第十一章 神殿の扉が開くとき
(1)
―――王城。グリフィスの寝室。深夜。ミシェルが出発する数時間前。
かすかな物音に、グリフィスは目を覚ました。
枕の下に隠してある短剣に手を伸ばしながら、さっと起き上がり、部屋の中に異常はないか確認する。
慎重にランプの明かりを大きくすると、扉の隙間から部屋の中に落とされた一通の封書が見えた。
グリフィスは慎重にその封書を取り上げて、ランプの明かりに中を透かしてみた。
中には、便箋が数枚入っているだけのように思えた。
国王に密告を試みる者は少なくない。
だが、寝室の中に封書を差し入れられることは、そうできることではない。よほど力のある者ということになる。
貴族同士の争いなど、今に始まったことではないが、国王としては、臣下達の動向を知っておくのも重要な役目だ。
グリフィスは封を開けると、最初はあまりその気もなく、面倒そうに読んでいた。
だが、読みすすめるうちに表情は厳しくなり、眉間に深い皺が寄る。
「なんだ、これはっ」
押し殺した声で毒づくと、もう一度最初から、今度は貪るように読み返す。
グリフィスの元に届けられたそれは、前日、ミシェルがレスターから受け取った、あの手紙とまるで同じものだった。
グリフィスは王城にいる。
そして、レスターはミシェルの両親と合流して旅行中だということを、グリフィスは知っていた。
そもそも、レスターにミシェルと話し合うように助言されたが、一緒に会いに行く予定などない。
(これは、ミシェルを呼び出す罠か)
ミシェルを暗殺しようとしている者について調査をすすめてはいるが、まだなにもわかっていない。
なにしろ、ミシェル本人に何の心当たりもなく、グリフィスも記憶がないせいで、手がかりがなにもない。
ミシェルが残していったナイフについても、手がかりになるような品ではなかったのだ。
なぜだと思った。
婚約を破棄し、王城を去った今、ミシェルの周囲から危険はなくなったはず。
そう思っていたからこそ、なかなか結果のでない調査を待っていられたのだ。
自分が直接動けば、逆にミシェルを危険な目にあわせてしまうかもしれないと思ったから。
(まさか、この前、会いに行ったのを)
ミシェルに会うことはなかったが、彼女の滞在する別荘に出かけていったことは事実だ。
それが、ミシェルを狙う誰かを刺激したのかもしれない。
グリフィスは、ぎりぎりと歯噛みした。
急ぎだと連絡を受けて、ユーシスがグリフィスの私室に来たときには、グリフィスはもうほとんど身支度を終えていた。
「何事ですか」
グリフィスは厳しい表情で、外出するための重装備をし、剣や銃まで携帯しようとしている。
ただ事ではないと、ユーシスもさっと緊張した。
「今、これが来た」
と、グリフィスは例の封書をユーシスに差し出す。
ユーシスがそれを読んでいる間も、準備の手を休めない。
「なんですか、これは。まさか、それで今から会いに行くというわけですか」
「レスターは、ミシェルの両親と旅行中だ」
「じゃあ、これは」
「罠だ」
事態を理解したユーシスは、小さく息をのむ。
扉の前に取って返し、鍵がかかっているのを確認すると、グリフィスの側によって声をひそめる。
「まさか、それであなたが直接行くつもりなんですか」
「そのつもりだ。もう、準備させている」
「気は確かですか? これが、ミシェルではなく、あなたへの罠だという可能性もあるんですよ? 人けのないところにあなたを呼び出して、暗殺しようとしている者がいるかもしれないんです」
「いるかもしれないが、可能性はかなり低い」
グリフィスはこの場限りのでまかせを言っているわけではない。
現在、この国にはグリフィスの次に国王になるべき者がいない。
グリフィスに兄弟はいないし、前王には妹しかおらず、その妹は外国の王室に嫁いでいる。
