これが普通

 なお、ここまで藍繪らんかい正真しょうま自身はそれどころじゃなかったこともあり気付いていなかったが、この世界では道端に人間の糞などは落ちていなかった。

 いわゆる<中世ヨーロッパ>の辺境の町を思わせる場所だったが、住んでいる人間の数がまだまだ少ないことで、道端に人間の糞がうず高く積もっているような状態ではなかったようだ。

 いや、それどころか、<広く古びた汚い小屋>のようにしか見えない宿屋ではあったものの、藍繪正真は気付かなかったものの、きちんとトイレが設えられていた。さすがに水洗ではないようだが。あくまで<おまる>に用を足してそれを外に設置された<便槽>に捨てる形ではあったが、少なくともその辺りに適当に捨てるような文化ではなかった。なのでそういう意味では『まだマシ』だったと思われる。

 そして人口が少ないからこそ、糞尿の始末は豚などにやらせていたのが間に合っていて、酷いことにはなっていない感じか。

 さりとて、前の世界の基準や感覚からすれば臭く、不潔な宿屋ではある。完全に保健所の指導が入るどころか、衛生面の点からおよそ宿泊施設としての許可は下りないレベルではあるだろう。

 とは言え、その辺りは技術が未発達なのでどうにもならない。さらにここで暮らしている人間にとってはこれが普通であって、誰も気にしていない。

 それでいて、藍繪正真にとってはとても寛げるような場所ではなかった。

『なんだよ、これ……!』

 粗末なベッドと申し訳程度の調度品が置かれた部屋には風呂もトイレもなく、どちらも共同である。各室に風呂とトイレが完備された宿泊施設など、それこそ近代以降の話なのだから。

 それでもここはまだ、『体を洗う』習慣は残っていた分だけ湯浴みができる<風呂のようなもの>があるだけいいと思うべきか。

 そして共同の湯浴み場で藍繪正真は汗を流した。と同時に、血まみれかつボロボロになっていたTシャツも洗う。血は完全には落ちないしそもそももはやTシャツとしてのていを為していない状態ではあったが、他に着るものがなかったことで洗い、それ以上破れないように手加減しながら絞って着た。

 その状態で、今はメシを食っている。

 にも拘わらず、他の客はさほど気にしている様子もない。近くで戦闘があれば、似たような格好の兵士が転がり込んでくることもあるからだ。 

 また、メシも、前の世界では刑務所に収監されている受刑者達の方がよほどいいものを食っているというレベルのものであるが、量だけはあった。

 なるほどこういう時代でも<美味い物>というのはそれなりにあっただろう。だが、そういう<特に美味いもの>は、どうしても一部の特権階級に独占されてしまっていたこともまた事実かもしれない。


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