(4)
「情報が漏れているという、証拠はないじゃないですか」
ミシェルはエレイナをかばうように、彼女の前に立つ。
「ミシェル様」
デイナが何か言いたげに、眉を顰める。
何を言いたいのか、ミシェルにはよくわかる。
安易に人を信じてはいけない、露骨な好意を見せる相手は警戒する。人を狂わせてしまうほど、王妃という地位と権力には魅力があるのだから。
デイナはそう教えてくれたし、ミシェルも理解していた。
だが、父や母からは、人から信頼をえるためには、まず自分が信じなければと教えられた。
ミシェルは子供の頃からずっとそうしてきた。裏切られたこともあったが、後悔したことはない。
自分の考え方が、デイナに教えられたような大貴族に相応しいそれと、違うことはわかっている。
それでも、ミシェルは、自分の根っこのところにある考え方までも、変えたいとは思わなかった。
「私、行きます」
「ミシェル様!」
「勿論、罠である可能性はあります。私を亡き者にしたいと願っている人が大勢いることも承知しています。ですが、グリフィスと二人きりで会える機会なんて、今回が最後かもしれません」
そんなことはないと反論しかけたデイナに、ミシェルは首を横に振る。
ユーシスは、ミシェルがグリフィスに会えるように、尽力してくれるだろう。
だがそれでは、あまりにもユーシスに迷惑がかかりすぎてしまう。
ミシェルを狙っている誰かは、ユーシスにも狙いを向けるかもしれない。それは出来ない。
それに、誰かにきちんとお膳立てしてもらわなければ会えないなんて、あまりにも甘えすぎているとミシェルには思えてならなかった。
グリフィスに嫌われてしまったのは自分のせいだと思っているミシェルには、グリフィスを取り戻すためになら、どんな努力も惜しまないという覚悟がある。
それなのに、レスターからのこの申し出を、少しでも危険があるからと断るのは、あまりにも愚かだと思えて仕方がなかった。
「それに、レスターからの手紙には、私とグリフィスにしかわからないことも書いてあるんです」
誕生日のメッセージに返事をしたいというのは、プレゼントにミシェルの告白が同封されていたことを知らなければ書けない一文だ。
そして、それを知るのは、グリフィスだけ。
「冬の山歩きには、慣れています。朝出れば、まだ日のあるうちに向こうに着けるでしょう」
「ですが、ミシェル様」
「それに、レスターの手紙が本当だったら、私はグリフィスを待ちぼうけさせることになってしまいます。そんなことになってしまったら、今度こそ、グリフィスは私に愛想を尽かすでしょう。会える機会は、もう二度とないかもしれません。私、行きます。ごめんなさい、デイナさん、ロイさん」
ロイとデイナは、困った表情で顔を見合わせる。
「軽率だという自覚はあります。正直、グリフィスがいる可能性は、五分五分だと思っています。けれど、思い切って行動するべき時もあると思うし、今はそれだと思うし」
今一番の理解者であり、協力者である二人にわかってほしくて、ミシェルは自分の中から必死に言葉を探し出す。
「ユーシス様が助力してくださるのをただ待つのも、グリフィスが記憶を取り戻すかもしれないと待つだけなのも嫌なんです。私は一度グリフィスを手放してしまった。婚約者という地位も、彼の側に居る権利も、自分に相応しくないって。今はとても後悔しています。グリフィスにすがり付いてでも、私は彼から離れるべきじゃなかった。もう、そんな後悔を繰り返したくはありません」
話しながら、自分の中にふつふつと力がわきあがってくるように思えた。
「彼を愛しているから。私、必ず、グリフィスを取り戻します」
静かな声で、そう言いきったミシェルに、ロイとデイナは顔を見合わせる。
ミシェルにここまでの覚悟があるならば、反対する理由はないと、二人は視線だけで同意しあった。
「わかりました。一緒に行きましょう」
ロイがそういうと、ミシェルはさっと首を横に振る。
「駄目です。罠だったとき、犠牲になるのは私だけで十分です」
「一人で行くと言うんですか」
「行けます。私は森で育った野生児なんですよ。雪道を馬で行くことなんて、どうってことはありません」
「でも、罠である可能性がある。そうだった時、一人でどうするんですか」
強気だったミシェルが、わずかに動揺する。
「銃と剣を持っていきます」
「それなら、俺の方が上手に使えますよ」
「でも、ロイ」
「ロイの言うとおりです、ミシェル様」
戸惑うミシェルの肩に手を乗せ、デイナがにっこりと微笑む。
「ロイは優秀な戦士なんですよ。そんじょそこらの刺客に引けは取りません」
「デイナさん」
ミシェルは迷ったが、やはり首を横に振った。
「駄目です。危険が多すぎます。私のために、ロイになにかあったら」
「ミシェル様、これは私達の決断です」
両手と両手を握り締め、デイナはミシェルを真っ直ぐに見つめる。
