第十章 もう二度と後悔をしないために

(1)


 薪を取りに外へ出たロイは、門の前に立ち、誰かを見送っているようなエレイナの姿を目に留めた。

 この別荘に客が来ることは滅多にない。

 一体誰だろうと、ロイはエレイナの視線の先を追った。


「!」


 立派な馬に乗る、背の高い男の後姿に、ロイは声を失う。

 絶対の自信はないが、国王グリフィスだと思えたのだ。

 もっと近くで確かめようと、ロイはエレイナの横に走るが、その間にも馬は足を速め、後姿は遠くなってしまった。


 ユーシスの側近くにいたロイは、グリフィスを間近で見たことが何度もある。

 だから間違いないと思うのだが、何しろ一瞬のことだ。


「エレイナ。今のはもしかして」

「道を聞かれたんです」


 驚いて視線を向けるロイに、エレイナは微笑んでみせようとしているようだった。

 だが、彼女の顔は緊張にどこか引きつり、何よりも目が笑っていなかった。


「初めて会う人でした。旅をされているとかで」


 エレイナの動揺と緊張が、逆に今の男がグリフィスだったのだと証明しているように、ロイは思えた。


「驚いたよ。後姿が陛下によく似ていたから」

「まさか! 陛下がどうしていらっしゃるんですか」


 今度はヒステリックな笑い。

 不審に思うロイに、エレイナは小さく挨拶すると、慌てた様子で背を向ける。

 そのまま置きっぱなしになっていた薪を拾い上げると、足早に去っていった。

 そそくさと姿を消すエレイナの背中を、ロイは眉間に皺を寄せて見送る。


「どうかしたの?」


 ロイが遅いので心配したデイナが、扉を開けて顔を出した。

 そして、難しい顔をしているロイに気がついて、後ろ手に扉を閉ざしつつ、ロイのすぐそばにやってきた。


「なに? なにかあったの?」

「陛下がいらしていた、と思う」

「な!」


 大声を出しかけて、デイナは慌てて口を閉ざす。

 扉一枚向こうには、ミシェルがいるのだ。


「なんですって? 本当なの?」

「多分ね。後姿をちらっと見ただけなんだ。もう帰られたよ」

「帰った?」

「ミシェル様の顔を見に来たんじゃないかな」

「呆れた。ちゃんと会っていけばいいのに」


 本気で呆れたようにデイナが顔をしかめるのに、ロイはただ微苦笑する。

 グリフィスに向かって『呆れた』などと言えるのは、デイナとユーシスぐらいだろう。


 主人であるユーシスはグリフィスと親友付き合いをしていたし、デイナもグリフィスとは幼馴染でぽんぽん物を言うが、ロイはデイナと結婚した今でも、グリフィスの前に立つと身がすくむ。

