(3)


 甘く優しいキスが、次第に熱を帯びていく前に、グリフィスは唇をはなした。

 少し唐突だったそれに、ミシェルが不安そうな、潤んだ瞳で見上げてくる。

 グリフィスは短く深いキスを一度落とし、ミシェルの肩を両手でしっかりと握った。


「その、一つ、聞いておきたいことが。……あるんだが」

「何?」


 しばしグリフィスは迷ったのだが、思い切って口を開いた。


「子供のことだ」

「!」

「昨夜、王城を出る直前にユーシスから聞いたばかりで、詳しいことは何も知らない。可能性があったが、違っていたと」


 驚くミシェルに、グリフィスは真剣で強張った顔を近づける。


「まさかそれは、……流れてしまったということか」

「いいえ! いいえ、違うわ」


 ミシェルは慌てて、そしてきっぱりと否定した。

 それを見て、グリフィスはほっと肩を落とす。


「そうか」

「ごめんなさい。心配させてしまって」

「謝るのは、俺のほうだ。すまない。無責任なことをしてしまって。あの夜のことも」

「もうさっき謝ってくれたわ。それにあの夜のことは、私にも責任があるわ。私はあなたを、その、誘ったわけだし」

「俺は、君が寝ぼけているのをわかっていた」

「それでも。それでも、私がそうしなければ、ああならなかったから」


 ミシェルの口調はきっぱりとしていて、これ以上、グリフィスの謝罪を受け入れてはくれなさそうだった。

 これからじっくりと、あらゆる形でミシェルに対して謝罪をするつもりでいるグリフィスは、言葉での謝罪はここで終えることにした。


「体調が悪かったのか?」

「え?」

「懐妊を疑ったということは、そうだったんじゃないのか?」


 ミシェルの肩から腕を、ゆっくりとさすりながら、グリフィスは自分でも驚くほど、優しくミシェルに話しかけていた。


「少しだけね。でも、たいしたことは無かったのよ」


 腕の中のミシェルがこちらを見上げ、微笑んでくれる。

 信頼と愛情に満ちた目で真っ直ぐに見つめられ、力の抜けた体で寄りかかってこられると、それだけで胸が熱くなる。

 そして、胸の奥底にあった冷たいこわばりがゆっくりと溶け、とても温かで優しい気持ちになれた。


「懐妊じゃないかって言い出したのは、実はデイナさんなの。それでね、今日の道々、ロイが話してくれたんだけど」

「なるほど。子供が欲しいのは、デイナか」


 小さく吹き出したグリフィスに、ミシェルはなんともいえない表情になった。


「そういうことみたい。デイナさんは凄く欲しがっているんだけど、なかなか出来なくて。子供のことについて、ちょっと神経質になっているって」

「ああ見えて、デイナは結婚に自信が持てないんだ。ロイは将来を嘱望されていた軍人でね。ユーシスは、なんとかしてロイを手放すまいと躍起になっているぐらいだ。だが、デイナとの結婚が許されなければ、田舎に引っ込むか、外国に行くか。どちらにしても、ロイにとっていい未来ではない」

