第19話 ライラのアリバイ



 カラットはサンドローの言葉で三歩前に進み出た。ユーリエはその後ろからそっとカラットを追い越してライラの隣まで行くといまだに膝の上でペットボトルを硬く握り続ける手をとってそっと解き、ライラの手から取り上げた未開封のままのぬるくなってしまったストレートティーのペットボトルは無骨な机の上に置き、空いた手を繋いで握りしめた。

 ユーリエの行動にはカラットもサンドローもライラも驚いたが、ユーリエが静かにカラットの目を見たことで、カラットは一つ頷き、ライラの無実を証明するためにも口を開いた。


「まず、この事件の鍵は――」


 コンコンコン。


 カラットが語り始めるタイミングで部屋にノック音が響いた。

 せっかくミスターカラットがヒントではなく、直接推理を話してくれようとしているのに。サンドローは少しイラついたように眉間に皺を寄せて、それでもそれを声音に乗せることはせずに答えた。


「なんです?」

「失礼します。サンドロー警部、調査結果が出ました」


 取調室に入ってきたのは、先ほどライラの取り調べの時にテリーとは別に取調室内で待機していた警察官だった。確か彼はサンドローによって取り調べが一時中断された時、サンドローと一緒に部屋を出ていたはずだ。

 彼は部屋に入ってきてまっすぐサンドローに近づき、耳打ちをする。

 今サンドローから一番近い位置にいるのはカラットだったが、流石に話の内容は聞こえなかった。


「……そうか」


 サンドローは部下に一つ頷きを返し下がるように言った。

 それから少し考えるようにしたが、カラットの方をチラリと、しかししっかりたっぷり意味を含ませて少々ねっとり粘着質な視線を送ってからライラの方にゆっくりと振り返った。

 ライラはその視線がとても怖くて、蛇に睨まれたカエルのように硬直し、右手を握ってくれているユーリエの手を一瞬硬く握りしめてしまった。すぐに気がついて爪をたててしまってはいないか気にして手を離そうとしたが、逆にユーリエに強く握られた。


「ライラ・リゲルさん。あなたにはアリバイがあることが分かりました」

「えっ! そん、そんな、どうやって……」


 しかし告げられたのは予想だにしない言葉で、ライラは思わず座ってから一度も立っていなかったパイプ椅子から立ち上がった。

 ライラは事件があったという昨日の夜、家中から売れそうなものを探していた。それはもちろん一人で行っていたので、誰かに証明してもらうことはできないはずなのだ。それなのに、アリバイが証明されたとはどういうことだろうか。


「あなたの家の周りは最近、犬のフンの放置が問題になっていたそうですね?」

「へ……?」


 サンドローは急に突拍子もないを聞いてきた。確かにライラの家の周りでは悪質な犬のフンの放置がご近所問題としてあった。ライラの家があるブロックだけでなく、一本向こうの通りにあるブロックでも問題になっているらしい。警察に相談したり、警告文を掲示したり、放置された場所にチョークで印をつけたりしてここ一週間ほどでようやく見なくなったのだが。

 最近ライラの家のご近所で犬のフンが放置されていることと、ライラのアリバイに一体どんな関係があるというのか。ライラは分からないながらもとりあえずサンドローの質問に答えた。


「え、はい。この数日は無くなってきましたけど、ひと月ほど前にご近所の方に放置しないでくださいってポスターを掲示をしてくれないかって頼まれましたし、うちの前ではなかったですけど、二軒隣のお宅の前に何度も放置されてたって言うのも聞きましたから……」

「それの対策で防犯カメラを自主的に設置されたご家庭が何件かありました。ご存じありませんでしたか?」


 知らなかった。確かにそれらしきものを見たことはあったが、それはダミーを設置しているのだと聞いた気がする。抑止力として防犯カメラのダミーを設置して、防犯カメラがありますのシールを貼っている家が何軒かあったが、その中の幾つが本物の防犯カメラだったのだろう。


「いえ……確かダミーの防犯カメラをいくつか設置するって話は聞きましたけど、本物の防犯カメラは一軒のお宅が設置するとしか……」

「ええ、しかし実際には設置しているお宅は何軒かありました。元々防犯目的で設置しようか悩んでいたところ、犬のフンの被害を機に設置を決めたお宅があったそうです。そのほか趣味でバイクをやっている方が盗難やイタズラ防止の意味で防犯カメラを設置しているというご家庭がありました。リゲルさん、運が良かったですね、これらの防犯カメラに加え、ドライブレコーダーの映像から検証して、あなたが昨日昼過ぎに自宅へ帰ってから外出していないことが確認されました」


