(5)
姿の見えない敵の銃弾に追われ、ミシェルとロイは森の中を走り続けていた。
太い木の幹に寄りかかり、小休止をとりながら、ロイが乱れた息の下でつぶやく。
「ミシェル様、どうか、落ち着いてください」
「大丈夫。落ち着いているつもりよ」
大判のハンカチを包帯代わりに、ミシェルはロイの右腕をしっかりと縛って止血を試みる。
銃創など見るのも初めてだし、敵に追われているこの状況で、手が震えていた。
「コリンは大丈夫ですよ。撃たれたのは右肩でした。それに、先行しているガブが、銃声に気がついて戻ってくるはずです」
ロイが震えるミシェルの手を軽く握り、微笑んでくれる。
その手がとんでもなく冷たいことに驚きながらも、ミシェルはきちんと微笑み返すことが出来た。
「ええ。そうね」
一緒にいたコリンは、二発目の銃弾に倒れたまま、動かなかった。
ロイはミシェルにコリンの元へ駆けつけることを許さず、そのまま森の中へと駆け込んだ。
倒れたコリンの背中が赤く染まっていたのがわかったが、致命傷だったのかどうかミシェルにはわからない。
「狙われていたのは、コリンではありません。わかりますね」
「ええ、ええ、そうね」
ミシェルがいなくなれば、狙撃手にコリンを狙う必要などなくなる。
実際、銃声はミシェルとロイを追ってきているのだ。
致命傷でなければ、コリンは助かる。ミシェルがいないほうが彼は安全だ。
ロイの言葉を信じ、ミシェルは自分にそう言い聞かせた。
「ここがどこか、わかりますか?」
「それが、全く」
恐ろしさに、何も考えず走ってきてしまったのだ。
「道から斜面を降りて、ずっと西に走ってきました。出来るだけ、ヴァロア領内に近づくように来たんですが」
「それなら、大回りして、ヴァロアの森に入れるかも」
あの状況下で、そこまで考えることの出来たロイに驚きつつも、ミシェルはすばやく自分の頭の中に近隣の地図を広げる。
今この光景に見覚えはないが、もう少し進めば、きっと知っている場所に出るはずだ。
「行きましょう」
すでに弾がきれてしまった銃をしまい、ロイは立ち上がる。
「ミシェル様の実家まで逃げ切れれば、俺たちの勝ちです。頑張りましょう」
「ええ」
二人は追っ手を気にしながら歩き出す。
だが、雪深くひとけのない森の中で、二人の進んだ跡は、あまりにも明白だった。
走り出してしばらくすると、人の声がどこからか聞こえてきた。
断片的にしか聞こえてこないが、ミシェルとロイを探しているように思える。
嫌な予感はすぐに的中し、銃声が二人を追いかけてきた。
ミシェルはロイの手をしっかりと握り、自分が先行するぐらいの気持ちで必死に走った。
朝からの強行軍でかなり疲れているが、ロイは被弾し、出血までしているのだから。
(頑張らなくちゃ。私が、ロイを巻き込んだのよ)
こうなることを覚悟してきた。
ロイもきっと覚悟してきてくれたはず。ミシェルの覚悟に同調し、期待してくれたから。
だから、ロイとデイナをがっかりさせてしまうような醜態はさらせないし、たとえ非力でも、ロイを守るぐらいの覚悟でいたい。
強くいなければと思う。
周囲の期待に答えなければと思う。
だが、ミシェルの胸は恐怖に震え、恐ろしさに泣き出してしまわないようにするのがやっとだった。
必死に自分の中の勇気と気力をかき集める。
そんなミシェルを励ますように、胸の中でグリフィスが微笑んでくれていた。
(ああ、グリフィス)
「ミシェル!」
グリフィスに呼ばれたと感じ、ミシェルは、はっと顔を上げる。
(空耳?)
耳を澄ますが、もうグリフィスの声は聞こえてこない。
こんな所にグリフィスがいるはずもなく、声が聞こえてくるわけがない。
そう思いつつも、ミシェルはグリフィスの姿を求めて、周囲を見回す。
グリフィスの姿はなかったが、ミシェルは周囲の景色に見覚えがあることに気がついた。
「ロイ、こっちに」
ミシェルはロイの手を引くと、進行方向を修正する。
この先に、身を隠せる洞窟がある。
暗殺者があきらめるまで、そこに隠れるしかないと、ミシェルはとっさに判断した。
ここからでは、ヴァロアの森までまだ少し距離がある。
被弾したロイと、疲労が限界にきている自分では、到底走り抜けられる距離ではなかった。
このままでは、いつか必ず暗殺者に追い詰められてしまう。
洞窟が見えると、ロイもミシェルの意図を理解したようだった。
ミシェルの先に洞窟に入ると、中の安全を確認してくれる。
張り詰めていた緊張の糸が少し緩み、ミシェルは洞窟に入るなり、へなへなと座り込んでしまった。
「ここにいてください」
ロイは、二人が残してきた足跡を消すために、再び外に出て行った。
自分も一緒にやらなければと、ミシェルは立ち上がりかけたが、まだ足に力が入らなかった。
「安心するのはまだ早いんだからっ」
震える指で、頬をおもいっきりつねる。
それで少し気合を入れなおすと、洞窟の奥へと少しだけ進んで、岩壁にもたれかかった。
「大丈夫ですか?」
戻ってきたロイが、ミシェルの隣に腰を下ろす。
ロイの顔色は悪い。腕に巻いたハンカチは、すでに血に赤く染まってしまっていた。
「ええ。少し休めば、また走れるわ」
ミシェルがかなり無理しているのは、ロイにはよくわかっているはずだ。
だが、あえてその話題は避け、張り詰めているミシェルのために、ロイは明るい口調で話しかける。
「よくこんな所を知っていましたね」
「すごい偶然なの。ここを見つけたのは、グリフィスなのよ」
その時のことを思い出し、ミシェルの口元には、自然と笑みがこぼれていた。
「グリフィスは探検だって言って、よく森の奥に出かけていったの。領主の娘なら、領地のことはすみからすみまでよく知っておけって言われて、私も連れて行かされて」
「ミシェル様は健脚ですね。ここは領地の森からかなりあるでしょう?」
「そうでもないわ。きっと、ロイが考えているほどじゃない。ヴァロアの森の外れまで、二時間といったところかしら」
天候がよく、体力があれば、なんということはない距離だ。
だが、今のこの状況では、二人の命にかかわるだろう。
「敵をやりすごしましょう。そして、コリンのいる道まで戻るほうがいいわ」
「わかりました」
二人は黙り込み、じっと外の音に集中する。
だが、雪は音を吸収し、なかなか外の様子はわからない。
二人が敵の侵入に気づいたのは、もう敵が洞窟の入り口にたどり着いてからだった。
一方、グリフィスはミシェルの姿を求めて、懸命に走っていた。
ガブの先導で被弾して倒れていたコリンを見つけ、まだ息のあったコリンの応急処置をガブに命じた。
そして、明らかにコリンのものとは違うと思われる血痕を見つけ、グリフィスは蒼白になった。
危険だと止めるガブを残し、グリフィスは今、一人でミシェルを追っている。
「ミシェル!」
ミシェルにも、そして彼女を追う暗殺者にも自分の存在を知らしめようと、グリフィスは何度もミシェルの名を呼ぶ。
だがまだ、ミシェルの姿も暗殺者の影も、見ることが出来ないでいた。
雪の勢いは激しさを増している。
雪と風のせいで、残されていたミシェル達の足跡は、瞬く間に消えようとしている。
「ミシェル! ミシェル!」
時のたつのが、恐ろしく早く感じられる。
自分がこうしてミシェルを見つけられない間に、最悪の事態になるかもしれないと思うと、気が狂いそうだ。
もし、ミシェルの身に何かあったら。あの血痕がミシェルのものだったなら。
「ミシェル!」
雪のせいで、どんどん視界が狭くなる。
グリフィスは焦る気持ちを抑え、周囲の様子を見回した。
どんな小さな手がかりでもいい、ミシェルに関する何かがないかと思って。
すると不意に、この光景に見覚えがあることに気がついた。
「確か、この先には」
グリフィスは猛然と走り出す。
この先にある洞窟なら、一時、身を隠す場所としては申し分ない。
健脚とはいえ、ミシェルは女性だ。朝からずっと馬の上では、もうヴァロアの森まで走る体力は残っていないだろう。
きっと、ミシェルは洞窟に身を隠しているに違いない。そう思えた。
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