茶色くてドロッとしたものをご飯にかけたアレ

藤井 三打

情熱と後悔、そして平穏

 茶色くてドロッとしたものをご飯にかけたアレ。

 こう聞いて、どう思うだろうか。

 俺ならまずはじめに、こんなことを言った人間にムカつく。わかりきっているものをわざと面倒に伝えているのだと、イラっとする。

 だが、待って欲しい。それはわかっているからだ。茶色くてドロッとしたものがルーであり、それをご飯にかけたらカレーライスだとわかっているからイラつくのだ。


               ◇


 ある日、世界からカレーライスが無くなっているのに気が付いた。

 そう、カレーだ。カレー。俺が三度の飯より好きな、いやさ毎日三度の飯にしているカレーライスが突如世の中から無くなっていたのだ。誰に聞いても、たいていの返事はなんだそれ?であり、話せば話すほど、人との距離はどんどん遠ざかっていく。説明すればするほど、ドツボにはまっていく。


「カレーライスってのは、茶色くてドロッとした……緩かったり硬かったり! とにかくそんなんをご飯にかけた食べもので、超うまいんだよ! 知らないのか!? つーか、覚えてないのかよ!」


 当時の俺のトークスキルが悲惨だったにしても、正直この説明はない。茶色くてドロッとしていて、時には緩かったり硬かったり。これでは、カレーに良く似たアレを想像してしまう。口の真逆、尻に関わるアレである。ここにカレーを追い求める俺の熱情を足せば、それはもはや特殊性癖の話である。


「は? そんな食べ物聞いたことねえし。学生の時、ずっと一緒に食べに行った? 部活の後に? そんな怪しい食い物を!? いやいや、キモいだろ!」


 友だちに聞いた時は、知る知らないで殴り合いまで発展した。


「ごめん。最近あなたが何を言っているかわからないの……わかれましょう?」


 恋人を執拗に問い詰めた結果、家から追い出されてしまった。

 とにかく、世間からカレーライスの存在が綺麗さっぱり消えていたのだ。ついでに俺の人間関係も崩壊した。

 必死に街を回ってみても、CoCo◯番屋は謎のおかゆライスのチェーン店になり、松◯は牛丼だけを売る店になっていた。個人店だって似たようなものだ。どこのレストランのメニューからもカレーは消え、専門店はみんな商売替え。お前らにプライドはないのか! お前らにとってカレーはそんなものだったのか! と叫びたくなる衝動を、どれだけ抑えたのかもはや覚えていない。抑えきれず警察に突き出されたのは二回なので、それよりは多いはずである。


 いったいなんでこんなことになったのかはわからない。だがこれは、死活問題であった。さっきも言ったように、俺はカレーライスが好きなのだ。毎日毎晩毎朝カレー、もう俺の身体の中には血液の代わりにルーが流れていると言ってもいい。そうでなくても、そんな心持で生きている。

 カレーがなくては生きられない。では、そんな人間がカレーを失ったらどうすればいいのか。


よし! 死ぬか! 


 絶望のあまり、こんな考えが少しだけ頭によぎったが、まだそこまで達観はしていない。俺のカレー愛はその程度だったのかと暗くなるが、それはそれとしてまだ生きていたい。こんなわけもわからぬまま生きる望みを剥奪されたままで、終わりたくはない。

 世界にカレーライスがないなら、俺が作ればいいのでは? 

 この結論に達するのは早かった。なにせ人間、そう死にたくはないのだ。


                  ◇


 この世界からカレーライスは無くなった。だが、無くなったのはカレーライス、いわゆる日本式のカレーライスのみであり、インドやタイやパキスタンといった様々な国のカレーは残っていた。

 そして、固形ルーも残っていた。調理の後に水分を飛ばし固形化した市販の固形ルーが市場にあったのだ。ただしパッケージを飾るのは主にシチューの三文字である。レトルトもしかりだ。

