(2)
侍従にレスター・ボードウィンからの面会申し込みを告げられ、グリフィスは断ることが出来なかった。
だが、あえて数時間、レスターを待たせてから呼び寄せた。
グリフィスがミシェルの元婚約者について知っていることといえば、今もミシェルと親しいことぐらいだろうか。
まだミシェルがこの城にいたとき、レスターはミシェルに会いに来たことがあった。わざわざ元婚約者に会うためだけにだ。
ミシェルも、レスターを頼ってこの城を出ると言った。それぐらい、二人は今も親密なのだろう。
グリフィスはまだ見ぬレスターに対して、敵愾心だけは持っていた。
レスターがなんのために会いに来たのか。それは明白だ。
グリフィスが婚約を破棄した今、ミシェルは自由だ。誰とでも結婚できる。
婚約して王城にいるミシェルを訪ねてくるぐらいだから、レスターはミシェルを諦めていないのだろう。
婚約破棄を確かめて、ミシェルとの結婚許可を求めてきても、なんら不思議はない。
そして、レスターに許可を請われたとき、自分はどう答えるべきなのか、どう答えられるのか、グリフィスには全くわからなかった。
執務デスクにひじを突き、グリフィスは侍従に案内されて来たレスターを、じっと観察した。
レスターは綺麗な男だった。だが、その綺麗さは、グリフィスとは正反対のものだ。
男らしい美形であるグリフィスに対して、レスターは中性的な美しさ。筋肉質で長身のグリフィスと違って、レスターは線も細い。
激高しやすいグリフィスに対し、レスターはどこまでも静かなようにも見えた。
あまり得意なタイプの相手ではないと、グリフィスは心の中で身構えた。
「お久しぶりですと、あえてご挨拶させていただきます」
グリフィスと二人きり、正面から向き合うと、レスターは国王相手に臆することなく口を開いた。
「初対面だが」
「いいえ。陛下はお忘れですが、ヴァロア伯爵のお屋敷で何度かお会いしています。それに、ミシェルと王城に戻られる前、私に会いに来てくださいました。そのことは、多分、ミシェルも知らないはずです」
「筋を通しに行ったと言うのか」
「そうです。陛下は私の所に、婚約者を横取りしたことについて謝罪に来てくださいました。思い出されましたか?」
「いや」
だが、本気でミシェルを手に入れようと考えるのなら、それぐらいはするだろうと思えた。
どこからもケチがつかないように、完璧に手を回す。自分ならそうする。
当然、記憶を失う前の自分もそうしたことは、容易に想像できた。
「それでなんの用だ。婚約者を横取りしたくせに、婚約解消とはどういうことだと、文句を言いに来たのか」
「そんなところです」
ミシェルを取り返しに来たわけではないとわかり、グリフィスはほっとしたが、安心すると同時にむっとした。
レスターの口調は必要以上に平坦で、冷静な返答とも言えたが、グリフィスには馬鹿にされたように感じられた。
そして、グリフィスに睨まれて、レスターは怯えるどころか、にっこりと微笑んでみせる。
「あなたは私との約束を、みごとに破ってくださいました。私が恨みごとを言いに来るのは当然でしょう?」
「約束だと?」
「ミシェルを幸せにすると、あなたは私に誓われた。必ず幸せにするから、ミシェルのことはさっさと忘れろとまで、あなたは言ったのですよ」
「………」
「それがどうですか。婚約をあっさり破棄し、ミシェルを城から追い出す。今のミシェルが幸せだと、私には思えません」
「そんな約束は覚えていない」
「あなたが覚えていなくても、私が覚えています」
ぴしゃりと、レスターは一喝した。
声を荒げたわけでもないのに、妙に迫力のある静かな一喝だった。
「何が言いたい。責任をとれと言いたいのか」
「そんなことを言いに来たのではありません。それに、ミシェルとの婚約を本気で破棄するのなら、それ以前の約束通り、私が彼女と結婚します」
「!」
「あなたが現れなければ、最初からそうなる予定でした。それに、私は彼女を愛しています。彼女のほうは残念ながら、私を兄として以上には見てくれませんでしたが」
デスクの下で、グリフィスは拳を握りしめていた。
冷静な表情をつくれないグリフィスを、レスターはただ静かに見据えている。
「覚えていますか。この森を離れることが、彼女にとっていいこととは思えない。だが、どうしても彼女が必要なのだと、彼女なしでは生きていけないと、おっしゃったことを」
「覚えていない。忘れたのだと言っているだろう!」
だんとデスクに拳を打ち付け、グリフィスは立ち上がった。
ぎりぎりと歯を食いしばり、憎しみをこめレスターを睨み付ける。
「忘れたのではなく、逃げたのではないのですか」
「なに?」
「今の王城は、ミシェルが住むのにふさわしくない所だと、あなたはおっしゃいました。醜い権力闘争に、騙しあい。前王妃のもたらした闇に包まれた、暗く冷たい所。彼女が生きていけるところだとは思えないと。だが、必ずミシェルが生きていけるような場所にする。そして、ミシェルを幸せにすると」
レスターの口調はあくまで静かだが、グリフィスを見る瞳は、次第に非難の色を濃くしていた。
そして、弾劾するかのように、レスターはグリフィスを指さした。
「あなたは、それが出来なかったのだ。そして、ミシェルを幸せにする自信がなくなった。あなたは逃げ出したんです。ままならない現実から。ミシェルから」
