(2)


 二人はそれぞれ胸のうちで、三年前の事件を思い起こし、その思い出が前ほど自分を苦しめないことを知った。

 忘れることなど出来るわけがないし、思い出すたびに嫌な気持ちになるだろう。

 だが、その痛みは日がたつうちに小さくなり、思い出す回数も減っていく。そう思えるようになった。


 なにやら、しんみりとした気持ちになってしまったのが少し気恥ずかしく、ユーシスはこほんと咳払いする。

 そして、軽めの口調で、話し出した。


「それにしても、小気味いいほど、全て丸く収まりましたね」

「全て? そうか?」


 グリフィスも口元にいたずらっぽい笑みを浮かべ、ユーシスに合わせる。


「そうですよ。ロイとデイナは丸く収まり、ミシェルが王妃になることが決まっただけでも十分だというのに。ずっと懸案だった、ストラーダ侯爵の跡継ぎ問題が解決し、まんまとロイはあなたのものになってしまった」

「ものって、なんだその言い方は。それに、ロイを手に入れたのは、ストラーダ侯爵だろう」

「ストラーダ侯爵は、あなたの軍隊の長でしょうが。あなたを傀儡にしようとし、目障りだったロベール公爵は隠居。それになにより、ミシェルです」

「ミミがなんだっていうんだ」

「あなたが記憶を失う前、彼女はこの王城で味方の一人もなく、孤立していた。きっとあのまま王妃になったら、かなり苦労したでしょう。それがどうです? 今の彼女は、王城内にたくさんの味方を持っています。女官長、使用人たちは言うに及ばず、新ロベール公爵は今後何があっても彼女の味方になるでしょう。それだけの借りがありますからね。デイナの実家、フィッツロイ公爵も同じです。彼は、ミシェルのおかげで元老院主席の座が転がり込んできたと思っています。彼女についていれば得だと、きっと今頃腹の中で計算しているはず。それを予想して、彼に主席を与えましたね」


 ユーシスの睨みにも、グリフィスは涼しい顔をしている。


「元老院の主席など、俺が国王である限り、ただの名誉職だ。誰がなっても構わない」

「ソフィアと結婚する僕も、当然、彼女の後ろ盾になりますよ」

「それはありがたい」

「元老院五家の内、三家を味方にしたんです。ロイが正式にストラーダ侯爵の養子になれば、軍部も彼女の味方になるでしょう。ミシェルはもう大丈夫ですよ」


 二人の間のテーブルに片手をつき、ユーシスはグリフィスの顔に顔を近づける。


「あなたが記憶を失って、全て丸く収まった」

「そのようだな」

「わざと記憶喪失になったんでしょう?」


 グリフィスは目を丸くし、盛大に吹き出した。

 お腹を抱えて笑うグリフィスを睨みながら、ユーシスは顔をしかめる。


「あなたなら、それぐらいのことはやりそうですよ」


 扉にノックがあった。

 だが、まだグリフィスは笑っているので、ユーシスが扉を開ける。

 ミシェルだった。


「ユーシス様、こんばんは」

「こんばんは、ミシェル。もう、ミシェル様と呼ぶべきかな」

「どうぞ、今のままで。ところで、グリフィスは何を笑っているんです?」


 涙を流してまで笑っているグリフィスを、ミシェルは不思議そうに見ている。

 ユーシスは肩をすくめただけで、詳しい説明は避けた。


「デイナは元気でしたか?」

「ええ。旅の疲れも見せず、元気でした。ご実家のことを話したら、とても喜んでくれて」


 二人はグリフィスを無視する格好で、なごやかに会話を始める。


「ロイの怪我もたいしたことがないって、安心していました」

「ロイといえば、ストラーダ侯爵の養子になる話が、水面下で進行中だったそうですよ」

「まあ! 凄いわ」


 ミシェルは目を丸くする。


「グリフィスが?」

「そうですよ。一人で黙っていたんです」


 なにやら不穏な視線を感じて、グリフィスはようやく笑いをおさめる。

 気がつくと、ミシェルとユーシスが並んで、こちらを睨んでいた。


「なんだ?」


 と言うグリフィスを無視し、二人は会話を再開する。


「それから、エレイナの話を聞いてきました。ロベール公爵に情報を流していたこと、認めてくれました」

「そうですか……。残念です。そして、あなたを危険な目にあわせてしまい、申し訳ありませんでした」

「ユーシス様のせいではありません。エレイナは、私が王妃になるのなら殺してしまおうと、そう思っていたそうです」


 その言葉に、憤然と立ち上がったグリフィスへ、ミシェルは視線を向ける。


「でも、気持ちを変えたのですって。もしかしたら、私は王妃になっても幸せになるのかもしれないと、そう思ったから。だから、あの手紙をグリフィスの寝室に入れてくれるように、恋人に頼んだそうよ」

