第29話 嗚咽

 沙藍が実はアイドルだということが分かってから1週間、俺は沙藍にとある提案を延々と受け続けている。


「先輩!お礼がしたいので是非旅行とか行きたい〜!」


「だからお礼なんてしなくて良いって何回も言ってるし、とうとう行きたいって言ったか…ただ沙藍が行きたいだけだろ?」


「先輩と〜!行きたい〜!」


 ここ最近こんな形で、本当に延々と付き纏われている。

 このままだと本当に年末どころか一生付き纏わられる可能性だってあるな、どうにか策を講じなければ。


「…分かった、行こう」


「やっと折れてくれた〜!」


「じゃあ次の休み時間、またこの教室前に来てくれ」


「は〜い」


 沙藍は満足そうにこの場を後にした。

 …沙藍と話していると周りから視線を感じる。

 最初は純粋にルックスが良いからだと思っていたが、おそらく学校内の大多数は沙藍がアイドルだということを知っているんだろう。

 なんのコミュニティにも参加していない俺だけが知らなかったというわけだ、なんとも悲しい。

 そして次の休み時間。


「で!どこに行くかの話のために私のこと呼んだんだよね〜」


「いや、違う、旅行するためだ」


「…へ?」


 俺はさっきの休み時間に準備したものを教室のドア上に貼る。


「…え、何?ビジネスホテル…?」


 俺はビジネスホテルと書いた紙をドア上に貼った。


「まぁ教室の中に入ってくれ」


「わかんないってば〜何これ」


 と言いつつも沙藍は面白そうに教室の中に入った。

 俺もそれと同時に教室内に入る。


「じゃあまた教室の外に出てくれ」


「え〜?」


 沙藍が出ると同時に俺も教室から出ると、そのビジネスホテルと書かれた紙を剥がした。


「何〜?今の」


「これで俺たちはビジネスホテルに一緒に行ったってことだから、もう当分旅行なんてしなくて良いだろ」


「…は〜!?は、は、は!?」


 沙藍はこれまでにないほど動転している。


「ちょっ、意味わかんないんだけど!今のが旅行!?」


「だってビジネスホテルなんて、旅行でも無い限り行かないだろ?」


「うわぁ…姑息…あんな紙に書いただけなのをビジネスホテルなんて言っちゃうんだぁ」


「1週間も断り続けてるのに折れないメンタルの方が俺は不思議だ、1回助けただけで良くそんなに思い入れがあるな…第一、こんなの良くあるだろ?わざと襲わせてそれを助けて…みたいな、最初から全部演技だったかも知れないだろ」


「いやいや、先輩そんな器用なことできないって」


「…は?」


 何故そこだけはそんなにも冷え切った声で言い切ることができるんだ、無性に腹が立ってきた。


「ちょっと待て、聞き捨てならない、これでも国語の表現力は5段階中4の評価を受けてるんだ」


「そんなので威張れちゃうところがもう答えっていうか〜?」


 沙藍はくすくすと笑っている。


「俺のこと馬鹿にしてるのか?」


「そんな…馬鹿になんてしてないのに…」


「え…?」


 沙藍は俺のことを馬鹿にしたかと思えば今度は突然その場で顔を俯かせ嗚咽を漏らした、どうせ演技だろうと思ったが実際に涙まで流している。

 沙藍はアイドルであって女優では無い、演技で涙まで流すのはおそらくできないだろう。


「悪かった、勘違いだ」


 泣かれてしまっては俺は謝ることしかできないため、俺は沙藍に謝っていると、周りに段々と人が集まってきた。

 …周りから見ると後輩を泣かせている先輩、最悪の図だ。

 この場をいち早く退散したいが…


「…先輩、お願いします、私と旅行に行ってください!」


「…え、旅行?」


 俺が勘違いして泣いていたはずなのに今度はいきなり話題が逆流した、どういうことなんだ。

 というかさっきまで全く敬語なんて使ってなかったのにいきなり敬語なんて使われると俺が畏怖のオーラを出してるみたいじゃないか。


「旅行…?」


「あの子ってあのアイドルの…?」


「それが旅行って…?」


「よく分かんないけどあの人が泣かせたのかな?」


「え、それサイテーじゃん」


 ちょっと待て。

 ここで断ったら今は静かな周りの人たちは絶対にブーイングを投げ、挙句の果てに俺は学校内で『後輩の女子を公の場で泣かせた』なんていう最悪の異名を持つことになってしまう。


「沙藍…?一旦場所を変えないか?」


 ここだと色々と誤解を生んでしまいそうだ。


「なんで場所を変えようなんて言うんですか?」


 周りから声が聞こえてくる。


「え、場所変えるって…」


「連れ込む気じゃ…」


「え、マジ最低なんだけど」


 これ以上を誤解を生むような真似はやめてくれ…こんなことでも俺のメンタルは簡単に病んでしまう…折衷案だ。


「分かった、旅行、行こう」


「やったぁ〜!」


 沙藍は嬉しそうに飛び跳ねている。

 周りの人も一件落着といった表情だ。

 …どうしてこんなことに。


「ちょっと待ってくださいまし」


 美弦がその周りの人たちの中から貫通して俺たちのところにやってきた。


「え、三角関係…?」


「うわぁ、修羅場だ…」


「わ、私そろそろ戻ろっかな…」


「私も…」


 周りの人たちは危機を察したのか皆各々の教室に戻っていったようだ。

 …これは確かに修羅場だ。


「白斗さん、経緯はわかりませんが、こんな嘘泣きに騙されないでくださいまし」


「…え、嘘泣き?」


「白斗さんだけでなく周りまで騙される演技は流石ですわね」


「…バレちゃった」


「はぁ!?」


 あれ演技だったのか…でもだとしたら腑に落ちないことがある。


「本当に涙は流れてた」


「あれは、先輩が変に威張るから笑っちゃって笑いすぎで涙が〜」


「笑いすぎで…!?」


 まだまだ俺も思慮が浅いな…笑いすぎと演技力であそこまで本格的に泣いて魅せられてしまった。


「こっちとしては旅行の確約取れっちゃったからもういいや〜って」


「待て、さっきのが嘘泣きだったならもう俺が旅行に行く筋合いは無い」


「そうですわ、白斗さんを旅行になんて、許しませんわよ」


「え〜、じゃあ私が学校中にやっぱり断られた〜って泣いて回っちゃうだけで、またさっきと同じ状況になるだけ〜」


「なっ…」


 そこまで考えての行動だったのか。


「…わかりましたわ、そこまで言うならどうぞお2人で旅行に行ってくると良いですわ」


「え…?美弦?」


 もっと反対するかと思ったが、意外にもあっさりだな。


「…大丈夫ですわ、策があります、私の白斗さんを略奪しようとしたらどうなるか、今度こそ徹底的に、ですわ」


 美弦はやられっぱなしでは終わらないと、笑顔ではあるがその笑顔にはどこか黒いものを感じる。

 こうして、俺と沙藍は今となってもどうしてこうなってしまったのかは不明だが、一緒に旅行に行くことになった。

 ただの楽しい旅行…というわけには行かないんだろう。

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