(3)


 サザーラント公爵ユーシスは、肘掛け椅子に行儀悪く片膝を抱えて座っていた。

 常に笑顔が絶えない彼だったが、今は怖いぐらいに真剣だった。


 ユーシスは、ミシェルよりもグリフィスのことがより心配だった。

 暗殺者がミシェルを狙っているのは間違いなさそうだが、そのミシェルを助けようとするグリフィスに、何があるかはわからない。

 グリフィスならば、大抵の危難は一人で乗り越えられるだろうと信じてはいる。

 剣も銃も、グリフィスはそこらへんの軍人よりもずっと上手く扱う。

 だが、もしかしてということは、いつでもあり得るのだから。


 また、グリフィスが間に合わず、ミシェルを失ってしまうことも、心配だった。

 グリフィスは責任を感じて落ち込むだろう。落ち込むだけならいいが、今のグリフィスにこれ以上の不幸は耐えられるのか、とても不安だった。


 こんな胃の痛い思いをするのは、半年前にグリフィスが失踪した時以来だと、ユーシスは深いため息をつく。

 あの頃、グリフィスはひどく疲れていた。

 国内で、不穏分子と思われる貴族達をようやく整理し、諸外国とも停戦平和条約を取り付けた。

 政治の世界にどっぷりと浸り、ようやく一段落ついて現実に目を向ければ、王城の中も謀略陰謀の渦巻く殺伐とした世界だったという感じだろうか。


 グリフィスがそういった世界を心底嫌悪し、距離をおきたいと願っていることに、ユーシスは気がついていた。

 だから、グリフィスが失踪した時、それこそ気が狂いそうに心配したが、すぐにグリフィス本人から内々に手紙が届き、グリフィスは自主的に休養を取ることにしたのだろうと納得もし、ユーシスは安心して待つことが出来たのだが。


(心配ばかりしていても、仕方がない)


 グリフィスから、王城での調査を頼まれている。

 彼が無事に帰ってきた時、なんの報告も出来ないというのは、みっともないではないか。


 勿論、グリフィスが出かけてからずっと、ユーシスは何もしていなかったわけではない。

 まずは、エレイナが働いていた東棟のメイドを数人呼び出して、話を聞いた。


 メイドたちの話では、エレイナとミシェルは友人のように仲がよかったようだ。

 エレイナはかなりミシェルに親身になっていて、別荘に行くことになった時も、自分から同行すると言い出したらしい。

 ただ、ミシェルに肩入れしていた他のメイドとは違い、エレイナはミシェルが王妃になることを望んではいなかったという。


 ミシェルは、王妃になるよりも、実家に帰って元の婚約者と結婚したほうが幸せになれると、よく話していた。

 素直で優しいミシェルが、王妃になって変わってしまうことを、本気で恐れていたらしい。

 他のメイドたちは、エレイナの心配ぶりが少し常軌を逸していたと話している。


 だが、ユーシスには、エレイナの心配がよく理解できた。

 エレイナはずっとイザベラの側で働いていたのだ。

 イザベラは、王妃になる前から自己中心的な我侭な女性だったが、結婚前は社交界の花形としてちやほやされて満ち足りていて、メイドには寛大で鷹揚なところもあった。

 だが、結婚後は一変してしまった。

 エレイナはきっと、毎日のようにイザベラの愚痴を聞かされ、グリフィスへの罵倒を聞かされていたのだろう。

 王妃になって、イザベラが幸せになったどころか、不幸になったと思うのは当然のこと。

 それで、ミシェルを王妃にさせたくない誰かに協力している。と、ユーシスは結論づけた。


 そう考えると、一応、納得は出来る。

 なによりエレイナは、グリフィスが別荘に来たことも、ミシェルの懐妊についても知っている、数少ない一人だ。

 グリフィスが言っていた、ミシェルを殺したくないという者という条件にもあてはまる。


 さらに、エレイナの恋人が、どうやらロベール公爵家の軍人らしいことも、メイド達の話でわかった。

 孫娘ソフィアを王妃にしたいロベール公爵は、ミシェルを邪魔に思っている。

 部下の軍人を通じて、エレイナに協力させているとしても不思議はない。


(とんでもないところで、ミスをしたものだ)


