(2)
「俺は記憶を失う前も、君に父のことを話していないだろう?」
「病死されたという、前の国王陛下のこと?」
「そうだ。やはり、話していないんだな」
記憶を失う前、自分はミシェルに拒否されるのを恐れていた。
いつ森に帰ってしまうかと、王妃の部屋に閉じ込めてしまったのかもしれない。
レスターやユーシスの話を聞いていると、そんな風に思えた。
それならば、父とイザベラの話など、しているわけがない。
王権に関わったばかりに不幸になったイザベラの話を、ミシェルに聞かせる勇気などなかったはずだ。
「醜く、嫌な話だ。だが、君には知っておいてもらいたい」
これを聞いて、ミシェルが王妃となることを拒むかもしれない。
今もその恐怖はあるが、自分から結婚を申し込んでくれたミシェルに対して、隠しておくのは公正ではない。
それでも迷うグリフィスの手を、ミシェルが握り締めた。
顔を上げると、しっかりと頷いて見せてくれたミシェルに、グリフィスはようやく口を開くことが出来た。
子供の頃から誰よりも尊敬していた父王が、どれほど変化し、ひどい最後を迎えたか。
憧れの女性だったイザベラが、王妃になった途端、どれほど醜悪な女性に変わってしまったか。
グリフィスは、出来るだけ客観的に話そうとつとめた。
「俺は、人を愛することが怖くなってしまった。信じて、裏切られることが恐ろしくなってしまった。だれも愛さなければいいと、そう思っていたんだ」
緊張に冷えたグリフィスの手をミシェルは両手で包み込み、そっと頬に押し当ててくれた。
「でも、グリフィス。あなたは私を愛してくれたわ」
グリフィスは、くしゃっと顔をしかめる。
泣きたい気持ちと笑いたい気持ちがぶつかり合って、胸が苦しかった。
「愛するだけなら、何度でもしてみせるさ。だが、俺はずっと君を信じることが出来なかった。心の奥では、いつも君を信じたいと願っていた。だが、信じてはいけないと自分に言い聞かせてきた。信じようとする自分をごまかすために、わざと君に辛く当たった。金目当てだと決め付けて、わざと侮辱し、わざと金を渡すような真似をした。それで君が喜んで城を出て行くのを望んでいた。勿論、心の奥では、そうならなかったことを喜んでいた。相反する自分の気持ちに苛立ちは増し、ますますひどい態度を取った。すまなかった」
「いいのよ。私も、もっときちんと反論するべきだった。すぐに黙ってしまって」
「ミミ。それはきっと無理だ。自慢じゃないが、俺に怒鳴られて言い返すことの出来る女などいない」
「やっぱり、あなたって、とんでもなく偉そうだわ。私はちゃんと反論できるわよ。反論していたの」
冗談と受け取って笑うグリフィスに、ミシェルは怒った顔を近づける。
「失礼ねっ。さっさと思い出したらいいんだわ。グリフィスなんて、偉そうで図々しくて、いばりんぼうのけちで」
グリフィスは、笑いをとめられない。
「でも、強い人だわ。あなた、自分で言っていたでしょう? 何度裏切られても誰かを愛せるのは、信じることが出来るのは、強くなければって」
「…………」
「あの時、私にはその言葉の意味がちゃんと理解できなかった。でも今は、わかるつもりでいるの」
「ミミ」
「あなたは強い人よ、グリフィス。間違いなく、この国で一番素敵な男性だわ。大好きよ」
ミシェルの微笑が、今のグリフィスにはまぶしすぎた。
前髪をかきあげるようにして顔を隠し、ミシェルから顔を背ける。
「グリフィス?」
「……それだけか?」
「え?」
「そんな簡単に、俺を許せるのか? 俺は本当にひどいことをした。王城では、何度も泣いたはずだ」
グリフィスは驚くミシェルの前で、声を荒げる。
「強引に抱いた。嫌がっていたのをわかっていたのに、君は俺ではなく、記憶を失う前の俺に抱かれている夢を見ていることにも気づいていたというのに! ある意味、もっとひどいのは、あのプレゼントだ。君が持ってきてくれたプレゼントを、俺はその場に置き忘れた。それを君が見つけて」
「やめて」
腕をつかまれて、グリフィスは口を閉ざす。
ミシェルが目に涙を浮かべて、自分を見上げていることに、ようやく気がついた。
「……すまない。辛いことを思い出させてしまった」
ふるふると、ミシェルは首を横に振る。
「とても後悔している。謝ってすむことではないが、せめて謝らせてくれ。すまなかった」
謝罪すればするほど、ミシェルが悲しげになっていくことに、グリフィスは焦り困ってしまった。
謝りたいが、これ以上、ミシェルを悲しませることはしたくない。
どうすればいいのかわからなくなって、グリフィスは優しくミシェルを抱き寄せ、しっかりと抱きしめた。
