「彗星にはなれなかった」(ワードパレット作品)

伊野尾ちもず

エメラルドグリーン/ひび割れた/焦土

 あのさ、いつか約束したよね。君と海を見に行こうって。並んで自転車走らせてさ……あ、もうバイクに乗れる年齢だっけ。それならバイクでツーリングしよう。無線で色々話しながらさ。ほら、量が多いばっかりの学食とか、歴史の先生の取れかけたカツラとか。

 あははっ……やだなぁ、思い出したら一人で笑っちゃったよ。

 笑いながら、抜けるような青い空を見上げる。周囲には植物が生い茂り、生命の息吹を奏でる。木漏れ日を浴びるぼくは一人で、池に足を突っ込んでいた。笑いを収めて周りを見回すが人はいない。

 ……彗星になれなくてごめんね。ぼくは、君の望んだ彗星にはなれなかった。

 エメラルドグリーンの長い髪をくしゃりと掴む。彗星になるために必要だったモノを。

 ぼくは植物だ。上手いこと人の形を与えられてしまった異形の植物だった。

 人類とやらが最期の希望として君……イケヤにぼくを作らせた。その頃には研究所の外側は殆ど焦土と化していたらしい。

 何があったのかイケヤはぼくに何も教えてくれなかった。ただ「この世界を再生させる彗星にセキなら、君なら、なれるんだ。セキはぼくらの希望なんだ」と繰り返しぼくに言い含めていた。

 そう、イケヤはぼくのことをセキと呼んだ。昔、うんと明るい彗星が地球に飛来した時に、観測した天文学者の名前らしい。本当の名前は番号だった気がするけど、イケヤは番号じゃなくてセキと必ず呼んだ。名前がどこまで大事なものかは理解できなかったけど、イケヤはセキと呼ぶ時にとても優しい顔をする。だからきっと、名前があることは大事なことなのだろうことはぼくにもわかった。

 ぼくは植物だから、人間のように長く水を離れて生きていけない。研究所の中で薄めた液体肥料に浸かりながら、太陽を模した人工灯の光を浴びていなくちゃいけなかった。イケヤはそんなぼくの近くにずっといて、あれこれ昔の話を聞かせてくれた。ガクセイだった時に行ったガクショクのことや、歴史のセンセイのカツラのこととか。ジテンシャとかバイクに乗って海へ行ったこととか。イケヤが言っていることの半分もわからなかったけれど、彼がぼくを必要としてくれていることは何となくわかった。

 初めてイケヤがぼくを連れ出してくれた時、外がどうなっているのかを初めて見た。天井……じゃなくて空。床じゃなくて大地。これらは小さなガラス窓の向こうで全部赤く染まっていた。ぼくは思わず後退りして座り込んだ。震えていたかも。研究所の白い光に満ちた世界とは違う、何か恐ろしいものが、ぼくを襲おうと牙を剥いているように思えたんだ。

「いいかい、セキ。君が救わなくちゃいけない世界だよ。これが」

「ぼくが、救う……?」

「そうだよ。彗星は不吉の象徴だとも言うけど、颯爽と現れて光り輝く美しいものが不吉なわけがない。セキにしかできない、彗星のような格好良い仕事だよ」

 イケヤのフキツとかサッソウとかわからない言葉も多かったけど、ぼくなら赤い恐ろしい世界の牙に勝てる、そう言われた気がして少し安心できた。

 液体肥料に戻ってから、イケヤが教えてくれた歌があった。


 世界の根本に木があった 地球のいのちを支える木であった

 いつしか世界は木を忘れ 己の知恵に惑わされた

 木は世界の時間を計り 残存する力を集約し

 砕け破れた時間を構築し 世界を生み直すのだ


「セキ、君は世界をやり直す為に必要なんだ。残存する力を集約したのが君なのだからね」

 イケヤに言われたことの重みなんてぼくにはわからなくて、呆けた顔をするだけだった。ぼくにとっての大事な世界はこの小さな液体肥料のプールと人工灯と庇護者たるイケヤだけだったから。

 “彗星になる日”はノックもなしにやってきた。随分不躾な話だが、ぼくは礼儀を気にする方じゃない。

 慌ただしく飛び込んできた職員から何かを聞いたイケヤはすぐに表情が険しくなった。

「こんな世界の一大事に奴等は何を……!」

 ぼくは今までイケヤがくしゃくしゃに丸まった赤い紙屑みたいな顔になったところを見た事がなかった。

「セキ、仕事だ。君の力がきっとぼくらと世界を救ってくれる」

 いつもの優しい顔とよく似て何か違う表情のイケヤに連れられて向かった中庭。そこには半透明の大きな木が生えていた。何故か途中から枯れて、根本部分しか残っていない。

「世界の根本に木があった 地球のいのちを支える木であった……」

 小さな声で歌いながらイケヤはぼくを半透明の木のうろに座らせた。

「いつしか世界は木を忘れ……己の知恵に惑わされた?」

 続きをぼくが歌うと、イケヤは頷いた。

「いい子だよ、セキ。君がぼくらと世界を救う彗星となるんだ。さぁ、お行き」

 言い終わるかどうか。中庭につながるドアが激しく叩かれる音がしたかと思うと、乾いた破裂音が何重にも聞こえ、荒々しい足音が雪崩れ込んできた。研究所の中でぼくが一度も聞いたことのない音だった。

