取り合ずそこにあるものを食う

 藍繪らんかい正真しょうまがいた前の世界では、それこそ<美味いもの>など日常にありふれていた。

 何しろ、

『美味いものを食いたい!』

 というあくなき欲求がもはや変態レベルに達し、

『異常に美味い物が当たり前のように日常に溢れている』

 のは事実なのだ。

『こんな不味いものが食えるか!』

 などと言われることもあるようなレベルのものであっても、『他に比べれば美味いとは言い難い』というだけであって、実は十分に美味いものであったりもする。加えて選択肢が多いことで自身の<好み>を優先することもできた。だからそんなことが言えた。

 が、残念ながらこちらの世界では、

『取り合ずそこにあるものを食う』

 以外の選択肢はなかった。

『もっと美味いものが食いたい!』

 などと思っても、他にないのだ。ないからそれを食うしかない。

『よりどりみどり』

『選び放題』

 およそ<底辺>と呼ばれるような者でもある程度は自分の好きなものを選べるようになったのも、近代以降の話であろう。

『なんでこんなもの……他にまともなのはないのか……!?』

 と藍繪正真が思っても、ないものはない。その宿屋のメニューは基本的にそれだけだ。

『素材の味が生きてる』

 と言えば聞こえはいいが、実際には、

『素材の味しかしない』

 と言った方が正しいだろう。

『とにかく食えて腹が膨れればそれでいい』

 的な考えが前面に押し出された、およそ<料理>とさえ言い難いものだった。

 ジャガイモらしきものと豆を、カボチャのような甘みのある野菜と一緒に煮ただけの煮物が、まるで盆のような大皿に山盛り出てきただけなのだ。

『二人で取り分けて食べろ』

 ということなのだが、藍繪正真はそれを、

『こういうのを<豚の餌>って言うんだろうな……』

 と思わずにいられなかった。

 にも拘わらず、正面に座ったデインは文句も言わずにそれをモリモリと食う。当然だ。デインにとってはこれが普通だから。文句を言おうにもそれしかないのである。批評をしようにも、

『文句があるなら食うな!』

 そう言われるのがオチだ。

 しかし藍繪正真の方は、ここに来て僅か一食目の食事で、既に前の世界の料理が恋しくなってしまう。

『くっそう…これに比べたらコンビニ弁当の方がよっぽど美味いじゃねーか……』

 合計四時間の徒歩の果てにようやくたどり着いた馬小屋同然の宿は、カビで真っ黒に変色した隙間だらけの木の板で仕切られただけの風呂場とも言えない小部屋でぬるま湯を浴びるだけの上に豚の餌の如き食事で、ベッドも木の箱の上に薄っぺらい毛布のようなものが何枚か敷かれているだけという有様に、自分が前の世界でいかに恵まれた生活をしていたのか思い知らされていたのだった。


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