「私達、今のままでは、一生こうして暮らしていかなければなりません。八方塞りなんです。でも、ミシェル様なら、なにか変えてくれるかもしれない。そう思っています」
ロイも、デイナとミシェルの手の上に、自分の大きな手を重ねた。
「陛下に口ぞえしていただくのを期待しているわけじゃないですよ。あなたが王妃になれば、王宮の雰囲気が変わるかなと思うんです。貴族達の価値観もね」
ロイの言葉に、デイナは力強く頷いた。
「国で一番尊い女性に下級貴族のミシェル様がなるのなら、私の夫にロイがなっても全然不思議はないでしょう? ミシェル様には前例になってもらわないと」
デイナが、わざと笑えるように話を軽くしようとしてくれているのはわかっていたが、ミシェルはやはり笑ってしまった。
そして、この二人の助力と理解を、本当にありがたいと思った。
「どうもありがとう。本当に、ありがとう」
「一緒に頑張りましょう」
ロイの笑顔に、ミシェルはしっかりと頷いた。
◆
翌朝。
日が昇りきらないうちに、ミシェルたちは起き出して、出発の準備をしていた。
悪路を馬で行かなければならない。
ミシェルは念入りに身支度をし、一つ一つ確認しながら、必要最小限の荷物を詰めていく。
執事のエルが、憮然とした顔で黙々と荷造りを手伝ってくれている。
当然のごとくエルは同行を申し出たのだが、ロイとデイナから却下されてしまったため、とても機嫌が悪い。
エルをよく知るデイナが、エルは荒事では役に立たないとばっさり言ってくれたせいもあるだろう。
「エル、後を頼みます。私に何かあったときは、お父様に詳細をお知らせしてね」
グリフィスと王城に行ってから、何がおこり、ミシェルがどう考えて行動したのか、すべてを知るのはエルだけだ。
「ミシェル様に何かあれば、なんとしても陛下にお会いし、恨みごとをたっぷり吐き出させてもらうつもりですから」
「エルったら、グリフィスに殺されちゃうわよ」
「私の命のためにも、どうかご無事でお戻りください、ミシェル様」
「ええ、ありがとう」
いつも忠実で主人想いの執事と、固い握手を交わす。
「ミシェル様、これを」
エレイナは、昼食の包みを持ってきてくれた。
馬の上でもつまめるようにと、お願いしてあったものだ。
「どうもありがとう」
エレイナに微笑みかけたが、いつも微笑み返してくれるエレイナの表情は、硬いままだった。
「……本当に、行かれるんですか?」
囁くような声で、エレイナはそう聞いてきた。
昨日からずっと、この話題を避けていたエレイナが、今自分から持ち出してきたのには意味があるはずだ。
「罠かもしれません。私が、……私が誰かのスパイかもしれません」
「そうね」
ミシェルは、あっさりと頷いた。
驚いたように、エレイナが眼を見張る。
「疑っているのなら、どうして! 危険です!」
「でも、本当かもしれないでしょう? 罠だったとしても、グリフィスが来ることは本当かもしれないし」
ひどく複雑な表情になったエレイナの手を、ミシェルは微笑みながら握り締めた。
「もし、あなたが本当にスパイだったとしても、それにはなにか事情があるんだろうし。でも、私にも私の事情があるのよ。私はグリフィスに会いたい。そこにどんな危険があってもいいと思えるぐらい、そう願っているから」
「…………」
「私が出かけることに、あなたが責任を感じることはないのよ。これは、私が選んだことなのだから」
うつむき、黙ってしまったエレイナの手を、ミシェルは優しく叩いた。
そしてあえてエレイナに背を向けると、渋い顔つきのエルに頷いて見せ、荷造りの続きを始める。
「ミシェル様」
しばらくしてから、エレイナが声をかけてくる。
ミシェルは荷造りの手を休めずに、答えた。
「なあに」
「本当に、王妃様になるおつもりですか」
「ええ、そうよ。グリフィスの側にいるためには、どうしても必要なことですもの」
「でも、幸せにはなれません」
「いいえ。私はグリフィスを愛しているもの。それに、グリフィスから、もう一度愛されたいと思っているから。だから、きっと幸せになるわ」
エレイナは再び黙ってしまった。
荷造りを終えてから、ミシェルはエレイナの前に立つ。
だが、なんと声をかけたものか迷っているうちに、扉の向こうからロイに呼ばれた。
「ミシェル様、行きましょう」
エルが荷物を持ち、ミシェルをうながす。
ミシェルはエルに頷き、エレイナには別れだけを告げる。
「それじゃ、行ってくるわね、エレイナ」
「ミシェル様!」
エレイナはすがるような目で見つめてきた。
「あまり、あの、お急ぎにならないほうがいいと思います。道が、ひどく悪いと聞いていますし。お気をつけください。陛下にお会いできることを、お祈りしています」
「ありがとう」
エレイナに言葉の意味を問いただすことはなく、ミシェルは出発のために部屋を出た。
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