卒業試験
炭弥
1
「あーあ、遂にこの時が来ちゃったか……」
今日は私の人生において、とても重要な一日だ。
卒業がかかった大事な試験。その直前。
初めて大学の留年が決まったあの年以来、もう何度この試験を受けたのだろう。
今回ばかりは絶対に受かんなきゃいけない。
この試験に落ちたら、これまでの努力が水の泡になってしまうから。
でも大丈夫。
何回も何十回も予習復習はした。
私より一足先に社会人になった
「
だけどやっぱり不安だなあ。
合格率も70%くらいって言うし。
実際にその残りの30%に私は何回もなっちゃってるわけだし……。
なまじ勉強は得意な方だから、今までテストというテストはほとんど苦労せずにクリアしてきたけれど、どうもこの試験だけは相性が悪かった。
その不安を誤魔化すように試験前最後の隙間時間を使って、右ポケットからスマホを取り出し、アニメを見た。
私の内定先のアニメ会社が三年前に製作した、大好きなアニメだ。
おかげでいくらか緊張がとけた。
でもこれで卒業逃したら、内定取り消し確定だもんなあ。
せっかく多くのお偉いさんたちが私の採用を決めてくれたのに、卒業できないせいで入社取り消しなんて笑えない。
現実は無慈悲なり。余計にプレッシャーがかかることまで思い出してしまった。
あーもう、やめやめ、マイナス思考禁止!
とりあえず、今は目の前の試験を突破することだけを考えなきゃ!
そう自己暗示し、試験本番に挑んだ。
◎ ◎ ◎
「沙夜ーー!卒業おめでとーー!」
小さな地元の居酒屋で、英莉は私の祝勝会を開いてくれた。
試験の結果は合格。私は無事、卒業と同時に内定の確約を勝ち取ることができた。
「もう、恥ずかしいから大声出さないで。そんな大したことじゃないでしょ」
「十分大したことでしょ。これで沙夜も無事、社会人の仲間入りだね」
「入社式は来月だからまだ先だけどね」
「細かいことは気になさんな。ほら、今日は卒業祝いだから、全額私の奢りよ。じゃんじゃん食べて体力付けて。社会人の先輩としての私からのご厚意、受け取って」
英莉はメニューの端から端まで美味しそうな料理を次々と注文しては、その度に私の好きな厚揚げだとか、とり天だとか、エビフライだとかを丁寧に取り分けてくれた。揚げ物好き過ぎでしょ、私。
私の好みを的確に把握している英莉に対して、少しむず痒くなる。
そんな恥ずかしさを誤魔化すように、私はちょっとだけ英莉に意地悪を言った。
「たかが自動車学校卒業したくらいでこんなに祝ってくれるの、世界中探しても英莉しかいないと思うわ」
「……何言ってるのよ。全然『たかが』なんかじゃない。沙夜がどれだけ頑張ってきたか、私知ってるから――」
そういうと、英莉は目元に涙を浮かべた。
私もそれにつられて、泣いてしまった。
「去年、沙夜が大学卒業した時、私、何もしてあげられなかった。おめでとうって言っていいのかなって。お祝いしてもいいのかなって、全然わからなくて。ごめんね、あの時はこうやって直接お祝いしてあげられなくて、LINEで済ましちゃって」
「ううん、全然いいの。私の方こそ、あの事故以来、ろくに顔も合わせなくなっちゃって……ほんとごめんね……」
「いいんだよ……全然、気にしてないよ……」
私たちはすんすんと鼻を鳴らしながら、お互いを励ましあった。
今から二年前の春。当時大学四年生だった私は、夢であったアニメ会社の制作進行の内々定を勝ち取った。将来の夢が現実になるのだと、胸を躍らせていた。
但し、内定確約には一つだけ条件があった。
入社までに、自動車運転免許を取得すること。
アニメの制作進行というのは職務上、原画回収や各メーカーとの打ち合わせ等で、どうしても車を運転する機会が多い。
もちろん募集要項にも「要:普通運転免許」の記載があったことは把握していた。
私は内々定当時、免許を持っていなかったけれど、人事の方からは「来年の春までに取ればいいから、残り一年の学生生活、ゆっくり楽しんで」と言われた。
私はその言葉に甘えて、悠々自適な日々を過ごしていた。
その年の夏、私は交通事故に合った。過失割合10:0の事故の被害者。
一命は取り留めたものの、脳出血の後遺症により、左前腕部に麻痺が残った。利き腕じゃなかったことだけは、不幸中の幸いだった。
――当然、免許なんて取れる状態じゃなかった。肉体的にも、精神的にも。
事故後最初の一年は大学を休学した。内定も、もちろん断るつもりだった。
そもそも入社条件を満たせないのだから。
けれど会社は、状況を加味して二年間の猶予をくれたのだ。
その二年間で、私はリハビリに勤しんだ。
一年でなんとか日常復帰を果たし、大学も卒業した。
次の年。つまりこの一年で、免許取得を目指した。
左腕が思うように動かなくて、技能試験を何回も落とされてしまった。
途中何度も挫けそうになったけれど、その度に英莉がLINEで支えてくれた。
そして遂に、入社前最後のチャンスで、自動車学校を卒業することができた。
無事この春から、制作進行としての入社が正式に決まった。
あ、ちなみに学科試験は余裕だったよ。「勉強」は得意だからね。
*
入店直後とは打って変わって、すっかり湿った空気になってしまった。
「こういう姿、あんまり友達には見せたくなくて。だからこの二年、みんなには顔合わせられなくて。……合わせたくなくて。すっかり友達いなくなっちゃった」
私は自嘲気味に微笑み、続けた。
「でもね、英莉だけは違った。毎日毎日、LINEくれて。連絡くれて。メンタル崩してる時もあったから未読スルーしちゃうこともあったけど、それでも途切れることなく連絡くれて」
「そんなの全然、大したことじゃないわよ」
「十分大したことだよ」
さっきとは真逆のやり取りになっていて、可笑しくて、私たちは顔を合わせて笑った。
英莉のおかげで私はこの二年間頑張れた。救われた。
だから英莉にだけは、この姿を見せても良いと思えた。
「まだ左腕、動かないの?」
「うん、あんまりね。でもね、もう大丈夫だよ」
――だって、動かない左腕の代わりに、英莉が何度でも私を動かしてくれるから。私の左腕の代わりに、なってくれるから。
この二年間で、大学四年生の就活していた当時より一層アニメの制作に関わりたいという気持ちが強くなっていた。
私が携わったアニメが、世界の誰かにとっての「左腕」になってくれればいいな。
――なんてね。
卒業試験 炭弥 @Sumiya1111
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