 国王として絶大な権力を持つ人だということもあるが、グリフィスには周囲を圧倒する強烈なカリスマがあるのだ。

 一般市民のロイなどは、ただただ平伏するばかりである。


「デイナ。それよりちょっと気になったんだが、エレイナの身元ははっきりしているのかな」

「ユーシスのやることだから抜かりはないと思うけど。ロイは変だと思うの?」

「ちょっと気になってね」

「それじゃ、ユーシスにもう一度ちゃんと調べるように言っておくわ」


 あっさりとデイナがそう言ったので、ロイは少し慌てた。


「おいおい。ユーシス様のやることには抜かりはないんだろう。俺の気のせいだよ」

「あら。ユーシスよりもロイのほうが、人を見る目があるわよ。ロイが気になったのなら、再調査させる価値は十分にあるわ」


 きっぱりと断言するデイナに、ロイはなんとも居心地悪そうな顔をして、指先で頬をかく。


「それは君の惚れた欲目というものだよ」

「残念でした。ユーシスもきっと同じことを言うわよ。私があなたに惚れているのに間違いはないけどね」


 にっこりと微笑むと、デイナはさっと背伸びしてロイの唇に唇を重ねた。







 サザーラント家の冬の別荘は、ゆっくりと時間が流れていた。

 しだいに窓の外の風景が、雪の白一色になっていく。

 ロイとエルが手分けして雪かきをする姿も、すっかり見慣れた光景になっていた。

 そんな静かな時間の中、ミシェルは別荘での生活を楽しもうとしていた。


「うんうん。素敵!」


 デイナはヘアブラシを置くと、鏡ごしにミシェルと目を合わせて、にっこりと微笑んだ。

 鏡の中のミシェルは、デイナが綺麗に結い上げてくれた髪に、恐る恐る触れてみる。


「デイナさん、凄いお上手ですね」


 感嘆のため息混じりに誉められて、デイナは両手を腰にあてて威張ってみせた。


「ありがとうございます。でも、これは慣れですよ、慣れ。毎日やっていれば、嫌でも上手になりますって。それに自分で出来なくても、やってもらえばいいんですから。気にしない」

「でも、やっぱり自分で出来たほうがいいから、頑張って練習します」


 ぐっと拳を作ってやる気を見せたミシェルに、デイナは頑張ってねと拍手してみせる。

 この二人の貴婦人は、すっかりうち解けて仲良くなっていた。

 デイナは最初からミシェルを気に入っていたが、たくさん話をし、ミシェルのことを深く知れば知るほど、ミシェルのことが大好きになった。

 ミシェルも、さっぱりとして気取らない性格のデイナを、姉のように慕って、今では包み隠さずなんでも相談するようになっている。


「ミシェル様はセンスいいから、すぐお上手になりますよ。今日のドレスも、とっても素敵だし」


 先週、ミシェルにたくさんのドレスと装身具が送られてきた。

 ユーシスからのプレゼントで、どれもこれもかなり高価な品だった。


 ミシェルは貰ってもいいものかとかなりためらいつつも、デイナの強いすすめに従って受け取ったのだが、今もまだ納得できていないらしい。

 最高級のレースが使われたフェミニンなドレスを見下ろして、小さくため息をついている。


「こんな素敵なドレス。本当に私なんかが貰ってしまっていいんでしょうか」


 すでに何十回となく繰り返された疑問で、すでに周囲に何十回と説得されているミシェルの声は、さすがにとても小さい。

 だが、何十回と説得されても、ミシェルにはやはり納得できないのだ。


 婚約者だったグリフィスにプレゼントをもらうのは、まだなんとか受け入れられた。

 だが、ユーシスにはお世話になっているだけで、こんな高価なプレゼントを貰う理由がない。

 そんなミシェルの内心を思ったのだろう、デイナは困ったように小さく苦笑する。


「大丈夫。ユーシスにはユーシスの理由があるんですから」

「公爵様が私にドレスをプレゼントする理由が?」

「そうですよ。ユーシスはミシェル様に婚約者に返り咲いて欲しいだけなんです」


 それを聞いて、ミシェルは更に困った顔になった。

 前王妃の実家サザーラント公爵家が、先代の国王の時代にどれだけ勝手なことをしていたのか、つい先日デイナに教えて貰ったばかりなのだ。


「言葉が足りませんでしたね。別にユーシスはミシェル様に恩を売っておこうとしてるわけじゃないんですよ。ユーシスはただ、陛下に幸せになって欲しいだけ。そのためには、ミシェル様が必要だと思っているだけなんです」

「私が必要?」

「陛下はひどい女性不信の女嫌い。でも、ユーシスは陛下に恋愛結婚してほしいと思ってるんです」

「女性不信を治したいってことですか?」

「そうですね。そういうことです」


(正確には、過去の呪縛から解き放たれることかな)


