(5)


 グリフィスはミシェルを見つけた場所へ、雪の中、走っていた。


「確か、この辺だったはずだが」


 雪に覆われて白くなったせいもあって、ミシェルがいた位置が確定しにくかった。

 グリフィスはミシェルを見つけた廊下まで戻って、場所を再度確認する。

 ミシェルがうずくまっていた位置には、大きな花壇があった。

 あの時に、こんな花壇はなかったはずだ。

 グリフィスは、綺麗に手入れされている花壇をしばし眺めていたが、心の中で庭師にわびると、おもむろに掘り返し始めた。


 だが、道具もなしに、そう深くは掘れない。

 すぐにグリフィスの指の爪はぼろぼろになり、はげ落ちそうになった。


 ミシェルがここを選んだ理由を、グリフィスはすぐに理解する。

 当時、ここは花壇にするために土が掘り返されていたのだろう。

 しかも、あの日は早朝からずっと雨が降っていた。きっと、地面はかなり柔らかくなっていたに違いない。

 今日も朝から雨だったが、気温があの日とはまるで違い、地面は固く凍ってしまっていた。


 それでも、グリフィスはミシェルへの罪悪感と、ミシェルは素手で掘ったのだという思いで、道具を使う気にはなれなかった。

 爪がはがれだし、周囲の白い雪に、泥の黒とグリフィスの血の赤が混じり始める。

 そして、雪が舞い散る寒さの中でも、グリフィスの額にじっとりと汗がにじみ出てきた頃、ようやくグリフィスの指は土ではない物に触れた。


 あの時、明かりはほとんどない暗闇で、ミシェルの持ってきたプレゼントの包みがどんな色だったか、グリフィスは覚えていない。

 覚えていたとしても、地中の中で一ヶ月以上たった今、かなり変色して元の色など全くわからなくなっていた。

 包装紙を外し始めると、包装紙の隙間から地中の小さな虫がいくつも出てくる。

 それを払いのけながら紙を取ると、思ったよりもしっかりとした状態の箱が現れた。


 グリフィスは、震える指で箱を開ける。

 分厚い紙の箱はかなり湿っていたが、なんとかまだ箱としての機能を果たしていた。

 中には、美しい刺繍が施されたベストと、一通の封書が入っていた。


 封書へと指を伸ばしかけ、グリフィスは自分の指が泥と血でものすごく汚れていることに気がついた。

 はやる心を抑えつつ、綺麗な雪で手を清める。

 そして、爪のはがれていない指で、慎重に封筒を取り上げた。


 かなり湿ってしんなりとなったカードを開くと、田舎伯爵の娘とは思えない美しい文字が並んでいた。

 ミシェルは思っていた以上に学があるのだろう。文章は、国王に対するきちんとした定型文と挨拶で始まっていた。

 グリフィスはそこを流し読みすると、自分の欲しい言葉を必死に探し求めた。


『陛下が私のことを、お金目当ての女だと思われるのはわかるつもりです。私は貴族とは名ばかりの田舎者ですから。

 ですが、私の父も母も、中央での権力にはまるで興味のない本当の田舎者です。領地の森をなによりも愛し、たとえ私が王妃になったとしても、領地を離れることはないでしょう。

 私も同じです。私が故郷を離れ、不釣合いな王城に来たのは、ただ愛している人がそう望んだからに他なりません。』


『私がきちんと陛下と婚約した経緯をお話していないのが悪いのかもしれません。

 ですが、陛下は私と婚約したことを過去の過ちと思われていて、なかなか勇気を出すことが出来ませんでした。

 これでは、陛下にお金目当てだったと責められても仕方ないのかもしれません。』


『私が望むのは、ただ愛している方の側にいること。』


『陛下のお側に、いることだけなのです。』


『私とお話をしてくださる時間をとっては頂けないでしょうか?