 エレイナに裏切られるとは、ユーシスは思ってもいなかったのだ。

 別荘に行くミシェルにエレイナが同行すると聞いて、安堵したぐらいだった。


 エレイナはイザベラのやったことを全て知っている、数少ない一人だ。

 知ってしまったことで、心に深い傷も負った。

 だから、ユーシスはエレイナに王城のメイドの仕事を世話したし、色々と気を配ってきたのだ。

 同じ秘密を共有する仲間だからと、どこかに甘さがあったことを否定できない。


 グリフィスはああ言ったが、もしミシェルとグリフィスの身に何かあれば、自分に責任があるとユーシスは思った。

 何もかもわかったような顔でグリフィスに忠告ばかりし、ミシェルも自分の管理下にあると慢心していたのだ。


 今、グリフィスは自力で過去から脱却しようと、あがいている。

 いざとなった時、やはり決断力と行動力があるのはグリフィスなのだ。


「自己嫌悪してる場合じゃないか」


 こうなったら直接ロベール公爵に会い、エレイナのことでも話して、どんな対応をするのか試してみるのもいい。

 だが、逆にロベール公爵に情報を与えてしまうだけになるかもと、考え出してしまう。

 そんな悶々とするユーシスに、会いに来た者があった。




「珍しいですね、ソフィア。貴方がいらっしゃるなんて」


 ロベール公爵の孫娘ソフィアが、一人でユーシスを待っていた。

 珍しいどころか、こんなことは初めてだ。

 ソフィアはユーシスを慕っているが、自分の立場を考えて、必要以上にユーシスに近づくことはなかったのだ。


「なにかありましたか?」


 ソフィアはどこか思いつめたような表情で、じっと椅子に腰掛けたままだ。

 ユーシスに視線を向けようともせず、うつむいている。


「ソフィア?」

「深夜、陛下が出かけられたと聞きました。どちらに行かれたのですか?」


 驚いたが、勿論、ユーシスはそれを表情には出さなかった。


「疲れているので、息抜きに出かけられたんですよ」

「深夜にですか?」

「そういうこともあるでしょう」


 一国の王が夜中に飛び出していくなど、そうあることではない。

 ソフィアは本当のことを話そうとしないユーシスに、ようやく視線を向けた。


「ミシェル様に、何かあったのですね?」


 その言葉よりも、ソフィアのひどく悲しげで泣き出してしまいそうな目に、ユーシスは驚いた。


「そうなのでしょう?」

「どうしてそう思うのです」

「祖父は、ミシェル様を邪魔だと思っているからです」

「そう思っている貴族は、とても多いと思いますよ」

「ですが、実際に殺してしまおうと思いつめているのは、祖父だけだと思います」


 黙ったユーシスに、ソフィアはわなわなと震える唇で話し出した。


「私、聞いてしまったのです。ミシェル様が陛下のお子を宿されて、それで、祖父はミシェル様とお子を殺してしまうしかないと。部下の者たちと相談していました。とても信じられませんでした。でも、聞かなかったふりも、出来なくて」


 頬を涙が零れ落ちていく。


「祖父の様子を監視しながら、色々と調べました。ミシェル様のメイドのエレイナという子が、祖父に協力しているようなんです。それで、ミシェル様の情報を祖父は詳しく知っていたんです。以前から、少しおかしいとは思っていたのです。ミシェル様が誕生日プレゼントに手作りのものを用意していることを、ユーシス様もご存じなかったでしょう? でも、祖父は知っていました。ミシェル様の側に協力者がいると、あのときに気づくべきでした」