 デイナは、あの暗殺事件の真相を知る限られた内の一人だが、それをミシェルに教えるべきなのか、どう教えたらいいのか、迷っていた。

 もしかしたら、ミシェルは真相を知って、王権の恐ろしさにしり込みしてしまうかもしれない。

 それにこのことは、グリフィスがミシェルにきちんと話すべきだとも思えた。

 多分、未だにこの事件を自分の中で消化できていないグリフィスが、自分の中できちんと決着をつけたとき、ミシェルに過去のこととして話すことが大切なのだ。


 そして、デイナはあの事件を思い出すとき、いつもユーシスの内心を思う。

 義理の母に恋慕され、実の父親を殺されたグリフィスも不幸だが、サザーラント公爵家のために、父と姉を断罪しなければならなかったユーシスも不幸だった。

 イザベラが国王を暗殺した証拠を揃えたのも、父の汚職を明確な証拠と共に告発したのも、ユーシスだった。

 それを、サザーラント公爵家の新当主としてやることで、父や姉の罪でサザーラント公爵家が破滅するのを救ったのだ。


 サザーラント一族の多くの人々の名誉と生活を確保するためとはいえ、ユーシスのやったことは、父や姉を売ったこと。ユーシスが何も感じていないはずがない。

 さらに、ユーシスはグリフィスに対して今も負い目を感じている。自分の姉と父が、よってたかってグリフィスを不幸にしたのだと、そう思っているのだ。

 完璧な当主となること。そして、グリフィスの恋を後押しすることで、ユーシスは自分の贖罪をしているのかもしれない。


 ふと気がつくと、鏡の中のミシェルが、暗い顔のデイナを心配そうに見上げていた。

 デイナは慌てて笑顔を浮かべてみせる。


「え、えっと、だから、ユーシスはミシェル様のためにドレスを贈ったんじゃなくて、陛下のためなんですよ。ユーシスに恩返ししたいのなら、陛下の婚約者に戻ることが一番なんです」

「わかりました。デイナさんがそう言うのなら、黙って頂いておきますね」


 デイナが急に黙り込んだ理由も、ユーシスの事情も、ミシェルは深く追求しなかった。

 デイナの態度で、それはあまり触れてはいけないことだと悟ったのだろう。

 そんなミシェルの思いやりに、デイナは小さく黙礼した。


「あら。もうお昼の時間ですね。午後は何をしましょうか?」

「私はなんでもいいですよ。デイナさんの気の向いたことで」

「なんでもですか」


 答えて、デイナは思わず苦笑を浮かべていた。

 実は、もう『なんでも』と言えるほどミシェルに教えるべきことが残っていないのだ。


 田舎の伯爵令嬢だというから、礼儀作法に公式文書の書き方まで、すべて教えなければと思っていたデイナだったのだが、ミシェルの教養はとてもしっかりしていた。

 逆にミシェルの方が博識で、どちらがどちらを教えているのかわからなくなったこともあるぐらいだ。


 デイナが教えることといえば、政治に関する事ばかり。それも、どちらかというと、あまり綺麗とは言えないようなことばかりだった。

 貴族達の勢力図だの、元老院とグリフィスの確執だの、前王時代の色々など。

 その他には、ドレスの選び方に髪の結い方ぐらいだろうか。礼儀作法に関しても、女官長がきっちり仕込んだようで、文句のつけどころがなかった。


「それじゃ、一緒にパイでも焼きません? この前、ミシェル様が作ってくださったアップルパイのレシピ、ぜひぜひ教えてください」

「いいですよ。じゃ、そうしましょう」

「よかった! あのアップルパイ、ロイもすごく気に入っていたでしょ? 覚えておきたくて」


 昼食の支度を手伝いにデイナは出ていき、ミシェルは一人残された。

 デイナの教えてくれた髪の編み方を思い返しながら、鏡の中の自分を見つめていると、思わずため息が漏れた。


 綺麗にお化粧し、最新流行の型に髪を結い上げ、豪華なドレスに身を包み、高価なアクセサリーで飾り立てたミシェルは、まるで別人のようだった。

 デイナは、社交界に出ていっても絶対に誰にも田舎者だなんて文句はつけられないようにすると言って、その通りにした。

 毎日のように高価なドレスを着て、アクセサリーに気を配ることで、ミシェルは洗練されていった。

 これまでは高価なドレスに身を包んでも、どこかちぐはぐな感じで、似合ってはいてもなじんではいなかったのだが。

 今のミシェルはどこから見ても貴婦人で、誰も社交界デビューもまだの田舎娘だとは思わないだろう。


 自分が変わっていくのを感じた。

 急速に変化する自分に戸惑い、不安を消すことが出来ない。

 少し大げさかもしれないが、このままでは、今までの自分を失ってしまうような気さえするのだ。


(……本当にこれでいいのかしら)


 君が変わらないようにと、グリフィスが言っていたことを思い出し、ミシェルは複雑な表情でため息をついた。


 

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