

「下を見てごらんなさい」

 言われるがまま下を見ると、足元には緑の陸地と、そこを流れる川や湖らしきものが広がっている。打ちひしがれていたターヤの気分も、珍しい眺めのおかげで上がってきたようで、明るい調子でキジィに言った。

「地下に大きな空間があって、そこに別の世界があるなんて、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』みたいね」

 キジィは『地底旅行』またの名は『地底探検』と呼ばれる古典的な空想科学小説について何も知らなかったが、今回はターヤに調子を合わせた。

「そうね、あたしもそう思ったところよ」

 遮光器土偶は二人に「上を見てみなさいな」と言った。二人が見上げると、頭上にも緑の大地と川や湖沼がある。

「?」

「?」

 混乱する二人に遮光器土偶は言った。

「ここはね、月の裏側に浮かぶスペースコロニーの内部なの」

 スペースコロニーとは宇宙空間に建設が検討されている、人類が恒久的に居住可能な巨大な建造物である。宇宙植民地という別称から察せられるように、地球以外への植民が開発の念頭にある。宇宙に植民地があれば、領土を巡る地上の紛争は激減するのでは……という希望が込められた研究だが、スペースコロニーを建設するより他国の人間を殺して領地を奪った方がコストパフォーマンスが良いらしく、実現のめどは立っていない。

 それなのに、女人国では既に現実のものとなっているらしい。ターヤは素直に感心した。

「人間の体を一瞬で変化させる謎の魔法だけじゃないのね。重力を制御する羽衣に、スペースコロニー建設、そして地上からスペースコロニーへの瞬間転送技術……女人国の科学技術は、あたしたちより遥かに高度なのね」

「あたしたちはスペースコロニーなんて造れないけど、スペースシャトルは飛ばしているわ。こんなのが宇宙に浮かんでいたら、ナイスガイの宇宙飛行士たちに発見されるんじゃないの?」

 キジィの質問に遮光器土偶が答える。スペースコロニーは地球と月との引力バランスが安定する空間、通称ラグランジュポイントに建設が予定されている。女人国は、ラグランジュポイントの代わりにランジェリーポイントという半球と半球の境界線にある、見えそうで見えないギリギリの部分にスペースコロニーを設置した。

「ここなら男たちの嫌らしい視線を気にせず、おしゃれを楽しむことができるのよ」

「でもさ、変じゃない。これだけ技術が進歩しているのに、男の肉体が欲しくてさ、あたしたちの体を奪ったんでしょ? 自前で好きなだけ作れるんじゃないの」

 諸般の事情で中学を卒業していないキジィだが、大卒で教員免許ありのターヤより頭の冴えを示すときがある。今回がそのときのようだ。

 遮光器土偶は二人に尋ねた。

「自分たちの体を、どうしても取り戻したい?」

 二人は頷いた。

「一応、聞いてみるけどさ、約束だから返してもらえないかもしれないよ」

 ターヤが言った。

「担当の人に確認してみて」

 キジィも言う。

「あたしたちの体が今どうなっているのか、この目で見たいの。今すぐにでも」

 遮光器土偶は自分の後を付いてくるよう二人に言った。宙に浮かんでいたターヤとキジィは天女の羽衣に包まれた体で犬かきをして遮光器土偶の後を追った。円筒状のスペースコロニー内部を六分割した三面に設置され、外部から太陽光を取り入れる巨大な窓の前に彼らは移動した。そこから広大無辺な宇宙が見える。青い地球が、まん丸のお月様が、二人の眼に映った。あそこに輝く眩しい天体は太陽なのだろうか? いや、違う。太陽は別にある。

 無言で遮光器土偶が二人にサングラスを差し出した。ターヤとキジィは受け取って掛けた。黄金色の謎めいた天体を見る。二人の目に、自分たち二人が見えた。全裸で抱き合っている。大きさは月と同じくらい。明らかに大きくなっている。

 巨大化した筋肉ムキムキの全裸男性二人が、夜の宇宙で抱き合い輝いている、その光景を女人国の女性たちは眺めて心を癒すのだと遮光器土偶は言った。

 ターヤは率直な感想を述べた。

「あれを見て心が癒されるって、あんた……女人国の女って、どんだけ精神を病んでいるのよ」

 キジィは別の感想を抱いた。

「あれ、とっても素敵やん。ねえ、あれ、とっても素敵やん」

 そしてキジィは遮光器土偶に、あの状態で何日ぐらい持つのかと尋ねた。特殊加工を施してあるので宇宙でも半永久的に持つし、光が弱くなれば前身の穴という穴から精力剤入りのエナジーを注入するので、ギャラリーの女性たちが小さな連星と化したターヤとキジィの肉体美に飽きてしまわない限り、夜空に輝き続けるだろうと土偶は保証した。

 その答えを聞いたキジィはターヤに、自分たちの体は返してもらわなくてもいいんじゃないかと言った。ターヤはキジィからの頼み事に弱い。ターヤはキジィに言われるがまま、自分の体を取り戻すことを諦めた。そして二人は今の美少女の姿のまま、月の裏側にある女人国のスペースコロニーで暮らすことになった。そして私は、いつの日か月の裏へ向かうであろう宇宙飛行士が、そこで女人国の宇宙植民地と輝きながら全裸で抱き合う二人のマッチョに目を奪われることになる、と予言しておこう。

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