「ミミ。だが、エレイナは君を殺そうとした。未遂でも、罪になる」

「ねえ、グリフィス。エレイナがなぜ気持ちを変えたのか、わかる?」

「理由はどうあれ」

「エレイナは、あなたが私を本気で心から愛しているのではないかと思ったそうよ。政略結婚ではなく、心を通い合わせた結婚なら、違うかもしれないって」


 誰と違うのか、ミシェルは言わなかったが、グリフィスにもユーシスにもわかりすぎるほどわかった。


「でも、グリフィス。いつ、エレイナと会ったの?」


 無邪気に聞かれ、グリフィスはどきりとした。

 勿論、ミシェルに会いに別荘に行ったことは話していない。

 会いたくて行って、結局会わずに帰ったなど、なにやら女々しくて話せなかったのだ。


「それに、エレイナと何を話したの? 私には、一言も愛しているなんて言ってくれなかったのに、どうしてエレイナはあなたが私を愛しているなんて、確信できたのかしら」


 グリフィスは絶句し、決まり悪くなって、ミシェルから顔を背ける。

 エレイナがそれを確信したのは、多分、間違いなく、あの涙だ。

 そんなこと、ミシェルに話せるわけがない。


「グリフィスったら。何を隠しているの?」


 ミシェルはグリフィスの側に歩み寄り、彼の肩に手をかけ、顔を覗き込む。

 だが、グリフィスは更にミシェルから顔を背ける。

 ミシェルは更にグリフィスを追いかけて、彼の肩にのしかかった。


「何も隠していない! どけ!」


 追い払おうとするグリフィスの腕をしっかりとつかみ、ミシェルはグリフィスの正面に回りこむ。


「変なグリフィス。何を隠しているの? 恥ずかしいことなんでしょ」

「ミミ! 黙れっ」

「教えてくれないと、エレイナに聞いちゃうわよ。恥ずかしいわよぉ」


 グリフィスは必死にミシェルを黙らせようと、わざと無愛想で高圧的態度をとっているのだが、ミシェルはまるで気にせず、グリフィスをいじめ続けている。

 見る人によってはグリフィスの態度が少々怖いが、ユーシスから見れば、二人がいちゃついているようにしか思えなかった。


 どうやら自分は邪魔者らしいと、ユーシスはそっと部屋を出て行こうとする。

 だが、ふと気になって、足をとめた。


「グリフィス、一つ気になっていたんですが」


 これ幸いと、グリフィスはミシェルを押しのける。


「なんだ。改まって」

「あなたの記憶は、戻ったんですか?」

「戻ってないぞ」


 即答したグリフィスに、ユーシスは眉を寄せる。


「気づいていないようですが、あなたは記憶があるとしか思えない言動を、何度もしていますよ」

「私もそう思います、ユーシス様。ヴァロア邸の使用人たちと、違和感なく話をしていたでしょう? それに、あの洞窟に来れたのは、あそこを覚えていたからじゃないの?」


 ユーシスとミシェルにじっと見つめられ、グリフィスは困ったように首をひねる。


「時々だが、断片的に思い出すことはあるな」

「本当? どんなこと? 森を思い出した?」

「まあ、多少」

「それじゃあ、私達が初めて会ったときのことは?」

「全く思い出さない」


 しれっと言ってのけたグリフィスに、ミシェルの眉はさすがにつりあがった。


「ひどいわ、グリフィス。思い出してよ。大切なことじゃない」

「別にいいじゃないか」

「よくないわ。あなたったら、落馬して気絶してたのよ。私が助けたんだから」


 むっと、グリフィスが眉をひそめる。


「馬鹿を言うな。俺がそんな無様なことをするはずないだろう」

「したの。だから、思い出して欲しいんじゃない」

「絶対に思い出さないからな」

「もう! グリフィスったら!」


 二人はまたもいちゃつき始めてしまった。

 ユーシスはため息をつくと、二人の邪魔にならないように、そっと部屋を出る。

 扉を閉ざしたところで、こちらにやってきた女官長と目があった。


「サザーラント公爵様。ミシェル様は、中にいらっしゃいますか?」

「いますよ」


 と、ユーシスが扉を指し示す。

 ユーシスに視線で促されて、女官長はそっと扉に近寄った。

 勿論、中からは二人の仲の良い言い争いが聞こえてくる。

 目を合わせた二人は、小さく吹き出していた。


 二人が声を殺してくすくす笑っている内に、口論が聞こえなくなった。

 女官長は丁度いいと思ったのだろう、ユーシスがとめる間もなく、扉を開けてしまった。


「ミシェ……」


 二人の目に飛び込んできたのは、しっかりと抱き合ってキスをする二人の姿。

 おまけにグリフィスに横目でじろりと睨まれてしまった。

 真っ赤になった女官長が、慌てて扉を閉める。


「あ、後にすることにします。では、公爵」


 女官長はそそくさと、その場から逃げ出した。

 だが、廊下を少し行ったところで、こらえられなくなった様子で、また笑い出していた。


 そんな女官長の背中を見つめながら、ユーシスも笑っていた。

 そして、これからこの城も、笑いのたえない、明るい居心地のいいところになるのだろうと、思っていた。