 おかしい。カレーライスが世界から痕跡ごと無くなったのであれば、根源にあるカレーはまだしも、発展に寄与した固形ルーやレトルトも消えているのではないか。歴史からカレーライスが消えた時点でおかしいのだが、もっと大きな枠、食品全体の歴史からカレーライスだけを抜き取る。そんなことが可能なのだろうか? ただの異常ではない、尋常ならざる異常。神のような大いなるものの意志がなければできない、世界中の人間の論理や宗教観を揺らがす事態である。

 まあただ、そのような大いなるものとの対峙はどこかの英雄や宗教家がやるべきことだ。俺はただ、カレーライスをこの世界に蘇らせたいだけなのだ。このカレーやルーやレトルトを使えば、早急にカレーライスは再現できるはずだ。0から1を作るような苦闘を重ねなくてもいい。実にありがたいことだ。

 料理で言うなら、既に材料は集まった状態である。後はどう扱うか。どのように調理すれば、上手くできるのか。そう正に、カレーライスを作る工程である。


 まずは試行錯誤。材料を切り刻み、炒めるといった下ごしらえだ。

 集まった知識を総動員し、とにかくカレーとはどういうものなのかをちゃんと説明できるだけの理屈を作り、ああこういうものなのだとわかる試作品を作り上げる。俺は今まで、材料だけを集めて他人にそのまま食わせようとしていた。いわば、いきなり玉ねぎを丸のまま口に押し付けるような行為。これでは人間関係も崩壊するわけだ。


 次は焦らずじっくりと。カレーライスで肝心なのは煮込みである。

 練り上げた理屈と出来上がった試作品。これだけでは、カレーライスは蘇らない。俺は料理系の専門学校に通うことを選んだ。俺はカレーライスが好きだ。だが、料理に関しては素人である。料理の技術と知識を身につけることで、理屈と試作品のレベルを上げる。そして専門学校に通うことで、教師や料理人を志望する同期にカレーライスの概念を植え付ける。専門学校一つで広めても大したことはないが、カレーライスとは素晴らしくあり、この世界では斬新さもある料理だ。この専門学校から多く広がっていく可能性は大きい。技術と知識、そしてコネをじっくりと作るのだ。


 じっくり煮込んで、ルーをご飯にかければ、カレーライスは完成する。しかしここで忘れてはならないのは、お供となる福神漬けやらっきょうときれいな盛り付けだ。

 気は熟した。だがまだ足りない。専門学校から料理人に広がることで、おそらく将来的にカレーライスは蘇る。だが、どれだけ時間がかかるのか、どれだけ大きなムーブメントになるのかまでは読めない。次に俺がしたのは、TV局やYouTuberといった外に広める力を持つメディアと、もともとカレーライスの製造や販売で有名だった企業への売り込みである。自然発生的な口コミはどうしても怪しい人間やおぼつかない知識が広まる可能性もはらんでいる。ならば、早い段階で情報を広めることである程度正しい形にする。人が関わる以上、完全な正しさは無理でも、やらないよりはいい。

 更に企業にカレーライスを売り込むことで、メディアへのくさび役やクオリティの維持を務めてもらう。業界の秩序を保つには、やはり企業の力は必要不可欠である。このことは、様々な食品業界の歴史から学んだ。そして売り込んだ企業はみな、もともとカレーライスに関わっていた企業である。どの企業の人も、俺のようなカレーライスへの記憶は持っていなかったが、なにか欠けてしまったとの実感はぼんやり持っていたのだろう。どの担当者も、カレーライスの話をした時、食い気味だった。

 ただ広めるのではなく、広まった先の未来も考える。これこそルーをこぼしたりしない、きれいな盛り付けだ。


 こうして日々カレーライスの復活に邁進することで、ようやく世間はカレーライスに気づいてくれた。ヒモ同然の立場から一念発起して料理人に、そして様々な業界を周りカレーライスを広めた人間。カレーライスの復活は、やがて俺という人間をも高めてくれた。

 カレーライスを広めた男としての忙しい日々。そんな中、自分が過ちを犯していることに気づいたのは、成功の頂とも言える、アメリカでの各国重鎮向けのカレーパーティー直前のことだった。