 私達がどう出会い、何を話し、どんな時間を共有したのか、知っていただきたい。

 そして、私という女を知り、陛下をお慕いしている気持ちを、わかっていただきたいのです。信じて頂きたいのです。』


 信じる。

 それは、グリフィスにとって、何よりも難しいことだった。


 婚約したのは、金目当てだと決め付けた。

 どうやらそうではないとわかると、今度はミシェルが愛しているのは、記憶を失う前の自分だと決め付けた。

 ミシェルの気持ちを信じたくなかったからだ。


 そして、失われた記憶の中の、ミシェルを愛した自分も信じなかった。

 信じることより、自分は過ちを犯したのだと思うほうが楽だったからだ。


「……無理だ。俺には、無理だ」


 信じられない。

 ミシェルの気持ちも。

 ミシェルを愛する、自分の気持ちも。


 どうやって信じればいい。

 何を信じればいい。何を根拠に信じればいい。


 人など、傷つきやすい、愚かな弱い生き物だ。

 人を愛せば、欲に取り付かれれば、いとも簡単に人を裏切る。傷つける。


 為政者として優れていた父を愛していた。

 いつか、イザベラから目を覚まし、以前のような父に戻ってくれるだろうと信じていた。

 だが、父はイザベラに捕らわれたまま、帰らぬ人となった。

 最後まで、グリフィスの諫言を聞いてくれようともしなかった。


 姉のように慕い、憧れていたイザベラも同じだ。

 王妃になった途端、その権力を使い、好き勝手やりはじめた。

 さらには、グリフィスを得るために、滅茶苦茶なことをやった。

 誰かを愛し、独占欲に身を焦がしたとき、人はここまで自分勝手になれるのだと、グリフィスは知った。

 そして、人よりも感情的で情熱的な自分も、こうなってしまうのではないかと、ただただ恐ろしかった。


 誰も愛さなければいい。

 そうすれば、父とイザベラのような末路をたどらずにすむ。


 だが、ミシェルを思う気持ちは、彼女の愛を得たいと願うこの気持ちは、押さえようがない。

 苦しくて苦しくて、自分でもどうしようもなく、苦しくて。


 グリフィスは膝を突き、震える手をぎゅっと握り締めた。

 胸の中で嵐のような感情が吹き荒れ、叫びだしてしまいそうになるのを、唇をかんで耐える。


 どうすればいい。

 これからどうすればいい。


 もう限界だ。

 ミシェルが信じるに値しない女だと自分に言い聞かせるのも、ミシェルにひかれていく自分を抑えるのも。


「……ミシェル」


 グリフィスはぎゅっと服の胸をつかむと、あえぐような息をつく。


「ミシェル……お願いだ」


 信じさせてほしい。

 愛しているという、その気持ちを。

 そして、君を愛しても、何も怖くはないのだということを。

 二人の気持ちに、何も間違いはないのだと。


「お願いだ。俺を」


 救ってほしい。


 ぐっと閉ざされた瞼の端から、涙が一筋、頬に落ちていった。











 翌朝。


 眠れない夜を過ごしたグリフィスは、まだ夜が明け切らない内から、一人、馬を走らせていた。

 本当なら一泊二日の道のりを、グリフィスは番所ごとに馬をかえて、その日の夕方にはユーシスの別荘に到着する。

 かなり雪が積もっていたが、別荘の周囲は綺麗に雪かきされていた。

 グリフィスは門の前に馬をとめると、別荘の門の前に立った。


 時間的に、夕食前だろうか。

 別荘の窓には、いくつも明かりがともっていた。

 この明かりのどこかにミシェルがいるのだと思うと、グリフィスの胸は早鐘を打つ。


 ほとんど衝動的に城を飛び出してきてしまった。

 ただただ、ミシェルに会いたくて。

 彼女に誠心誠意、謝りたい。

 許してもらえなくても当然のことをしてしまったのは、よくわかっている。

 だがそれでも、必死に謝罪を請い、今の自分の気持ちを包み隠さず告白したかった。


「……国王陛下?」


 はっと、声のしたほうに視線を向けると、メイドの格好をした若い女性が一人、薪を抱えたまま、じっとグリフィスを見ていた。

 その視線は決して好意的なものではなく、憎しみさえこもっているように見えて、グリフィスは驚く。

 若いメイドは抱えていた薪をその場に置くと、足早に門の前に立つグリフィスへと近づいてきた。


「何をしにいらっしゃったのですか」


 言葉は丁寧だが、口調は厳しく、国王に対して無礼なほどだった。

 グリフィスは眉をひそめ、その女をじっと見る。

 その厳しい表情と、責めるような口調に、記憶を刺激されたのだ。


「まさか、ミシェル様に会いに来られたわけではないでしょう? もしそうなら、今すぐに、お帰りください。ミシェル様は王城を出て陛下の側を離れ、ようやく幸せになれたのです。これ以上、ミシェル様を振り回さないでください」