 サンドローはアルデバラン鑑定所に来る前に、ライラの自宅のへおもむいた際、周りの住宅に防犯カメラがいくつか設置されていることに気がついていた。

 さらにライラの家が立地的に、玄関が面している道路に出なくては家の敷地外に出られないことにも気がついていた。まずライラの家の玄関は東側に面している。南側には庭を挟んで住宅があり、北側には庭がないため同様に住宅がすぐ横に隣接する形で建っている。そして玄関裏にあたる西側には深く幅も広い側溝があり、高さはフェンス込みで三メートルをゆうに超える上に側溝の出入り口になっている階段まで二十メートル先は歩かなくてはいけない。つまり西側から出ようとすると怪我をする可能性が高い上に変なところを歩くので人にみつかりやすく、南側や北側から出ようとすると不法侵入になるという、運のいいことにこっそり人目につかないように抜け出すことが難しい立地であった。さらに玄関周りは背の高い木も生垣も塀もフェンスもない。そもそも隣人に見つからなかったとて西側には側溝があるので道路に出るには玄関から出るのとそう変わらないということになる。

 殺人事件を起こす前にお隣さんの家に不法侵入など流石にそんな通報されかねないことはしてないだろうと、ライラに電話をする前に部下に指示をして防犯カメラと近所の車に設置されたドライブレコーダーを全て調べるように指示していたのだった。

 そしてその結果、ライラの自宅前および周辺、側溝の出入り口まで死角なしに確認することができ、昨日はライラが昼ごろ帰宅してから一切外出していないことが確認されたのだった。

 サンドローの説明を聞いたライラは膝から崩れ落ちた。パイプ椅子がガタンと音を立てる。カラットがライラの犯行ではないと言ってくれた時点で一杯一杯だったが、サンドローという警察からもアリバイがあると太鼓判を押してもらえてもうダメだった。

 本当はこのまま顔を覆って泣き崩れてしまいたかったが、まだカラットの話が終わっていないのでそれだけはなんとか堪えた。

 ライラは力の抜けた足になんとか力を込めて崩れ落ちてもなお手を握ったままのユーリエの手も借りてパイプ椅子に座り直した。


 サンドローは普段であればここで全員にはっきりとしたアリバイがあるから最初から調べ直しだと少し落胆する。

 しかし今日はそうではなかった。サンドローは期待が顔に出るのを抑えることもせずにカラットの桔梗色の瞳を見て両手を広げて大仰に言った。


「さあ、それで? ミスターカラット。あなたがたどり着いた犯人は一体誰なんです?」

「――ええ、この事件の犯人は……、」


 カラットはそこで一度言葉を切って心を落ち着けた。今までミスターカラットは事件解決のヒントを伝えたことはあっても実際に犯人が誰だとかそういうことをサンドローに告げたことがなかった。

 もうすでにライラのアリバイは立証されたのだからそんなことは必要なくなったはずなのだが、もうすでに犯人が分かったと宣言してしまった手前、言わないわけにはいかない。


「フー……」


 大きく息をつく。


「この事件の犯人は――、ルードリック・フリオンさんです」

「ほう。ルードリック・フリオン。彼は……奇しくもライラ・リゲルさんと似た、自宅マンションから出ていないという理由でアリバイが成立しますね」


 ルードリック・フリオンは自宅マンションのエントランスおよびエレベーターの監視カメラにその姿が記録されており、昨日十七時四十分に帰宅して以降今日の朝までマンションの敷地から出る姿は記録されていない。


「ええ、でもライラさんとルードリック・フリオンでは決定的に異なる点があります」

「それはなんです?」

「その前に、先ほどの話を聞いていた限りライラさんの家は一軒家ということであっていますか?」

「あ、はい。一軒家に住んでいます」

「やはりそうですか……。ここでのポイントはルードリック・フリオンがマンションに住んでいるということにあります」


 ライラは生まれた時から同じ家にずっと住んでいて、共に暮らしていた父は二年前に病気で他界したため、ライラは今ファミリー向けの一軒家で一人暮らしをしている。それすなわち、ライラの家の玄関から出てくる人間はライラしかいないのだ。