                  ◇


 きっかけは、控室においてあったある雑誌の表紙のキャッチコピーであった。


『カレーライスを作った男』


 俺の作り笑顔の上に載った文字。きっと誰かが、俺が喜ぶだろうと気を利かせて置いてくれたのだろう。

 しかし俺が感じたのは喜びではなく、途方もない違和感であった。俺は、カレーライスを作っていない。広めただけだ。もともとあって、何故か皆が忘れたカレーライスを思い出してもらおうとしただけだ。

 当たり前だが、世間はそうは思ってくれない。あの男が知らないものを広めているのだから、きっとあの男が作ったのだろう。そう思うに決まっている。カレーライスの話をする際、その辺をボカすようにはしたが、そんなので誤魔化せるわけがない。あやふやな歴史は、誰かが埋める。当然、そのパーツは俺だ。自分がカレーライスを作った男と呼ばれるのはわかっていたのに、俺は事実から目をそらし続けてきたのだ。


 だいたい、俺はカレーライスが食べたかったのだ。カレーライスを失ったのが原因で、死にたくなかったのだ。自分が満足すれば、それでよかったのだ。そんな目的がいつの間にか、カレーライスを広めて蘇らせるに変わっていた。自分で作ったカレーライスが美味かった! これをみんなに知ってほしい! そんな衝動の過程もなく、作っているうちに食べるよりも広めることにすり替わっていた。そんな賢い話ではなかったはずだ。


 本能を忘れ、理性でただ広めようとする。俺はカレーライスを食べたいのではなく、カレーライスを支配し、従えるような立場になりたかったのでは。人によってはそれで満足感を得るだろう。だが俺は、既に納得できなくなっていた。俺はカレーライスの大ファンではありたい。でも、カレーライスのファン代表、それどころか支配者なんて目指してはいなかった。なのに後ろめたさを隠したまま、支配者の道を歩んでしまっていたのだ。


 もう少しでパーティーが始まる。始まってしまえば、おそらく俺は今の立場から抜け出せなくなる。違和感を抱えたまま、カレーライスにまつわるすべての栄光を手に入れられるだろう。それは、望んだ夢ではないと知りながら。


 まだ間に合う。

 お前はカレーライスを世間が忘れた時、まず何をしてどうなった。

 己の中の何かが、問いかけてきた。


               ◇


「カレギュウおまたせしました!」


 茶色くてドロッとしたカレーでないものを部屋に塗りたくり、アメリカでのカレーパーティーから脱走して一年。密かに帰国した俺は、ある店でカレーライスを食べていた。

 気が狂ったフリをして、周り全員の顔を潰す形での脱走。妙なタイミングでの失踪は誘拐説に暗殺説と様々な陰謀論を招いたが、ハッキリわかっているのは、俺が人間関係も大半の財産も失ったことだった。

 不思議なことに、あのカレーライスにかかわるすべてを放棄した日をきっかけに、世間はカレーライスを思い出し始めた。俺が広めた形ではなく、元のとおりに。カレーライスを忘れていたことを、忘れていたように。俺の決断がきっかけになった。それはうぬぼれ過ぎだろうか。

 眼の前のカレーライスに早速挑む。スパイシーな香りに、焼いた玉ねぎと肉の香ばしさとボリューム。うむ。美味い。実にカレーライスだ。正直、俺が必死に思い出したカレーライスより美味い。忘れていたカレーライスと思い出そうとしたカレーライス。共に多くの人が関わっているのに、このカレーのほうが上手く感じるのは、きっと始点のせい。俺が悪かったのだ。そう思えば思うほど、眼の前のカレーライスは一際美味かった。


「え? ここ松◯だよな!? 牛丼がなんで無いんだよ! 牛丼を知らない? ほらえーと、牛の薄い肉と玉ねぎを煮込んだのをご飯にかけたやつ!」


 店員に掴みかかる勢いで、誰かが必死に叫んでいた。


~了~

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茶色くてドロッとしたものをご飯にかけたアレ 藤井 三打 @Fujii-sanda

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