「お前は……」


 思い出し、グリフィスはぞっとして、動けなくなる。

 このメイド、エレイナは、昔、イザベラの身の回りの世話をしていた者だ。

 イザベラに気に入られ、秘密の用事もよく頼まれていたようだった。

 グリフィスの元に、イザベラからの手紙や贈り物を持ってくる役目は、いつもこのエレイナだった。


「イザベラ様は、陛下を愛し、不幸になってしまわれた」


 エレイナは一歩近寄り、憎しみを隠さない目で、グリフィスを睨む。


「私はイザベラ様をお守りすることが出来ませんでした。だから、ミシェル様は」

「……何を言って」


 グリフィスの声は、しわがれていた。

 動揺していることを自覚して、グリフィスは落ち着こうとするが、憎しみもあらわなエレイナの目から、目をそむけることが出来ない。


「ミシェル様はとても素敵な方です。王城にいるよりも、実家に帰られたほうが、ずっとずっと幸せになれます」

「……黙れ」


 国王相手に失礼なことを話し続けるエレイナを、グリフィスは睨みつける。

 だが、何かに取り付かれたように、エレイナはどこか普通ではない目つきでグリフィスに近寄り、話し続ける。


「ミシェル様と婚約したのは、気が狂っていたからだとおっしゃったじゃないですか! それがミシェル様をどれほど傷つけ、絶望させたのか、わかっていらっしゃるのですか。愛していたのは間違いだった、記憶が戻っても、もう二度とそういう気持ちにはならないとおっしゃられたのと同じですよ。それなのに、ミシェル様は陛下の記憶が戻ることにわずかな望みを持って、王城に残られた。陛下の仕打ちに必死で耐えておられたミシェル様に、陛下がなさったことといえば、ミシェル様の中に残っていた、わずかばかりの美しい思い出を踏みにじることばかり。いくらお優しいミシェル様といえど」

「黙れ!」


 青ざめた顔で一喝したグリフィスの迫力に、エレイナはようやく口を閉ざした。

 だがそれは、ほんの少しの間だけだった。


「……陛下に黙れと言われるのは、何度目でしょうか」


 グリフィスは、はっと顔を上げる。


「私がイザベラ様をお救いくださいと懇願したときも、いつも陛下は黙れとおっしゃって、私を遠ざけました。陛下があの時、イザベラ様と駆け落ちしてくださっていれば、イザベラ様は死なずにすんだのに」

「何を勝手なことを」


 エレイナの言うことは滅茶苦茶だ。

 何もかもグリフィスが悪く、イザベラには何の罪もないと思い込んでいる。

 そして、その狂った言葉は、グリフィスの心を痛みつける。


 だが、グリフィスはぐっと拳を握り締め、手の平に爪を強く立て、自分を奮い立たせた。

 ミシェルを取り返しがつかないほど傷つけたのは、よく自覚している。

 まだ自分を愛してくれていたミシェルから、その愛を奪い取り滅茶苦茶にして捨ててしまったのも自分だ。

 ミシェルがこんな自分を見限るのは当然だと思うし、許してもらえるとも、正直、思っていない。


 それでも、自分にとって、ミシェルはたった一つの望みだから。

 この苦しみから救い出してくれるかもしれない、ただ一人の人だから。


 エレイナから断固として視線をそらし、グリフィスは別荘の敷地内へと入っていく。

 可能性が限りなくゼロに近くても、ミシェルに謝りたい。

 今の自分の気持ちを全て明かし、愛していると伝えたかった。


 ぎくりと、グリフィスの足が止まる。

 居間だろうか、半分ほど開かれたカーテンから明かりが漏れている部屋が見えるところで、グリフィスは立ち尽くした。


 ミシェルの姿が見えた。

 長椅子に腰を下ろし、何か針仕事をしているようだった。

 手を動かしながらも、誰かとおしゃべりをして、とても楽しそうに笑っている。


 リラックスして、輝くような笑顔のミシェルは、グリフィスの知っているミシェルとは違っていた。

 グリフィスの前ではいつも控えめで大人しく、緊張してばかりいたミシェルが、今はなんとも幸せそうだった。


「王城を出られて、ミシェル様は幸せになられました」


 後ろから聞こえてくるエレイナの声に、グリフィスは唇を噛む。


「せっかく陛下を忘れて幸せになっているというのに、また陛下に会われたらどうなることか。以前、陛下はイザベラ様のことを、身勝手な女だとおっしゃっていましたが、ご自分はどうなのです」