「それは、僕が気づくべきでした。あなたではなく」

「いいえ、ユーシス様」


 頭を大きく振り、ソフィアは否定する。


「それに、そのエレイナというメイドの恋人が、祖父の部下にいるようなんです。その男が、連絡係をしているんです。昨夜遅くに王城に帰ってきたらしく、そのすぐ後に陛下が城を出られたようだったので、とても気になって。私、もっと早くお知らせしなければいけなかったのに。もし、本当にミシェル様が殺されるようなことになったら、陛下のお子までそんなことになってしまったら」

「ソフィア」


 涙をぼろぼろこぼしながらも、必死に話し続けるソフィアを、ユーシスは強く抱きしめていた。


「……ユーシス様」


 彼の肩に額を押し当て、ソフィアは小さく嗚咽を漏らす。


「私、私……なにもわかっていませんでした。三年前、あなたがどれほどの思いで、イザベラ様と公爵様を弾劾したのか。私には、全然わかっていなかった。私には出来ませんでした。どれほど罪深いことを祖父がやっているのかわかっていながら、それをとめなければと思っていながら、足がすくんで動けなくて。私には」


 唇を唇でふさがれて、ソフィアは続きを話すことが出来なかった。

 キスは短く、ソフィアが驚きに見開いた目を閉ざす間もなく、ユーシスの唇は離れていった。


「僕は、あなたが思っているほど、強い男じゃありませんよ」


 言葉が出なくて、ソフィアは一生懸命首を横に振って、自分の気持ちを示した。

 そんなソフィアの可愛らしい仕草に、ユーシスの口元はほころんでいた。


「あなたの気持ちを知りながら、黙っていた。何もしようとしなかった。それは、僕の弱さです」

「それはっ」

「グリフィスの保護者を気取っていましたが、彼は僕よりもずっと強い。道化のような気分です、僕は」

「それは違います。そんな風に思うなんて、陛下が聞いたら、きっととてもお怒りになりますわ」


 ソフィアはユーシスの胸元をしっかりと握り締め、必死の思いで言葉を探す。


「陛下を救ったのは、あなたの存在のはずです。この三年、陛下を支え、陛下が心の傷を癒す助けをしていたのは、他でもないあなたではないですか。ミシェル様を得て、陛下はきっと救われるのでしょう。でも、陛下が誰かを愛せるようになったのは、あなたの力だと私は思います」

「ソフィア」

「陛下は強い方です。でなければ、あの若さで一国を統治などできますか? だから、ユーシス様。陛下はもう大丈夫です」


 万感の思いを込めて見つめてくるソフィアの美しい瞳に、ユーシスは心を震わせていた。

 突き上げてくる思いのまま、ソフィアをしっかりと抱きすくめ、その柔らかな髪に顔をうずめる。


「僕にあなたを守らせてください。あなたに僕のような思いをさせたくはない」

「ユーシス様……」

「僕に任せてください」


 不安そうなソフィアに、もう一度、小さなキスをする。


「ユーシス様を信じています。お任せしますわ。私に出来ることを、教えてください」


 ソフィアの、一途で強くゆるぎない目に、ユーシスも強く頷いてみせる。


「まずは、あなたのお父上に話をしましょう」


 ソフィアの父、次代のロベール公爵は、穏やかな気質の頭のいい誠実な男だ。

 事情を知れば、必ず協力してくれるだろう。

 孫娘のソフィアや、ユーシスの命令は聞かないロベール家の者達も、ソフィアの父ならばきっと全てを話すはず。


「父は部屋にいます。いきましょう、ユーシス様」


 差し出された手に、ユーシスは微笑をもらした。

 一人で待っているわけでもなく、嘆き悲しむわけでもない。一緒に行こうというソフィアの強さが、とても愛しかった。


「行きましょう」


 ソフィアの手をとると、ユーシスは先に立って歩き出した。


 

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