神の導き

「~♪」

 碧空寺へきくうじ由紀嘉ゆきかは、気に入ったTシャツを見付けられて、鼻歌交じりに上機嫌で店から出てきた。多くの者はそのセンスに疑問を抱かずにいられないであろうが、彼女にとっては大変な<お宝>だったようだ。生まれてきて何一ついいことがなかった彼女は今、ようやく自身の生を謳歌することができていた。そんな風に思える出逢いを果たすことができたのだ。

 なのにその時、自分が何か異様な雰囲気に包まれていることに気付き、

「!?」

 ハッと身構えた。

 普通なら通行人が好き勝手に行き交っている筈の歩道に一人もおらず、やや離れたところで立ち止まっているのだ。

 まるで何かから逃れようとするかのように。同時に、スマホを掲げて写真や動画を撮っていると思しき者もいる。

「え……?」

 そして碧空寺由紀嘉が思わず振り返った時、そこに男が立っていた。

 パッと見には成人男性であるのは分かるのだが、年齢がまるで分からない。若いようにも見えるし、初老だと言われてもそうかもと思ってしまうような、痩躯の、無駄に背だけ高い男だった。

 見た目で年齢がよく分からなかったのは、造形の所為だけではない。男の表情があまりにも異様だったからだ。醜く歪んだそれは、もはや人間離れしているとも言えるだろう。

 藍繪らんかい正真しょうまだった。何本もの包丁を詰めたバックパックを背にし、ついに復讐劇の端緒を切るために行動を起こした藍繪正真がそこにいたのである。

 そして碧空寺由紀嘉は見た。掲げられた男の右手にギラリと光るものが握られているのを。

「キャーッッッ!!」

 突然のことに呆然としてしまっていた碧空寺由紀嘉とは別の女の悲鳴が、その場に響く。しかしそれは、藍繪正真を思いとどまらせることはなかった。それどころか逆に、彼の強張った筋肉のスイッチを入れさえした。

 だが、それと同時に、

「貴様、私の物に何をする…」

 という言葉が、藍繪正真の耳に届いてきた。囁くように小さく、しかし耳元で言われたかのようにはっきりと。

 その声はさらに続けた。

「人間同士で殺し合おうがどうしようが私にとっては単なる娯楽だ。が、私の物に手を出すというのなら、ただで済ますわけにはいかんな」

「……な……?」

 それは、人間の命すら凍りつかせる<呪いの言葉>だった。それを浴びただけで、藍繪正真の心臓は機能を失った。信号が乱れ、正常な鼓動を刻むことができなくなり、心室細動を起こした。見る間に血流が滞り、全身の機能もそれに伴って失われていく。なのに、

よろこべ、人間。貴様は選ばれたぞ。ぜひとも新しい世界で次なる人生を謳歌してくれ」

 という言葉だけは、はっきりと耳に届いてきたのであった。


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