この状況でグリフィスを暗殺などしたら、次の国王を誰にするかという問題で、国内は大荒れになるだろう。そんなことは、貴族の誰も望んではいない。
それなら外国はといえば、友好関係を築いているし、グリフィスを暗殺するよりも縁談を持っていくほうが得策だと考えている。
「俺より、ミシェルを暗殺しようとする者達のほうが多いだろう」
多いどころか、ほぼ間違いない。
それは、ユーシスにもわかっているので、顔をしかめて小さく唸った。
「ミシェルの事情に詳しすぎる。レスターの名前までだしているし、あのプレゼントのことまで知っている。きっと、ミシェルにナイフで脅しをかけた奴らと同一だろう」
グリフィスの口調は、非常に冷静で淡々としている。
だが、目は、怒りに燃えていた。
このまま飛び出して行きたい衝動を、国王としての義務感や、出来る限りの手を打っておくべきだという理性が、かろうじて押さえているという感じだった。
「だとしたら、ミシェルは危険だ。今度こそ、脅しではないかもしれない」
「ミシェルの側には、デイナとロイがいます。あの二人なら、これが罠かもしれないと、彼女をとめてくれるでしょう」
「多分な。だが、そうならないかもしれない。そんな危険な賭けをするつもりはない」
デイナとロイの元には、すでに使いを出している。
ミシェルを護衛するために、兵士も同行させた。
だが、どれほど急いだとしても、一行が着くのは今日の午後になる。
この手紙はミシェルに急がせているし、行くつもりならば、きっと朝になれば出発するだろう。
「俺はミシェルの実家に向かう。実家のほうから別荘に向かえば、途中でミシェルと会えるはずだ。先に刺客と会えるかもしれないしな」
王城と別荘、別荘とミシェルの実家、ミシェルの実家と王城は、ほぼ同距離になる。
グリフィスが先行してミシェルの実家に向かえば、ミシェルが実家に向かっている途中で会える計算だ。
刺客が待ち伏せている位置にもよるが、グリフィスが間に合う可能性は十分にある。
「待ってください」
今にも飛び出していきそうなグリフィスの前に立ち、ユーシスは行く手を遮った。
あまりにも事態が急変して、ユーシスも考えがまとまらない。
それなのに、グリフィスはさっさと行動方針を決めて、危険なところに出かけようとしているのだ。
ユーシスはいつも、グリフィスのこういうところに敵わないと思う。
色々な可能性や、対策、方法を考えてから行動することの多いユーシスに対し、グリフィスは鋭い洞察力で物事の真実を見定め、揺るぎない自信を持って躊躇なく行動にうつす。
だが、記憶を失ってからずっと、グリフィスは常にミシェルのことで深く悩み迷っていた。
そんな姿を見慣れていたせいか、今のグリフィスに対応するのが、ユーシスにはひどく難しかった。
引き止めたくても、言葉が出てこない。
その間に、グリフィスは身支度を終えてしまう。
「行ってくる。小隊一つ連れて行きたいところだが、目立つのも困る。足の速い者を、数名連れて行く」
グリフィスには、もうミシェルしか見えていない。
ユーシスは諦めて肩を落とす。
「派手に出て行って、暗殺者を牽制するという手もありますよ」
「遅すぎる。そんな間接的な手段では、今まさにミシェルを狙っている暗殺者の手を止めることは出来ない。それよりも、お前はこの暗殺を企んだ者を捜してくれ」
ユーシスは眉をひそめる。
今日まで、グリフィスの直属である、貴族達を内偵することを専門としている官僚達が何も見つけることが出来なかったのだ。
大貴族とはいえ、ユーシスに何か新しく発見できるとは思えなかった。
「こういう物が届くということはだ」
と、グリフィスは例の封書を視線で示す。