「でも、ロイは」

「勿論、彼はそれをわかっていて、デイナを選んだ。だから、それが悪い未来だとは考えていないだろう。だが、デイナはそう簡単に割り切れないさ」

「それで、赤ちゃんを?」

「子供が出来れば、実家も諦めて許しを出すかもしれない。そうならなくても、ロイとの確固たる絆が出来ると、そう思うんだろうな」

「そっか……」


 顔を曇らせ、うつむいてしまったミシェルに、グリフィスは問いかける。


「デイナに、仲を取り持って欲しいと頼まれなかったか?」


 驚いて顔をあげたミシェルに、グリフィスは笑いかける。


「俺にお願いしてほしいと、言われただろう」

「……言われたけど、断ったわ」

「いい判断だ」


 イザベラの話を聞いた今、グリフィスが妻に政治向きな口出しをしてほしくないことは、ミシェルにもわかる。

 そんな口出しもお願いも、ミシェルはするつもりがない。

 だが、わかっていてあえて、ミシェルは口を開いた。


「ロイは命がけで私を守ってくれたわ。デイナさんも、私にとてもよくしてくれたの。そりゃ、全く打算がなかったとはいえないかもしれないけど。でも」

「わかっているさ」


 グリフィスの指が、ミシェルの唇に触れ、言葉をとめた。


「君の命の恩人に、何も礼をしないわけがない。……まかせとけ」


 花がほころぶような笑顔を見せたミシェルを、グリフィスはしっかりと抱き寄せ、抱きしめ、幸せな吐息をついた。

 ミシェルの何もかもが、愛しくてたまらない。

 美しさも、聡明さも、優しさも。そしてなによりも、真っ直ぐに信じ、愛してくれていることが。


「雪が溶けたら、すぐに結婚式をしよう」


 こくんと、腕の中でミシェルが頷いた。


「外国からも客を呼んで、盛大に執り行わなければならない。大丈夫か?」

「大丈夫よ」


 こういった国の行事は外国に国力を見せつけるためにも、盛大に執り行われるものだと、今のミシェルはきちんと理解していた。

 勿論、色々と不安はあるが、春までにグリフィスと相談しつつ、不安を一つ一つ消していけばいい。


「私、結婚式まで、ユーシス様の別荘にお世話になろうかな」

「馬鹿言うなっ」


 ぎゅっと、抱きしめるグリフィスの腕に力が入る。


「だって、結婚前から一緒に住むのは、やっぱりちょっと問題よ」

「前はそんなこと、言わなかったじゃないか!」

「そりゃ、わかってなかったもの。王妃の間ってすごく格式があって、結婚式もしてない婚約者が使ってはいけないそうじゃない。だから、女官長は凄く嫌な顔をしていたんだわ。私、最初はとっても嫌われていると思って、悲しかったんだから」

