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@umibe

第1話 一目ぼれ

 今日、僕らのクラスに転校生がやって来るらしい。それが理由で、朝のホームルーム前の教室は皆少し落ち着きがない。


 確かに転校生が来るというのは、学生生活において中々ないイベントである。僕の場合は小・中の9年間では一度も経験することがなかったので、今回が初めてだ。というか、そもそも殆どの人はそんなイベントはなく学生生活を終えるのだ。僕は幸運なのかもしれない。


 しかし高校2年生の6月に、海辺の田舎町に転校してくるとは、一体どんな家庭の事情があったのだろうか。まあ考えられるのは親の転勤とか? それぐらいしか思いつかない。


 窓から外を見ると、梅雨なので空模様は曇り、ぽつぽつと雨が降っている。新たな出会いの日にするには、嫌な天気だ。


「おはよう岩本」と僕に話しかけてきたのは、一つ前の席の白崎桜しらさきさくらだ。


 彼女とは小学校から一緒の、所謂幼馴染である。小学校低学年の頃などは下の名前で呼び合っていたのだが、学年が上がるにつれて何となく気まずくなり、気づくとお互いに苗字で呼び合うようになっていた。僕と彼女はそういう関係性だ。


「おはよう、白崎」僕は挨拶を返した。

「ねえ、どんな子だと思う? 転校生」白崎はミディアム・ボブの横髪を耳に掛けながら言った。

「皮膚が裏返ってる子らしいな、噂によると」


 白崎は僕の冗談を聞いて不機嫌顔になった。「もう、やめてよね、体がぞくっとしちゃう」

「ははは、悪かったよ」と僕は言った。「白崎は、どんな子だと思うんだ?」

「格好良い人だと良いな。どうせだったらね」

「格好良いって、どんな人のことを言うんだよ」

「あんたとは対極にいる人のことを言うんだよ」白崎はそう言うと立ち上がり、仲の良い女子グループの元へ行ってしまった。


 格好良い、か。あまり考えたこともないな。何が格好良くて、何が格好良くないのか。考えたことがないから、僕は白崎にあんなことを言われたのだろうか。いや、考えたところで結局変わらない気がする。僕は格好良くないのだ。


 僕は左隣の、これから転校生のものになる机を何となく見た。あと少しもすれば、ここに転校生が座っているのだ。


 僕は机の中から読みかけの小説を取り出した。しおりを挟んでいないから、どこまで読んだのか分からない。適当に半分くらいのページを開くと覚えのないシーンだったので、僕はそこからページを遡った。


 20ページほど遡ると読んだ覚えがあったので、僕はそのページから読み始めることにした。


 本を読み始めてから10数分が経ち、チャイムが鳴った。いよいよ教室のざわつきはピークに達し、もはやうるさい。


 チャイムが鳴り終えてから少し経って、がらがらと扉が開かれ、担任の小林が教室に入って来た。小林は体育が専門の教師で、いつもジャージ姿の女教師だ。


 小林は教卓の前に立った。「えー、皆さんにお伝えしていた通り、今日このクラスには、転校生がやって来ます。皆良い子だから私が言いたいこと、分かるよな」


 小林は自分がさっき通った教室の入り口に視線を移し「さあ、入って良いよ」と言った。


 教室中は静まり返っている。


 小林の合図から一拍して、転校生が教室の中に入って来た。


 静かだった教室は一気にやかましくなった。主に男子を中心に。


 転校生は女の子だった。長く真っすぐ金色の髪、綺麗な顔、ほっそりとしているが健康的な手足。


 僕が人生初めての一目ぼれをするのも、当然のことであった。


「まずは自己紹介だな」と小林が言った。

「はい」転校生は答えるとチョークを手に取り、黒板に『狐尾恋子』と書いた。


 てっきり横文字が掛かれるかと思ったが、全て漢字だ。しかし、狐という言葉を聞くと昔のことを思い出す。


狐尾恋子きつねびれんこです。これからよろしくお願いします」転校生は落ち着き払って我々クラスメイトにお辞儀をした。全く流暢な日本語だ。


 彼女は顔を上げると、ちらっと僕の方を見たような気がした。いや、僕を見たのではない。これから座る自分の机を彼女はきっと見たのだ。


「窓辺の一番後ろの机が、あなたの席よ」小林が転校生の顔を見て言った。

「はい」転校生はまたも元気よくそう答えると、クラスメイトからの視線と机の合間を縫ってこちらに歩いて来た。


 狐尾は席に着くと「よろしくね」と僕に挨拶した。

「よ、よろしく」僕はぎこちなく返事をする。


 それが、僕と狐尾の初めての会話。


 何か言葉を続けようかと思ったが、白崎が狐尾に話しかけたのでやめた。




 ホームルームが終わると、何人かの勇気ある者たちが、狐尾の元に詰め寄った。流石にその中に男はいない。


 狐尾は、出身地や、ハーフなのかだとか、外国語は喋れるのかだとか、様々な質問を投げられていた。


 気にしないふりをしながら狐尾がどう答えるのか耳を傾けていると、白崎が僕へ振り返りじーっと、見つめてきた。


「な、なんだよ」と俺は言った。

「さっき、声が上擦ってたね。『よ、よろしく』ってさ」白崎は楽しそうに笑った。

「聞いてたのかよ」

「ふふふ、でも、私と喋ってもああならないのはどうして?」


 白崎はわざとらしく首を傾げた。


「そりゃあ、白崎とは昔から一緒だから」慣れているから、今更緊張することはない。

「私と初めて話すのが今日だったら、岩本の声は上擦ったのかな」白崎は真顔になった。



 





 

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