 びくりと、グリフィスは背中を震わせた。

 それは、グリフィスが最も恐れていることだった。

 イザベラのように、身勝手な愛を相手に押し付け、不幸にする。

 まるで愛していることを免罪符のように振りかざして、誰よりも大切なはずの相手を傷つける。


 愛しているのなら、愛している人の幸せを第一に考えられるはず。


 グリフィスは歯をくいしばる。

 顔をしかめときに、涙が目の端から零れ落ちたのを感じた。

 それを、エレイナが驚いて見ているのがわかったが、つくろう気にもならなかった。


 グリフィスはミシェルに背を向けると、一度も振り返ることなく、別荘をはなれた。







 深夜、王城に戻ったグリフィスを待っていたのは、非常に複雑な表情をしたユーシスだった。

 何処に行っていたのかわかっているのだろう、グリフィスのために夜食を命じると、暖炉の前で凍えた体を温めているグリフィスの背中に声をかけてきた。


「会えたんですか?」

「会わなかった」


 ユーシスの密やかなため息に、グリフィスはじっと目を閉ざす。

 この親友がどれほど心配してくれているのか、イザベルのことでどれほど責任を感じているのか、ちゃんと知っているつもりだ。


「すまない」

「どうして僕に謝りますかね」

「彼女はここにいたときよりも、ずっと幸せそうだったよ」

「そんなこと、彼女に聞いてみなければわからないでしょう」

「わかるさ」


 肘掛け椅子に腰を下ろし、背もたれに寄りかかると、グリフィスは深く息をついた。


「……らしくもない」


 ユーシスのつぶやきに、グリフィスは苦笑をもらす。


「自分が彼女を幸せにするんだぐらい、あなたなら言えるでしょうに」


 グリフィスは目を閉じると、口元に微苦笑をうかべ、ユーシスの挑発を受け流した。

 それをどう見たのか、ユーシスが少し焦ったような顔でグリフィスに近寄ってくる。


「グリフィス、まさか彼女を諦めるなんて言いませんよね?」

「……どうかな」

「今ミシェルから目を離せないんですよ。実は、ミシェルを暗殺しようとする者がいるようなんです」

「どういうことだ。詳しく話せ」


 グリフィスが記憶を失うきっかけとなった事件のこと、ナイフでの脅迫のことを、ユーシスは説明した。

 ミシェルからの伝言などはすべてグリフィスやユーシスのもとに届く前にもみつぶされていたらしく、ユーシスもこれを知ったのは最近なのだという。


「詳しく調査させよう」


 グリフィスは考えを巡らせながら、そううつぶやく。


「それだけ、ですか」


 驚きと少しばかりの非難がこもったユーシスの言葉に、グリフィスは苦笑をもらす。

 ユーシスが何を考えているのかはわかる。

 ミシェルを愛していると自覚した今、ミシェルは自分で守ると言い出して王城に呼び戻すのではと期待したのだろう。


「ユーシス、ミシェルが狙われたのはなぜなのか、お前だってわかるだろう? 俺に関わったからだ。王妃になるかもしれないと、周囲に思わせたからだ。それならば、彼女にとって一番安全なのは、もう俺とは一切関わらないことだ。そうだろう?」

「グリフィス」

「だからといって、ミシェルを傷つけようとした奴らを許すつもりはない。調査は極秘裏に、徹底的にやらせる。お前は関わるな。調査していることがわかれば、向こうはまたミシェルに手を出してくるかもしれない」


 自分と関わったことで、ミシェルをこれ以上不幸には出来ない。

 多分、それぐらいしか、今の自分に出来ることはないのだろうから。

 それでも、ミシェルのために出来ることが見つかって、グリフィスは嬉しいぐらいの気分だった。


 

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