「あちらの内部には、ミシェルを殺したくない奴もいるということになる。もしくは、親玉に消えて欲しがっている奴。脅迫だけではなく、実行に移されたときに出てくるのだから、多分前者だろう。お前が今派手に動き出せば、そいつがまた動くかもしれない。それに、向こうの結束がゆるみ、浮き足立っている今なら、尻尾を捕らえられるかもしれない」
「わかりました」
グリフィスは冷静だ。そして、指示は的確だった。
ユーシスは自分も冷静になっていくのを感じていた。
「ミシェルに会いに行ったのは迂闊だった。俺さえ行かなければこんなことには」
「え?」
「だが、俺が別荘に行ったことを知っているのは、それほど多くないだろう。それでだいぶ絞り込めるはずだ」
「グリフィス、待ってください」
グリフィスの言いたいことを理解して、ユーシスは慌てて止めた。
いつかは言わなければと思っていたのだが、こんな状況になるとは思ってもいなくて、ユーシスは言いあぐねる。
だが、グリフィスに先をせかされて、重い口を開いた。
「ミシェルは、懐妊している可能性があったんです」
硬直し、驚愕の表情でこちらを見るグリフィスをユーシスはじっと見つめ返す。
「黙っていて、申し訳ありません。ですが、違っていたという連絡が、昨日来ましたので」
「なぜ、黙っていた」
「ミシェルに止められていたからです。懐妊はあくまでまだ可能性にすぎず、はっきりしていないからだと。勿論、はっきりすれば、あなたにお伝えするつもりでした」
グリフィスはユーシスから視線をそらし、恐ろしく複雑な顔で黙り込んだ。
だが、悩んでいる場合ではないと思ったのか、ぶるっと頭を振って、ユーシスに視線を向けてきた。
「この話が漏れている可能性があるんだな」
うめくような声でグリフィスが言うと、ユーシスは強張った表情で小さく頷いた。
「この話を知っていて、俺が別荘に行ったことを知っている者だ。かなり絞り込めるんじゃないのか?」
「そうですね」
別荘にいる者で、多分間違いはない。
そして、ロイからはすでに、エレイナの身元を洗いなおすべきだという連絡も受けている。
エレイナは身内だし、イザベラに親身に仕えてくれていた者だ。
裏切られたとは思いたくないが、ユーシスもそれで見逃すほど甘い男ではない。
「申し訳ありません。あなたには黙っているべきではなかった」
懐妊の可能性があったことを、すぐにグリフィスに話しておくべきだったのだ。
グリフィスなら、すぐにミシェルを手元に呼び寄せて守ると主張しただろう。
そうなっていれば、こんな状況にはならなかった。
ミシェルに何かあったら自分のせいだと思え、ユーシスはうつむいて手で口元を覆う。
「ミシェルに何かあれば、その責任は全て俺にある」
乗馬用の手袋をはめながら、グリフィスは低くつぶやいた。
「王城から彼女を追い出したのは俺だ。懐妊の可能性を作ったのも、俺だしな」
顔を上げたユーシスに、グリフィスは頷いて見せる。
「そう心配するな。ミシェルが出かけていく可能性は、かなり低い」
「そうでしょうか」
「今更、ミシェルが俺に会いたがるとは思えない。別荘から実家まではかなりの悪路だ。気が向いたから会いに行こうと思って、行けるような道じゃない」
「……それでも、あなたは行くんですね」
グリフィスの口調に何か感じ、ユーシスはそう聞いていた。
扉へ向かっていたグリフィスは、そんなユーシスを肩越しに視線だけ振り返った。
「ああ、行ってくる」
来れば危険だとわかっている。
来ないでくれと、心から願っている。
だがそう思う心のどこかで、ミシェルが会いたいと願ってくれないかと、切望してしまっている。
もし、ミシェルが会いに来てくれるなら。
会いたいと思ってくれたのなら。
グリフィスはユーシスに気づかれぬよう小さく息をつき、ぐっと手を握り締めると、静かに部屋を出る。
そして、夜の深い闇の中、王城を出発した。
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