「おい、こっちだ!儀式を辞めさせろ!」

「世界はまだ終わっちゃいねぇんだよ!!」

 いきなり登場した黒服の彼らがぼくらを見て睨みつける。その真ん中で白衣姿の職員たちが立ち塞がる。

「させない!!」

「これはお前らも救うための儀式だ!救われたくないのか!」

 職員に言われた黒服の彼らは手に持っていた長い棒を振り回して口元を歪めた。

「そんなのはまやかしだ!狂ってるのはお前らだ!!」

「世界の生み直しにはまだ早い!!」

 木のうろにイケヤと座っているぼくにも、黒服の彼らの攻撃で職員がバタバタ倒れていくのが見えた。

「ねぇ、ぼく怖いよ」

 縋るようにイケヤを見上げると、彼は静かで穏やかな笑みを浮かべていた。

「木は世界の時間を計り 残存する力を集約し……」

 頭をひと撫でして、抱きしめて、ぼくをうろに突き倒したイケヤは後退りして離れていく。

「砕け破れた時間を構築し 世界を生み直すのだ」

「待っ……!」

 イケヤに手を伸ばそうとしても身体が木に吸い付けられたようで動けない。根が貼り始めている。声もうまく出ない。

 最後に見たイケヤは楽しくてたまらないとでも言いそうに、満足そうに笑っていた。


 ぼくは濃密な闇に落ちて行った。歌のとおりなら“いのちの木”とぼくしかない世界だった。急速な勢いで木から伸ばされた枝に絡みつかれたぼくは、木に全てを飲み込まれそうになった。ぼくの力も心も記憶も何もかも、木は欲しがった。

 やめて、嫌だ。飲まれたくない。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!


 思わず口から飛び出した声は、言葉にならない咆哮だった。同時にどこからやってきたのかわからないエネルギー体がぼくの中を駆け巡って木へ吸い込まれた。その感覚も気持ち悪くて繰り返し悲鳴を上げ続けた。何度も何度も。どれだけ耐えればいいのか分からず、闇雲に悲鳴を上げ続けた。

 喉も全身も擦り切れるんじゃないかってくらいの時間が経った。

 やっと落ち着いて目を開けた時には、イケヤも職員も研究所も黒服も何も残っていなかった。

 ぼくの後ろに青々としげる大木があるだけで、周囲は赤い空と大地に閉じ込められていた。木は半透明から茶色の幹になり、根本だけだったのが空へ張り出す立派な枝を持つ姿になっていた。

「ん、お前はそこに残ったか」

 木が喋った。驚いて後ろを向こうとしたが、しっかり張った根はぼくには剥がせなかった。

「……木は何をしたの?」

「地上のエネルギーを全て吸い取った。お前とお前を媒介に全てを上手いこと吸い込めたよ」

 木の声は淡々としていて、何の感動もなかった。風もないのに梢がゆらゆら動いていた。

「イケヤも?」

「イケヤ?あぁ、真っ先に吸い込まれたよ」

 真っ先に吸い込まれた。きっと誰よりも世界を救いたかっただろうに。その先の世界を見たかっただろうに。

「イケヤを返してよ」

「それは無理だ。もう他のエネルギー体と混ざり合ってしまったからな。今更分離はできん」

 イケヤは帰ってこない。帰ってこないなんて……ありえるのか?あり得るんだろうな。ぼくは異形植物。イケヤは人間。種族が違うんだから、同じ事が起こるわけじゃない。ただの植物ではなかったから、ぼくも木に全てを飲み込まれずに済んだのかもしれない。

「これから何が起こるの?」

「破壊の後には再生があるものさ」

 そう言いながら木は梢をザワリザワリと動かした。

「この世界は閉じる。そしてもう一度最初から世界が始まる。終末世界にもなると、生み直すエネルギーを集めるのにも苦労するもんだ」



 ねぇイケヤ。あれからどれだけの時間が経ったのかな。ぼくはもう数えるのは辞めたよ。だけどね、君といた時より少し身体も成長したんだ。だからきっと、君の言っていた自転車とかバイクにも乗れる。一緒に海を見に行けるよ。

 君の思い描いた世界の生み直しとは違ったから、ぼくは君の彗星になれなかった。だけどね。今のこの世界に赤い空も赤い大地もなくなったんだよ。

 いのちの木からたくさんの植物や動物が生まれていって、世界はどんどん鮮やかになっているんだ。一緒に見たかったなぁ、君とこの景色を。きっと気にいるはずさ。

 深く、息を吐き出す。木漏れ日の位置が変わって日陰になった。

 あはは、でももう時間制限が来ちゃったみたいだよ。だって手の甲がひび割れているもの。水を吸えなくなってきている。

 手を空へ突き出してみる。昔と違って肌が灰色になってきていた。ひび割れたところから少しずつ裂けた破片が顔に降り注ぐ。

 そのうちこのひび割れは全身に広がるだろう。枯死すればその辺の倒木と同じ。土に還って次世代の糧になる。光栄なことじゃないか。

 ぼくはもう枯れる。人類が最期になけなしのエネルギーを注ぎ込んで作った、人でも植物でもない異形の者。

 何も知らなかったし、大事なひとは誰も救えなかったけれど、ひとつだけこの世界に願いを残せるなら。

「二度と、ぼくみたいなモノが現れませんように」

 目を瞑る。パリ、と腕がもげる音がした。



〈了〉


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「彗星にはなれなかった」(ワードパレット作品) 伊野尾ちもず @chimozu_novel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