第40話 婚約者達の日々

 あの船の上で、俺たちは婚約した。

 そして、これからだ…とは言ったものの。


「本当に大変じゃないか、なんなんだこれは…」


「すみません…どうしてもこれだけは白斗さんに書いていただかないといけないもので…白斗さんに苦労をかけるこんな制度を作った方は今すぐにでも消したいですわ…」


 消したいだなんて思ってはいないが、この書類の山を見ると俺もそれ系統のことを思わざるを得ない。

 美弦と婚約するというのは実際問題、口でいうほど軽いものではなく。

 天霧財閥に関わる書類や美弦の将来に関係する書類。

 それらの婚約者の欄に俺の名前を書かなければいけない、判とともに。

 つまり…純粋に名前を書いて判子を押す、という作業を数百回は繰り返さなければいけないということだ。


「お二人とも、ご結婚おめでとうございます」


「結婚…!?」


「神崎、まだ私たちは結婚していませんよ」


「そうでしたね、ふふ」


「ふふふ…」


 怖い、この感想に尽きる。

 その後俺は数時間かけて、ようやく一通り署名し終えた。


「疲れた…」


 名前を書くだけの作業だが、逆に変化球も何もないためゲシュタルトが崩壊しそうになってしまった。


「白斗さん、お疲れ様でした」


「あぁ…美弦は疲れてないのか?」


 美弦も俺と同じ量の何か作業をしていたようだが、見た感じ疲れていないように見える。


「私は慣れているので」


 慣れている…これだけの作業に全く疲れないほど慣れているというのは、口で言うよりも尋常ではないことだと俺でも分かる。


「肩をおほぐし致しましょうか?」


「いや、大丈夫だ」


「その…か、神崎、部屋から出て行きなさい」


「かしこまりました、お嬢様」


 神崎さんは小さく笑いながら部屋を後にした。


「どうして神崎さんに出て行けなんて言ったんだ…?」


「…神崎に見られているとできないようなことを、これからするからですわ」


「え?」


 それから露那は俺に抱きついた。

 俺も、婚約者としてそれに応じた。


「…先ほど、私の名義上の婚約者である方との婚約を破棄しました、これで本当に私たちは一生一緒に居ることができます」


 真面目な話が始まったため、俺たちは抱き合うのを解いた。


「婚約を破棄って…本当に大丈夫なのか?」


「はい!もちろん大丈夫ですわ」


 まぁ大丈夫じゃなかったら今頃こんなところには居ないんだろうが…


「白斗さん、私と婚約したということの意味、わかっていますわよね?」


「…あぁ」


 それはもう、美弦に婚約者に指名された時から幾度と無く考えてきたことだが、俺はそれらを吟味した上で、美弦と婚約するという道を選んだ。

 今更、それに対して後悔はない。


「仕事量とかやらないといけないことは、覚悟の上だ」


「…はい?いえ、そちらは少なくとも今のところはありませんし、今後もそれほど多くの量が増えるとは考えられていませんわ」


「…え?」


 だったらさっきの圧がすごい「わかっていますわよね?」というフレーズは一体なんだったんだ。


「だったら俺にわかって欲しいことっていうのはなんなんだ…?」


 あと考えられるのは美弦の…おそらくは数えきれないほどの親戚の人たちと仲良くなるために社交辞令を徹底的に覚えてもらうとか、海外に移住するために英語を覚えてもらうとか、そういうことだろうか。

 どちらにせよそれらも覚悟済みだ。


「それは…」


「…それは?」


「白斗さんが正式に私の婚約者になったということは、私は合法的に白斗さんに甘えても、もはやなんの問題もなくなったということですわ!」


「…つまり?」


「私は際限なく白斗さんとイチャイチャできる、ということですわ」


 真面目な顔をして美弦がこんなことを言ってるなんてもしニュースでも報道されたらおそらく大問題になるだろう。


「ということで白斗さん、今から私とイチャつきましょう」


「イチャつきましょうって…イチャつくって雰囲気とかでそうなるもんじゃないのか?」


「白斗さんが奥手なことはこれまでの人生で学習済みです」


「奥手って…今までは恋人でも無かったんだから奥手も何も無かっただろ?」


「いえ、普通の殿方ならせめて甘えてくるくらいのアクションがあってもおかしくないところでも、白斗さんは私に何もしてくださりませんでしたわ」


「普通たとえ幼馴染だったとしてもそうそう甘えたりなんてしない」


 俺の性格的に甘えたりすると自分の自分に対する見解との解釈不一致が大きすぎるしな、おそらく今後もそんなことは無いだろう。


「いいえ!白斗さんには私の婚約者になった以上、全力で甘えていただきます」


「甘えるって…強制されて甘えてるんじゃそれはただ言いなりになってるだけだろ?」


「…お口は達者ですわね、ではそのお口の達者さがお口だけで無いことを私に示してくださいまし!」


「…示せば良いんだな」


「…は、はい!そうですわ」


 俺は美弦の婚約者になったからには、もう以前のように尻込みする気は微塵もない、美弦に求められるのであればそれに全て応じると決めた上での婚約だ。

 俺は…で美弦に示した。

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