時代遅れの作品
小説を書いたり、何かを発言したりするとき、「この表現ってだれかを傷つけるのではないか」と思って言葉をためらってしまうことがあります。
例えば、小説でいじられキャラを書いたりするとき。
いじられキャラって存在はいてくれるだけでとても助かったりします。なにか説明したい時には、そいつに「どういうことだ?」という顔をさせれば、主人公は解説できるし、逆に主人公がわからない時はそいつに説明させることもできます。
なんだかストーリーが単調だと思えば、そのいじられキャラに一言喋らせることで、ちょっとだけ場が和んだりします。
ところが、いじられキャラを登場させて、そいつをベシベシ叩いたりして、「やめろよぉ!!」なんて言わしていたら、ふと冷静になることがあります。
これは、大丈夫なんだろうか、と。
これを不快だと感じる人がいるのかもしれない。
何気ない文章が人を傷つけるのかもしれない。
そう思うと、途端に筆が止まります。さっきまで書いていた文章を消しに消して、もうちょっとマイルドにならないだろうかと考え直し、セリフを抜いたり、あるいは足したりしながら修正することになります。
この線引きに、いつも苦労します。
感じ方は、その時によって変わります。
私個人も、昨日楽しく読んでいた内容が、今日読むと「これってどうなの」って思ったり、当然その逆も然り。そうなれば、昨年書いた自分の作品が読めなくなったりして。
その線引きが難しくなって、「今日は考えるのやめよう」と問題の先延ばしです。趣味で書いているのに。
価値観は時代によって変わります。10年前のテレビ番組も、今見返すと「いやそれはどうなの?」と感じることもしばしばです。古いドラマを見てても、アニメを見ても、「ん?」と思うのです。
こういう気持ちになる作品は、今の私からしたら「時代遅れの作品」というのだと思います。
学生時代、「時代遅れだなぁ」と思う出来事は多々ありました。(今振り返れば、時代を知るほど経験を積んでいたわけではないのですが)
だけど、あのころ楽しんでいた作品が、今見返して疑問を持ってしまうのだということは、当時の私の価値観も、今では「時代遅れ」なんだということです。
そして、そんなことを思う今の私の価値観も、10年後に振り返れば「時代遅れ」になってしまうのだと思えば、きっとこの先もずっとこれの繰り返しなんだと思います。
だから、時代遅れになるのは仕方がないのかもしれない。
だけど、いつの時代であっても、なるべく誰かを傷つけたくないな、と思うのです。
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