「プレゼントは、俺が掘り出した。どうもありがとう。ベストも、それからカードも。ようやく受け取った。すまなかった」
それでも、謝らなければならないことは、きちんと謝りたかった。
自分の罪をうやむやにはしたくない。
ミシェルを抱きしめ、あやすように髪をなでながら、グリフィスは謝罪を続ける。
「あのプレゼントは、俺ではなく、記憶を失う前の俺に対して、用意されたものだと思っていた。君がプレゼントを渡したいのは俺ではないと思えて、すぐに受け取る気になれなかった。あの夜も、……そうだった。君が俺ではなく、記憶を失う前の俺と夢の中で愛し合っていることが、許せなかった。俺はずっと、君の婚約者だった自分に嫉妬していた。君が嫌がれば嫌がるほど、俺は嫉妬に狂って、やめることが出来なかった。あの後、どれほど後悔したか。すまなかった」
「いいの。だって、グリフィスがそう感じたのも当然だから。私は、記憶を失う前のあなたと、今のあなたが、別人のようだと思っていたんだもの」
「そう思わせたのは、俺の責任だ。気が狂っていたなどと言うから」
「それでも、私も悪かったのよ。プレゼントだって、渡すときにちゃんと告白するつもりでいたのに、出来なかった」
ふと、ミシェルが身じろぎして、顔を上げる。
「私が翌朝、プレゼントを見つけたとき、一度開封されていたの」
「俺はあけていない」
「それなら、やっぱりロベール公爵だったんだわ。それなのに私、あなたがカードを見ても無視したんだって思い込んでしまって」
ミシェルを呼び出した手紙に、そのカードのことが書いてあったのを、グリフィスは思い出す。
「それで、お城を出て行くって決めてしまったの。それにね、レスターの呼び出しの手紙にもこの事が書いてあって。グリフィスしか知らないはずだからって、罠かもしれないけど可能性にかけて来たの。本当に馬鹿だったわ」
「だが、俺は嬉しかった」
きっぱりと強く、グリフィスはそう言った。
そして、ミシェルから離れると、グリフィスはベッドからも降りて、床の上に片膝をつく。
きちんと背を伸ばし、まっすぐにミシェルの瞳を見つめると、ミシェルの右手を取って、その手の甲に唇を押し当てた。
「ミシェル・ヴァロア嬢。どうか私と結婚していただきたい」
「グリフィス」
「苦労させると思う。だが、きっと幸せにする。約束するよ」
驚いていたミシェルだったが、次第に緑の瞳に涙があふれてくる。
グリフィスが力を込めて手を握ると、唇が笑みの形にきゅっと持ち上がり、目じりから涙が零れ落ちた。
「私でいいの? 王妃には相応しくないかもしれないわ」
「相応しいさ。君は俺が思い描く理想の王妃になれる人だ。俺はこの国の王妃として、君がほしい。そして、俺の妻として、いつまでの俺の隣にいてほしいと願っている。愛している」
嬉しそうに、幸せそうに、ミシェルが微笑んで目を閉ざすのを見ていると、グリフィスも胸が熱くなるのを感じていた。
「ミミ、返事は?」
「勿論、よろこんで。お受けします」
ミシェルが頷くと、グリフィスは自分の服の襟を引っ張り、服の中から鎖を取り出した。
ネックレスになっている鎖には、指輪が一つ通されていた。
その指輪は、代々の王妃だけが持つことを許されている、由緒正しい王家の品。
一度、ミシェルの指に収まっていたが、記憶を失ったグリフィスに返されたものだった。
グリフィスはミシェルの左手を取ると、その薬指にしっかりとはめ込んだ。
そして、もう指輪を外さないというように、ミシェルの手をぎゅっと握らせた。
「もし、万が一また俺が記憶喪失になって、君のことを忘れてしまったら。俺はきっとこの指輪を返せと、君に要求するだろう」
何を言い出すのかと、ミシェルが驚いた顔で見上げてくるのに、グリフィスは真剣な顔で話し続ける。
「だが、絶対に、指輪を返してはいけないよ」
「グリフィス」
「俺はまた、君を遠ざけようと必死になるだろう。だが」
「ええ、大丈夫。私ももう、あなたから逃げたりしないわ」
グリフィスの言いたいことを理解して、ミシェルは微笑を浮かべた。
「今度は、あなたにしがみついて、絶対に離れないようにする」
「そうしてくれるとありがたい。大丈夫だ。俺はきっと何度でも君に結婚を申し込む。……多少、時間はかかるかもしれないが」
そして、グリフィスにも笑みが浮かぶ。
二人は見つめあうと、にっこりと微笑みあう。
微笑が消えると、ゆっくりと二人の間の距離を縮め、唇を触れ合わせていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます