(4)


 日が傾き、実家に近づくにつれ、ミシェルの胸は緊張と不安ではちきれそうになっていた。

 先を行くロイの背中だけをしっかりと見つめ、今はこの悪路を無事に通過することだけに集中しようと思っているのだが、緊張は高まっていくばかりだった。


 別荘を出発してすぐ、ミシェルはエレイナの言葉をロイに伝え、どう思うか意見を聞いていた。


「陛下は本当に来られるのかもしれませんね」


 大きく頷いたミシェルに、ロイは苦笑をもらす。


「ですが、手紙のとおりには来ないのかもしれません」

「ええ。急がないほうがいいというのは、そういうことだと思います」


 ミシェルはエレイナを信じるという姿勢だったので、ロイは発言するのを控えている様子だった。

 なので、ミシェルの方から口を開いた。


「エレイナは、誰かに協力していたんだと思います。理由はわかりませんが、前の王妃様に関係するのかなと思いました」

「前の? 病死された?」


 元老院のお嬢様だったデイナとは違い、ロイはその真相を知らない。


「ええ。エレイナは、以前、王妃様に仕えていたことがあるそうなんです。王妃様はとても不幸になられて、私もそうなるんじゃないかと本気で心配してくれていました」

「それで、暗殺者に協力を?」

「暗殺者は、以前は私を脅すだけでした。だから」


 エレイナにはミシェルに危害を加えようとまでは思っていなさそうだ。

 だから、脅迫者と利害は一致していたのだろう。

 それなのにエレイナが動揺し、今朝のようなことを話すのは。


「本当に、これは危険なことです」


 ミシェルは、ロイに帰ってくれるようにと思いを込めて見つめたが、ロイは帰るとは言わなかった。


「ミシェル様は、行かれるんでしょう?」

「行きます。むしろ、グリフィスに会える可能性が高まったと思ってます。絶対に行きます」

「では予定通り、出発しましょう」


 朝からずっと二人は馬を走らせ、昼食をかねて小休止をとったとき、ロイはこれから考えられる危険について話してくれた。

 別荘近くは近隣住民も多く利用する道でもあり、まず危険はないだろう。

 だが、ミシェルの実家近くは森も深く、暗殺者が潜伏しやすい。悪路も多く、罠などの仕掛けもしやすい。

 敵が襲ってくるのなら、まず間違いなく森の中だろうと、ロイは警告してくれた。


 そして今、ミシェルとロイは実家近くの森の中へと入った。

 ミシェルは大きく息をつくと、馬と道の状態に気持ちを集中させる。

 今一番重要なのは、この森を無事に通過することだ。


「雪が……」


 ちらちらと、雪が舞い始める。

 ミシェルはフードを深くかぶりなおすと、雪の勢いが激しくならないように祈った。

 だがしばらくすると、ミシェルの視界は雪のせいで白くなり、周囲に注意を払いながら進むことは、難しくなってきた。


「ロイ様!」


 白くかすんだ道の向こうから、若い男の声が聞こえてくる。

 ミシェルは驚いたが、ロイは了解していたらしい。

 返事をすると、その声のほうへと進んだ。


「お待ちしていました」


 現れたのは、別荘の下男として働いていた男、コリンだった。

 薪割りや雪かきなど、いつもロイの仕事を手伝っていたのだが、きちんと武装して馬に乗っている姿は、ロイ同様、訓練を受けた軍人に見える。

 てっきり、近くの村から働きに来ている男だろうと思っていたミシェルは、驚いた。


「彼は、元部下なんですよ。道に危険がないか、先行して確認してもらっていたんです」


 ミシェルの驚きを見て取って、ロイが簡単に説明してくれた。

 コリンもミシェルに、にっこりと頷いてみせる。


「ロイ様の後を追って、ここまで押しかけたんです」

「そうだったの」


 ロイは部下に慕われていたのだろう。

 ミシェルにもそれはすごく納得できて、深く頷いた。


「それで? どうしてここで待っていたんだ。ガブはどうした」


 もう一人、ロイの仕事を手伝っていたガブも、ロイの元部下らしい。


「先行しています。俺がここで待っていたのは、この先の仕掛けがかなり危険なものなので、お知らせしようと」

「馬では通り抜けられないということか」


 ロイの視線の先には、馬が一頭、木の幹にくくりつけられている。

 きっと、先行したというガブの乗ってきた馬なのだろう。


「そうです。見つけにくい罠でして、この雪では、見落とす可能性が高いと判断しました」

「ありがとう。確かに、見落としていただろう」

「ここからは徒歩で行きましょう。ミシェル様の実家まで、それほど距離はありません」

「わかった。ミシェル様、大丈夫ですか?」

「ええ、勿論」


 ロイとコリンに大きく元気よく頷いてみせると、ミシェルは馬を降り始める。

 すぐに、さっと馬を降りたロイが手伝ってくれ、薄っすらと積もり始めた雪の上に降り立った。


 予想していたこととはいえ、こうして現実に罠があると聞かされると、平静ではいられなかった。

 馬の背に括り付けていた少ない荷物を降ろし、背中に背負いながら、ミシェルは大きく息をつく。

 ロイとコリンの二人は、難しい表情で何事か早口に相談している。


(冷静にならなくちゃ)


 ロイになら、安心して任せておける。

 今、自分に出来るのは、ロイの足手まといにならないように、恐怖に混乱したり騒いだりしないことだ。

 視線を感じて顔を上げると、ロイが少し心配そうにこちらを伺っていた。ミシェルは笑顔を浮かべてみせる。


「私の家まで、もうちょっとです。この道は、何度も通ったことがありますから、目をつぶっていたって行けちゃいますよ」


 ロイとコリンは、にっこりと微笑んでくれた。


「行きましょう。ただし、目は開けて、慎重に」

「はい」


 コリンを先頭にミシェル、ロイを最後に、三人は歩き出す。

 すぐに、コリンが見つけたという罠のある場所にたどり着いた。


「見えますか? あそこの木の枝に縄がかかっていまして」


 ミシェルがコリンの指し示す方を見上げた時、後ろのロイが突然、声を上げた。


「伏せろ!」


 その声と同時に、ミシェルはロイに抱きかかえられ、道端の雪の中に倒れこむ。

 そして、倒れこんだのとほぼ同時に、すぐ近くで銃声が聞こえた。


「ロイ様っ」


 押し殺したコリンの声。

 ミシェルは、首をめぐらし、自分を守るようにのしかかっているロイの姿を見ようとする。

 その目に飛び込んできたのは、ロイの腕から流れている血の赤い色だった。







 グリフィスは、道をふさぐ倒木の山を前に、馬を止めていた。


 それほど高い山ではない。

 だが、馬が超えられるほど、低くはなかった。


 不安がる馬をなだめながら、グリフィスは倒木の山と、その向こうに続く細い道を見やる。

 一瞬、これは事故と偶然の産物で、誰かが意図的に道をふさいだわけではないかと思ったが、すぐにそんな甘い考えを否定する。


(この道は、近隣の村の重要な抜け道のはずだ)


 ずっと以前からこれがあるのなら、村人が発見して、とっくに撤去されているだろう。


 馬を降り、手綱を木の幹にくくりつける。

 勿論、徒歩で先に進むつもりで、グリフィスは倒木の山に登り始めた。


(近いか、もしくは間に合ったのかもしれない)


 暗殺者が、邪魔が入ることを嫌って道をふさいだのだとしたら、待ち構えている場所はそう遠くない。

 もしくは道をふさいだことで、ミシェルが立ち往生するところを狙撃しようと、今も近くに潜んでいる可能性も高い。


「ミシェル!」


 もしそうなら、自分がミシェルを探しに来たことを知れば計画失敗を知って退散するはずだと、グリフィスはわざと大きな声でミシェルを呼んだ。


「ミシェル! どこだ!」

「も、もしかして、国王陛下ですか?」


 返答は、予想外のところからあった。

 倒木の山の向こう側だ。

 山の上まで登り向こう側を見下ろすと、若い男があっけに取られた顔でグリフィスを見上げていた。


「お前は……、確か、ユーシスのところの」

「は、はいっ! ガブ・マグダインと申します! サザーラント公爵家の兵団におりました。今は、ロイ様の元におります」

「一人か?」

「はいっ。自分は偵察のために先行しております。ロイ様とミシェル様は、この後に」


 グリフィスは思わず、息をのむ。

 きっと来ているはずだと思っていながらも、こうして実際に聞かされると、胸にじんとくる。

 だが嬉しさは一瞬で、次の瞬間にはミシェルの安全を思って、焦りと恐怖が襲ってきた。


「へ、陛下はお一人ですか?」

「そうだ。他の連中はまだ来ていなかったので、先に来た」


 その時、一発の銃声が聞こえてきた。

 同時に、鳥達が羽ばたく音。

 そう遠くはない。


「畜生っ。下がれ!」


 グリフィスは、ガブがどう乗り越えようかと思案していたほど、かなり高さのある山の上から、思い切って飛び降りる。

 雪の中にめり込むように着地すると、雪で真っ白になりながら、全力で走り出した。


 

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