第20話 ハンカチに移ったコンシーラー



 サンドローは部下に持ってきてもらった被害者の衣服に残されていたオレンジ色の頭髪をまじまじと見たが、どうしてルードリック・フリオンが未登録のマジックイミテーションで、現場に残された二本の頭髪の謎と、被害者の最後の言葉の謎が解けるのか。

 サンドローは悩んでいるせいで眉間に皺を寄せたままカラットのことを見て視線だけで続きの説明を要求した。


「ルードリック・フリオンのマジックイミテーションはおそらく頭髪限定の変異でしょう。頭髪限定ですが、長さも色も好きに変えることができるもの。どうして分かったかと言えば、十八時四十九分ごろに防犯カメラに映っていた金髪と十九時過ぎに防犯カメラに映っていた人物は同一人物のように見えて一部異なっていたためです。これは私もマジックイミテーションなので分かることですが、マジックイミテーションの力を発動するには集中力と冷静さが必要になります。彼は被害者を撲殺するときに動揺した。普通の人間であれば人を殴り殺すのに動揺しないわけがありません。その時にマジックイミテーションが不安定になってしまった。そのせいで現場に残った髪の毛があんな変わった色だったのでしょう」

「まさか、人を殺すという動揺によって髪の毛が変異し、オレンジ色にまだらになってしまったとでも?」

「ええ」


 確かに本当にルードリック・フリオンがマジックイミテーションで、カラットの言ったような能力を持っているのであれば、ウィッグを被る必要がなくなる。そうすれば彼が自分の部屋がある六階に行くためにエレベーターに乗り込んだ後、エントランスに金髪の人物が姿を表すまでの約一分半の間に着替えさえすれば良くなるので、ルードリック・フリオンが金髪の女性の姿を防犯カメラに残すことは可能なはずだ。


「ルードリック・フリオンは非常に上手く、自分だとは思われないようにマンションから出ることに成功しました。しかし、犯行時に激しく動揺し、変異に影響が出てしまった。そのため現場に残った髪はオレンジ色でまだらな模様が入っており、さらにその変わってしまった色を元に戻そうとしたものの平常心が保てず、金髪の人物がマンションから外出するときと帰宅したときの髪の長さ、色が異なってしまったのでは、と私は考えました」


 とんでもない話だ。とんでもない話だが、一応、一応だが筋は通っている。


「そうだ、被害者の最後の言葉はどうなんです?」

「被害者、ウーラ・マレフは『け』『か』という言葉という言葉を残しました。私はなにも何の根拠もなしにルードリック・フリオンが頭髪の変異のマジックイミテーションだと言ったわけではありません。ウーラ・マレフはおそらく、『かみのけ』と言いたかったのではないでしょうか」


 ウーラ・マレフの最後と言葉が『かみのけ』になるのは分からなくもない。それでルードリック・フリオンが頭髪を変異させられるマジックイミテーションだという発想に至るのも理解できる。しかし納得までは微妙だ。

 これまでのカラットの話は全て推測のみで決定的な証拠がない。これでは、たとえ本当にルードリック・フリオンが真犯人だとしてもを逮捕することができない。


「しかし結局それはミスターカラットの想像でしかないでしょう。証拠がありません」


 ここまで推測でしか話をしてきていないカラットにサンドローは少し失望していた。これではミスターカラットは自分の思っていたような人物ではなかったということになってしまう。しかしカラットは表情を少しも崩すことなく、サンドローを指さした。


「あなたこそ何を言っているんですか、サンドロー警部。証拠ならあなたの手の中にあるでしょう」


 カラットが指をさした先、それはサンドローではなく、サンドローの手の中にある頭髪だった。


「ねえ、サンドロー警部。その頭髪がルードリック・フリオンのDNAと一致するか、検査されましたか?」



 それからサンドローは取調室を慌ただしく出ていった。サンドローは部屋を出る直前にライラに一応まだ部屋で待機してくれと言い残したが、一緒に部屋に残ったテリーの言葉でライラは完全に力が抜けてへにょへにょになってしまった。


「まだもう少しこちらでお待ちください。ただ、DNA鑑定の結果がどう出るにしろリゲルさんは自宅周辺のカメラでアリバイがあります。また後日事情聴取をお願いするとは思いますが、この後それほど時間をかけずに帰宅していただけると思います」


 ライラはその言葉で涙腺が決壊し、ボロボロとと涙が溢れてきた。自分が殺人犯ではないと認めてもらえているという普通であれば当たり前の事実が今のライラにとってどれほど喜ばしいことか。