 そして、春。




「結局、陛下は婚約しなおしをしなかったわね」


 デイナが声を潜め、隣に座っているロイに囁いた。


「そうだね。婚約破棄がなかったことになった、という感じだ」


 デイナはロイに視線を向ける。そして、その視線はすぐに誇らしいものに変わった。

 豪華な軍の礼服は、ロイにとてもよく似合っている。

 自分との結婚によって、ロイの輝かしい未来を奪ってしまったと感じていたデイナにとって、今のロイの姿は何よりも嬉しい。


「陛下は記憶が戻ったんだと、思っている人が多いみたいだけど。戻っていないのよね?」

「多分な」


 どっちでもいいんじゃないかというロイの口調に、デイナは眉をひそめる。


「あら、記憶ってすごく大切だと思うわ。人生の経験値ともいえるものだし」

「でも、陛下は記憶を失ってから、その失った経験をやり直したようなものだから。それも最初より上手くね。だから、どちらでも構わないんじゃないかな」


 まだ話したげなデイナの手に軽く触れ、ロイはそれを制した。

 神聖な儀式が始まろうとしている。

 それに気がついたデイナは、口を閉ざして視線を前方へと戻した。




 グリフィスとミシェルは手に手を取り合って、祭壇の前で立ち止まった。

 ミシェルの瞳には薄っすらと涙がたまり、グリフィスも震える息を小さくもらす。

 しんと静まり返った中、二人の結婚の儀式が始まった。


 緊張するミシェルがふと目を上げると、グリフィスがじっとこちらを見つめてくれていた。

 優しく、そして励ますように。

 ミシェルが小さく頷いてみせると、グリフィスの視線は正面へと戻っていく。


 ここまで来れたことを、まるで奇跡のようだと、ミシェルは感じた。

 すれ違い続けた日々の中、一度はお互いがお互いを諦めようとしたのに。

 もし何か一つでも二人の間に起きたことが欠けていたら、二人を助けてくれた誰か一人でもいなかったら、二人はこうしてここに立ってはいられなかった。

 それは、グリフィスが記憶を失った事も含めて。


 ミシェルがちらりと参列者の方へと視線を向けると、家族全員とレスターが心からの祝福を込めて自分を見守ってくれているのがわかった。

 有力貴族達の席には、すっかり意気投合してかけがえのない友人となったソフィアと婚約者のユーシス。友人と言えるような貴族が大勢いた。

 今、彼らは暖かい目で、ミシェルを祝福してくれている。


 もしグリフィスが記憶を失わず、あのまま結婚式ということになれば、ミシェルは恐ろしさのあまり、この場から逃げ出そうとしていたかもしれない。

 花嫁である自分を見つめる見知らぬ人々の冷ややかな視線に、きっと耐えられなかったはずだ。

 なによりも、結婚するという意味さえろくに理解していなかった自分は、結婚式を前に逃げ出していたかもしれない。


 でも、今は違う。

 そう思えるだけで、これまでの苦しみが無駄ではなかったと思えた。


 促されて、二人は向かい合う。

 グリフィスはベールを持ち上げ、きらきらした宝石のような瞳で自分を見つめてくれているミシェルを見つめ返した。


 グリフィスもまた、二人でここに立てたことを奇跡のように思い、感動していた。

 ひどく遠回りしてしまったが、その分、二人の絆が深まったのだと思えることも、とても嬉しかった。

 そして、ミシェルもまた同じように思ってくれているのが感じられ、胸が震える。


 結婚式を執り行っている司祭が、黙って見つめ合ったままぴくりとも動かない二人を、困った顔で見比べている。

 そんな司祭の困惑など知らぬ顔で、グリフィスはミシェルにとろけそうに優しい微笑みを見せた。

 すぐに、ミシェルの口元にも幸せそうな微笑みが浮かぶ。


「愛している」

「愛しているわ、グリフィス」


 そして、二人は誓いのキスを交わした。


 




◆◆◆


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

グリフィスとミシェルのロマンス、読み終わって「よかった!」と思ってもらえてるといいのですが。

よかったら、★での評価などよろしくお願いします。執筆の励みになります。


また、この作品は、amazonのKindle本にもなっています。

unlimitedなので会員の方は無料でお読みいただけます。

電子書籍版には、番外編も収録していますので、もうちょっと「閉ざされた神殿の天使」を読みたいと思っていただけたら、ぜひダウンロードしてほしいです。


連載中、応援くださった皆様、ありがとうございました!

 

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【完結】閉ざされた神殿の天使 KAI @KAI_loverom

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