第1話 恋愛

「…婚約…?」


 俺は理解が追いついていなかった。

 婚姻届ってなんだ…?このひらがな文字で書かれたもののことか?

 待て、それよりも婚姻ってことは…え、これって。


「もしかして…告白ってやつか?」


「そんな下等なものと一緒にしないでくださいまし!私は生涯を共にしたいと思って言っておりますわ!」


「そ、そうか、悪かった」


 確かに今のは悪かった…が。


「美弦にはもうすでに婚約者がいるだろ?」


「……」


 そう、美弦は財閥の娘、というだけでもう生まれた瞬間から婚約する相手は決められていた。

 そこにはきっと大人の触れたくもないような陰謀があるんだろうが、それは俺がどうこう口出しすることじゃない。

 とにかく美弦にはもうすでに婚約者が居る。

 俺がこれを現実として追い付けていなかった大きな原因はそこにある。


「もう婚約者がいるのに俺に婚約─────」


「どうでもいいですわそんなことっ!」


 …え?


「私は白斗さんと一緒に居たいんですのっ!どうして目の前に世界最高峰の宝石があるのにそれをみすみす手放してどこの誰ともわからない人と婚約しないといけませんのっ!」


「悪い、ちょっとよくわからないんだが…」


「とにかくっ!白斗さん以外と婚約なんてしませんわっ!絶対に!天地がひっくり返ってもっ!誰にも反対させませんわっ!…白斗さんの前でこんなに情を乱してしまうとは…すみません」


 どうやら落ち着いてくれたようだ。

 婚約…立場的に考えるとどう考えても美弦は俺と婚約するような立場の人間でないことだけは明らかだ。

 普通に考えて俺と美弦が婚約なんていうのは有り得な…普通?


「み、美弦?」


「なんですの?」


「こ、婚約の意味わかってるのか?」


「はい」


「要は、その…ゆくゆくは結婚するってことだぞ!?」


「もちろん、そのつもりですわ」


 美弦は全く焦りや動揺を見せない。

 むしろ何故か誇らしげな態度をとっているぐらいだ。


「本当なら今すぐにでも他の女性と出会わないように結婚という名の軟禁を行いたいのですが、この国ではどうもそうはいかないようでございまして、ですからまずは婚約という形を取らせていただこうと思っていますわ、昔婚約届にサインしていただいたのも全てはこの瞬間のため…今から結婚する瞬間が待ち遠しいですわ」


 早口すぎて何を言っているのか聞き取れなかったが嬉しそうなところを見るにおそらく解釈は合っているらしい。

 …が。


「そ、れって…その…お、俺のこと好きってことなのか…?」


「はい?もちろんですわっ!」


 なんだか違う意味の好きで捉えられている気がする。

 もう少し具体的に説明しよう。


「そうじゃなくて、恋愛的に俺のことを好きなのか?」


「…はぁ、ですわ」

 

 美弦は溜め息を吐いた。

 俺のことを好きなのかにそんな落ち込んだような溜め息を吐かれると俺のことを婚約者に指名してきた意味がわからなくないんだが。


「俺のこと好きじゃないならどうして俺のことを─────」


「そうではありませんわっ!そうではなくてっ!」


 こんなに俺の言葉を遮る美弦は本当に珍しい。

 たまにが揃った時ぐらいしか美弦がこんなに感情的になることはあまりないため、俺は少し驚いている。


「どうして気付いてないんですのっ!?」


「気付く…?」


「今まで私がしてきた数々のアプローチにですわっ!」


 アプローチ…?