「格式など関係ない。俺が決めたことに誰も文句は言わせない」

「グリフィスに文句を言う人はいないわよ。でも、その分、私が引き受けることになるんじゃない?」


 グリフィスはミシェルの肩を両手でつかむと、胸の中からミシェルを出し、ミシェルの顔を覗き込む。


「馬鹿言うな。勿論、君にも文句など言わせない」

「国王陛下は奥方にメロメロで、好き放題やらせているって陰口されちゃうかもよ?」


 真剣な顔で、ミシェルはグリフィスを見つめ返す。


「駄目よ。人の上に立つ者は、常に公平でなければ。特に、身内に関しては、厳しいぐらいがいいのよ」

「ミミ!」

「そうだわ。それなら私、あの東棟の部屋に住むわ。あそこなら」


 最後まで言わせず、グリフィスはミシェルをベッドに押し倒した。

 ミシェルの手を顔の両脇に押さえ込みつつ、ミシェルの上に馬乗りになる。


「グリフィスだって、わかっているくせに」


 かすれた声で、ミシェルがつぶやく。

 反論を封じ込められ、グリフィスは低くうなり声を上げた。


「……君は俺のものだ」

「そうよ」

「誰にも渡さない」

「そうして」

「君が欲しくてたまらない」

「私も」


 この部屋で二人きりになってからずっと、二人の間には熱いぴりぴりとした空気が流れていた。

 触れ合いたい、キスしたい、抱き合いたいという、引き付けあうような力が、ずっと存在していた。

 それでも、お互いの気持ちを確かめ合うこと、謝罪することがお互いを抑えていたのだが、それももうなくなった今、一つになりたいという欲求は痛いぐらいだった。


「春まで、あと三ヶ月?」


 国王の結婚式で、花嫁が大きなお腹をしているわけにはいかない。

 だが、三ヶ月ぐらいなら、お腹が目立つこともないだろうと、ミシェルは遠まわしにつぶやいてみた。


「……ミミ」


 ミシェルに拒否されれば、グリフィスは式まで待とうと自分に言い聞かせていた。

 だが、拒否するどころではないミシェルに、グリフィスの理性はあっけなく決壊した。


「二ヶ月だ。それ以上は、待てない」


 細い体を抱きすくめ、強く唇を重ね合わせると、ミシェルは喜びのあえぎをもらし、しっかりとグリフィスの背に腕を回してきた。

 ぴったりと二人の体と体は隙間無く触れ合い、互いの体温と熱い鼓動を伝え合う。


「ミミ、ミミ」


 グリフィスは、せわしなくミシェルのドレスを脱がせていく。

 そして、ミシェルもされているばかりではなく、グリフィスのシャツのボタンをはずしていった。


 何にも遮られることなく、肌と肌で触れ合いたい。

 その思いは痛いほどで、二人は互いの服を競い合うように剥ぎ取った。

 上半身を裸にすると、グリフィスはしっかりとミシェルを抱きすくめる。

 肌に直接伝わる体温に、それだけで、グリフィスとミシェルはぞくぞくするような快感をわかちあった。


 グリフィスは、ミシェルがうっとりとした顔で自分に身を任せきっている様子に、この上ない幸せを感じていた。

 もっともっとミシェルを感じさせたくて、そしてミシェルを感じたくて、ミシェルの体中にキスをする。

 指先の一つ一つから背中まで、唇と指で丹念に愛撫した。

 あまりにも一方的に抱いてしまった、あの夜の罪悪感もあったのかもしれない。

 執拗とも言えるような愛撫に、ミシェルはベッドのシーツをつかみ、白い体をくねらせて声を上げた。


 薔薇色の乳首を甘噛みし、もう一方の乳首は指で愛撫をくわえる。

 子供が出来れば、乳房がはったり敏感になったりするらしいが、ミシェルにはそんな変化は見られない。

 だが、まだそんな小さな変化を感じ取れるほど、ミシェルの体を知らないはずだと思いつき、グリフィスは低く苦笑を漏らした。

 その苦笑さえ甘い刺激になったミシェルがあえぐのを見つめながら、グリフィスは自分の中に眠っていたはずの記憶が、いつでも目覚められる状態にあるのを、なぜか感じていた。


 手を伸ばせば届く、そんな所に失った記憶が浮遊している。

 だが、あえて手を伸ばしてそれを捕まえようとは思えなかった。

 必要になったら捕まえればいい。もしくは、自然に落ちてくれば思い出すだろう。そう思えた。


 嫌がるミシェルをなだめながら、両膝を大きく開かせて、最後に残ったそこに丹念な愛撫を加える。

 甘い香りと、甘い蜜の味。そしてミシェルの柔らかさに、グリフィスは夢中になった。


「グリフィスっ。もうっ」


 たまらずにミシェルが悲鳴のような声をあげる。

 だが、グリフィスは指と唇とで、さらにミシェルをせめたてる。

 ミシェルは高い声を上げ、背中を弓のようにそらして、達してしまった。


「……グリフィス」


 ぱたりとシーツの上に落ちたミシェルの腕が、ゆっくりとグリフィスの首にまわされる。

 汗に湿ったグリフィスの髪の中を、ミシェルの指が愛撫するように滑っていく。

 けだるげで満足そうなミシェルに、グリフィスは何度もキスを落としながら、ゆっくりとミシェルの中に侵入した。


 圧倒的なまでの充足感に、ミシェルは甘い悲鳴と深く長い吐息をつく。

 グリフィスもミシェルの熱く締まった感触に、しばらくは動かずにじっとしていた。


「嬉しい」


 かすれた声で、ミシェルが囁いた。

 グリフィスは顔を上げ、ミシェルと視線を合わせる。


「ようやく、本当に、グリフィスと一つになれた気がする」

「ミミ」

「もう離れない」

「離すものか」


 言って、グリフィスは突き上げ始めた。

 ミシェルと一つになったところから、快感が体中を駆け巡る。

 そして、ミシェルと一つになっているという実感が、一体感が、グリフィスの胸の内を幸福感で一杯にしていった。


 技巧などなにもなく、ただがむしゃらにグリフィスはミシェルを求めた。

 ミシェルの全てを奪い取るように、そして自分の全てを与えるように。

 グリフィスはミシェルの名を呼びながら、彼女の最奥で達していた。


 あの夜以上の、ミシェルとの深い一体感に、グリフィスは震えながらミシェルの上に突っ伏す。

 荒い息をつきながら、それでも背中をゆっくりとさすってくれるミシェルの小さな手の感触に、グリフィスは深い息をついて目を閉じた。


 怖いぐらいに幸せで。

 もう二度と、この幸せを手放したくなくて。

 グリフィスはしっかりとミシェルを抱きしめた。


 

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