 いっぱいいっぱいになっているライラに後々気になって不安になるであろうことを冷静なカラットがかわりに聞いた。


「それで、彼女の借金はどうなるんでしょう。その闇金業者の人間が殺されてしまったことになりますが……」

「そちらについてもライラさんは昨日このアカモノ警察署に相談にきたとのことでしたので、相談を担当した警察官の指示で現在そちらの調査を行っています。それもこんな事件が起きてしまったので優先的にすすめられています。さらにあの闇金業者は私どもも目をつけていたところでしたので、今回ウーラ・マレフが殺害されてしまったことで遺留品などまあ、主にスマートフォンですがそこから摘発に繋げられると思います」

「そうですか……それではひとまずはライラさんは待機、ということですか?」

「ええ、ライラ・リゲルさん。もし万が一取り立てが来ましたら私どもにご連絡ください」


 ライラは服の袖口で涙をゴシゴシと拭うと立ち上がってテリーに頭を下げた。


「あの、本当にありがとうございます!」

「……いいえ、私どもこそ、疑ってしまい申し訳ありませんでした」

「そんな、お巡りさんはだって、疑うのが仕事ってよくいうし、その、とにかくありがとうございました」


 ライラは両手を振って言葉を探したが、なにを言えばいいのかわからず、もう一度深く頭を下げてお礼を言った。

 ライラは容疑をかけられたし、取り調べで辛い思いをしたが、それでも酷く怒鳴りつけられたりするようなことは一度もなかった。それが普通のことなのか多少慮られたのか定かではないが、何にしても警察だって仕事なのだ。ライラに容疑がかけられてしまうことも、取り調べが怖くて辛い思いを抱くことも彼らが悪くないことくらいライラにだって分かっている。

 テリーは今度は謝罪の言葉を口にせずに噛み締めるように「はい」とだけ言った。



 その後、ライラに帰宅の許可がおりるまでカラット達も取調室に残り続けてくれたし、ユーリエはずっと手を繋いでくれていた。

 ライラはだいぶ落ち着いてきたと思ったが、まだまだ涙腺が壊れたままで、緩くなった蛇口のようにポロポロポトポト涙をこぼし続けていた。

 時間がたって少し冷静になってきたライラは、自分めっちゃ泣いているじゃんと思って少し恥ずかしくなり、ユーリエが手を握ってくれているのとは反対のそで口で目元をゴシゴシ擦ったが、すぐにユーリエの白い手がそれを制止した。


「擦っちゃ、ダメ。これ使って」


 ユーリエはカーディガンのポケットから出した白いふわふわのハンカチをライラの手に握らせてくれた。


「あ、ありがとう」


 ハンカチがあんまりに綺麗なものなので使うのも戸惑ったが、せっかく貸してくれたので、クマと顔色が悪いのを隠すために塗ったコンシーラーを誤ってハンカチにつけて汚さないように気をつけながらそっと涙だけを吸わせた。


「あの、洗って返します」

「気にしなくても……ううん。やっぱり返しに来て。待ってるから」


 ユーリエは別にハンカチは洗って返されようが、洗わずに返されようが気にしない。むしろそのまま返ってこなくても気にしない。

 ただ純粋にユーリエはライラにまた会いたいと思ってハンカチを貸したままにすることにした。

 ライラはハンカチにシワをつけないようにそっと握りしめた。


「あ、そうだ。その、カラットさん、ユーリエさん、今日は本当にありがとうございました!」


 ライラはまだ二人にきちんとお礼を言えていないことを思い出した。

 二人は今日、ライラが鑑定所にいかなければ何事もない一日を過ごしたはずだろうに、ライラが店を訪れたばかりに彼らの貴重な一日を丸々潰す結果になってしまった。

 しかし二人が一緒に警察署まで来てくれたからこそライラは不安に押しつぶされそうになってもなんとか堪えられたのだ。その後だってライラが犯人ではないことを信じてくれて、どうしてサンドローにあんな執着をされているのかはよく分からないが九割九分九厘好きではないであろう人に関わってでも真犯人を突き止めようとしてくれた。まだルードリック・フリオンが真犯人と確定したわけではないが、ライラが今日この部屋で狂わないですんだのは二人がいてくれたからに違いなかった。


「いいんだ、気に病まないで。今日は帰ったらゆっくりおやすみ。それで日曜日と月曜日以外は店を開けているから手が空いたときに短剣を引き取りにおいで」

「はい、はい。ありがとうございます……!」


 ライラはまた涙が溢れてきた。ユーリエはそっとライラの手から白いハンカチを抜き取ってその涙を拭ってやった。今度はハンカチにコンシーラーが少し、移ってしまった。



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