「そんなことされた覚えないんだが…?」


「〜〜〜!今までいっぱいしてきましたわよ!」


「た、例えば?」


「中学生の時白斗さんの隣の席になった際には露骨に消しゴムを落として手と手を重ねたり…!」


 そんな小さなことで恋愛感情があるなんて思うわけがない。


「あとずっと一緒に居ましょうと幼少期の時から言っていましたわ!」


 それは幼馴染としてこれからも仲良くしてって意味だと思っていた。


「そして極め付けには白斗さんがゲームという娯楽機械でお遊びになっている時後ろからだ、抱きついたりもしましたわ!」


「普通に悪戯だと思ってた…」


「なっ…!」


「あ」


 心の中だけで留めておくつもりが口に出てしまっていた。


「今までの私の努力が今この瞬間徒労に変わりましたわ…」


 美弦はさっきの比にならないほど落ち込んでいる。


「…とに、かく、俺のことが好きってことなのか?」


「そうですわよっ!そうでないとわざわざ毎日のようにメールしたり登校したりましてや同じ中等教育学校、高等教育学校に進学なんてしませんわよ!」


「そう、か…?」


「そうですわっ!」


 今まで全く気付いていなかったがどうやら美弦は俺に恋愛感情を抱いているらしい。

 俺も美弦のことを恋愛的に好きか嫌いかで言えば確実に好きという方に傾いているが、そもそも色々と弊害が多すぎる。


「ですからっ!私と昔書いていただいたこの婚姻届に則って婚約して欲しいんですのっ!」


「悪いがそれはできない」


 俺は美弦の誠心誠意の言葉を無碍にするようなことを言うが、ここで優しさで適当に返事をする方がその誠意を無碍にしている気がするのでしっかりと断っておく。


「ぇ…?な、何故ですのっ!?」


 美弦には断られる覚えなどないらしい。

 確かに美弦自身に限って言えば容姿端麗、頭脳明晰、性格良好と何一つ俺が断れる要素なんて無いだろう。

 だが…


「まず、立場が違いすぎるんだ」


「立場…ですの?」


「あぁ、美弦は天霧財閥の娘でかくいう俺はと言えばどこにでも居る普通の高校生の庶民なんだ、昔で表すと王族と農民が結婚するみたいなものだ、あり得ないだろ?」


「そんな…不公平ですわ!」


 このように昔で表すと自分が王族側であるのにも関わらず、農民側の意見に立って本気で怒られるぐらい美弦の性格は良─────


「どうして私が財閥の娘だからという理由だけで白斗さんと婚約することができませんのっ!?そんなの不公平ですわ!」


 性格は良い、と言おうと思ったがこれを例にするとなんだか意味が違ってくるような気がするので今はとりあえず撤回しておこう。


「はっ…!わかりましたわ!」


「わかってくれたか」


 そもそも美弦と幼馴染として友達になれてるのが奇跡なんだ、その奇跡に感謝して今まで通り順当に仲良くするのが良いだろう。


「天霧財閥を倒産させればいいんですわっ!」


「は!?」


 頭の理解が追いつかない。

 美弦は今の俺とは逆で感情が爆発して理性が追いついていないのか?


「そうすればっ!私たちを阻むのは全てなくなりますわ〜!」


「待て!ちょっと、待て!」


 俺は一旦美弦を落ち着かせる方向にシフトする。

 どうすれば…そうだ。


「他にも、他にもあるんだ」


「…はい?まだありますの?」


「そうだ、まだ婚約できない理由がある」


 これでさっきの度の超えた発言を一旦落ち着かせることができるだろう。


「それで、なんですの?」


「……」


 咄嗟に言ったが他に理由なんてそうそう見当たらない…何度も言っている通り美弦は非の当てどころがない人間だ、恋愛的でかつ否定できない、そんな理由…見つかった!


「実は最近好きな人が──────」


 俺がその嘘を吐こうとしたところで、突然リムジンのガラスが割れた。

 …その理由は、である。


「え…!?は、は!?」


 俺は脳内が大パニックになる。

 訳が分からないがとりあえず…手だ。


「手を見せろ、美弦!」


 俺はガラスどうこうの前に美弦の手を確認する。

 グラスがどれほどの硬度が分からないがガラスを割ったなら多少怪我をしていてもおかしくない。

 確認すると、実際に少しではあるがガラスの破片で美弦の手に傷が入っていた。


「とにかく、一旦消毒してから絆創膏でも貼─────」


「白斗さん」


 ─────パニックになっている俺の脳内を一瞬で冷却させる、そんな声だった。


「いつもならその優しさはとても嬉しいのですが、生憎今はそれどころの事態ではございませんの」


「は、は…?」


 何を言ってるんだ…?

 と言うかなんでいきなりガラスを割ったんだ?

 冷却された俺の頭がまたも考え始める。


「教えてくださいまし、とはですの?」

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