 対してルードリック・フリオンが住んでいるのマンションであるため、エントランスから出ていくのはルードリック・フリオン以外の人物もいる。


「それが、どうしました? ミスターカラットもご覧になったでしょう。十八時四十七分にエントランスのカメラに記録されて以降、彼はエントランスにすら姿を見せていません」

「そうですね。十七時四十分に帰宅したルードリック・フリオンと同じ髪型の人物は確認されていません。……サンドロー警部。彼はアリバイとして自宅マンションの防犯カメラを利用したのです。しかし結果的にその防犯カメラによって彼の犯行が決定的になってしまった」


 その言葉に眉間に皺を寄せたサンドローはすぐにハッとした。


「まさか!」

「ええ、彼は別人を装うことでエントランスを通過したのです」


 ルードリック・フリオンの住むのマンションにはエントランスに二つあり、外から入ってくる人物を見るためものと、エントランス内に入った人物を見るための防犯カメラがある。そして一基あるエレベーター内にも防犯カメラが設置されている。

 ルードリック・フリオンは事件当日、十七時四十分ごろ仕事から帰り、マンションのエントランスを通過後ポストを覗いてからエレベーターに乗り込み五階 にある自宅へ戻った。その後、部屋着に着替えて十八時四十五分ごろにゴミ捨てのためにゴミ袋を持ってエレベーターに乗り込んだ。そして一階にあるマンションの住人しか利用できないゴミ捨て場でゴミを捨てた。ゴミを捨てたルードリック・フリオンはエレベーターに乗って住んでいる階で降りた。

 ここまではっきりと三台の防犯カメラに記録されている。


「しかし、彼がゴミ捨てをした後、通報のあった十九時三十七分までの間にエントランスを出ていったのは確か……三人だけだったはずでは?」

「ええ、まあ子供を含めるとと四人ですが、大人は三人です。娘を連れた母親らしき茶髪のセミロングの女性。長い金髪の若そうな女性。黒髪短髪のラフな格好をしたこちらも若そうな男性です」

「では、黒髪短髪の男性がルードリック・フリオンですか?」

「いいえ、ルードリック・フリオンは長い金髪の女性です。そもそも私は、私たちは防犯カメラの映像を見て、その人がロングスカート履いているから女性だと思いました。彼ははそれを狙ったのです」


 ルードリック・フリオンは自分の住む五階でエレベーターから降りた後、廊下に人がいないことを確認して服を着替えて階段を駆け下り、三階からエレベーターに乗った。そしてエントランスを突っ切って堂々と、何事もなかったかのように出た、というのがカラット推理だった。

 確かに、ウィッグでも被って服を着替えでもすればルードリック・フリオンと認識されることなく堂々とエントランスを通過できるかもしれない。しかし、本当にそれが可能だろうか。

 サンドローはひとまず映像を見返すために部下に指示をだして先ほどカラットに見せていたタブレットを持ってくるように言った。

 サンドローは部下からタブレットを受け取ると防犯カメラの動画を開き、再生バーをいじって十八時四十七分以降マンションの外に出た人物を確認した。


「……確かに、髪に隠れて顔がよく見えない金髪の人物が写っています。しかし、この人物はルードリック・フリオンが上階に行くためのエレベーターに消えてから一分三十秒後にエントランスに出現しています。この短い時間で服を変えてウィッグを違和感なく被り、途中階まで降りてエレベーターに乗るというのは不可能では?」

「それについてはまた説明しますが、サンドロー警部、先に映像を十九時過ぎに合わせてよく見てください。その金髪の人物は十九時過ぎにエントランスに入っていく姿が記録されていますが、よく見るとその髪、長さも色も少し異なっています」

「なんですって?」


 サンドローは慌てて再生バーをいじってカラットに言われた時間に合わせた。確かに同じ服装の金髪の人物が風除室を抜けてエントランスに入り、エレベーターに乗り込む写っている。言われてみれば、確かに髪の長さも色も異なるかもしれないが……。


「見間違いとも言える範囲のようですが……」

「私も最初は気になりませんでした。しかし、そこで現場に残された二本の頭髪を思い出したのです。私は、おそらく彼は未登録のマジックイミテーションなのではないか、と考えました。」

「そんな荒唐無稽な。それならば早着替えを練習したと言われた方がまだ納得できます」

「いいえ、彼がマジックイミテーションだとすれば、現場に残された二本の頭髪の謎も、被害者の最後の言葉の謎も解けるのです」


 サンドローは仕方なく、部下に現場に残されたオレンジ色にまだらに模様の入った頭髪を持ってくるように指示した。



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