「違う!」
グリフィスは叫んでいた。
「俺は逃げたりなんてしていない! ミシェルを諦めることなど、絶対にしない!」
「ミシェルは王妃には向かない女性かもしれません。あなたの判断は、正しかったのかもしれませんよ」
「馬鹿を言うな! ミシェルは王妃にだってなれる女だ。彼女の持つ率直さと明るさ、優しさは、今のこの城に今一番必要なものだ。イザベラの次の王妃として、ミシェル以上の女性はどこにもいない。だから俺は無理をして、彼女をここに連れてきた。すぐには無理でも、いつか必ず」
レスターの見守る前で、グリフィスはようやく自分が何を言っているのか、自覚した。
愕然とするグリフィスに、レスターは静かに声を掛けた。
「思い出しましたか?」
震える手で、グリフィスは汗に濡れた前髪をかきあげた。
「……いいや。ただ、言葉が勝手に出てきただけだ。かっとして我を忘れて」
大きく息をついて、グリフィスは椅子に腰を下ろした。
「我に返ったら、言葉は消え失せた。自分でも何を言うつもりだったのか、わからない」
「それは残念でしたね。もう少しだったというのに」
ため息混じりにつぶやいて肩をすくめたレスターに、グリフィスは眉をひそめる。
「わざとやったのか。俺をわざと怒らせて」
「はい」
にっこりと頷くレスターに、グリフィスは顔をしかめる。
「怒らせるというか、そう『我を忘れる』状態になっていただこうとは思っていました。そして、あえてお忘れになった過去について話しました。忘れたはずの話をいつの間にか自然にしていて、記憶が戻ったという話を聞いたことがあるものですから」
どうやら、ミシェルの元婚約者は、見かけ通りのおっとりとしただけの男ではないようだと、グリフィスは認識を改めた。
逆に、常に優しげな表情の裏で何を考えているかわからない男に見えてくる。
「よくわからない男だ」
「懐かしいですね。そう言われたのは二度目です」
一度目がいつだったのか、聞かなくてもわかる。
過去の自分も、今の自分と同じ感想をレスターに対して持ったことを、グリフィスは疑わなかった。
それは不思議な感覚だった。
ミシェルと一緒にいると、過去の自分が全くの別人であるかのように思え、いつも過去の自分に嫉妬していた。
だが、レスターと話していると、失った記憶の中の自分は、紛れもなく自分だとそう思えた。
過去の自分が何を考え、何を思ったのか、自然と想像できるし、それが自分の行動だと違和感なく実感できる。
なぜだろうか。
グリフィスは改めて、レスターをじっと見つめた。
そんなグリフィスに、にっこりと微笑み、レスターは口を開いた。
「あなたは逃げ出したりしていないと、私は思いますよ」
先程とはまるで逆のことを、レスターは言った。
「確かに、あなたのやろうとしていたのは、とても困難なことでした。短時間で出来ることではなかったし、それにはミシェルの協力が不可欠でした。そして、あの時のミシェルでは、あなたの助けにはなれなかった。しかし、あなたは待つとも言っていましたよ。ミシェルがこの城に慣れてくれるのを」
「………」
「しかし、ミシェルは何も変わっていないようでした。愛しさの余り、過保護に守りすぎたのでは? ミシェルに拒否されるのを恐れる余り、この城の中にあの森を再現しようとしたのでは? でもそれは、不可能ですよ。それに、彼女は森を誰よりも愛していましたが、森でなければ生きられない弱い人ではありません。きっと、この城にも慣れていけると、私は思っていたのですが」
「ミシェルが王妃に相応しいと、そう言うのか」
「あなたはそう思ったからこそ、彼女をここに連れてきたんじゃないですか」
「忘れた」
つぶやいて、グリフィスはじっと目を閉ざした。
だが、ミシェルを手放すことなど出来ないと、すぐには無理でもいずれはと叫んだ自分に、ひどく動揺していた。
あれは、失われた記憶の悲鳴だ。
過去の記憶を無いものとしている今の自分に対する、抗議のようにも思えた。
そして、もしかしたら、今の自分の本音なのかもしれない。
「なぜ婚約破棄など? なぜ、ミシェルを手放したりしたのですか」
グリフィスは改めてレスターを見つめ直す。
なぜ、ミシェルと話していると過去の自分を別人と感じ、レスターと話しているとそう感じないのか。
ミシェルは、過去の自分と今の自分を、別人として扱っていたからだ。
過去の自分を『グリフィス』と呼び、今の自分を『陛下』と呼んで、はっきり区別していた。
だが、レスターはあくまでグリフィスをグリフィスとしか扱わない。
一時ながら失った記憶が表に出てきたのも、そんなレスターの態度に刺激を受けたからかもと思えた。
「ミシェルのほうから、城を出ると言いだしたのだ」
「信じられません。ミシェルは私に、春まではこの城にいると言ったのです」
「ミシェルが言い出したのだ」
「それならば、それなりの理由があるはずです。彼女を追い込んだのは、あなたではないのですか?」
色々と心当たりのあるグリフィスは、黙り込んでしまう。
改めて、ミシェルに強い罪悪感を覚え、後悔の気持ちが心の底からわきあがってくるのに、顔をしかめた。
暗い顔で黙り込んでしまったグリフィスに、レスターはなんともいえない顔で、小さくため息をもらした。
今のようなグリフィスの表情には、見覚えがある。
あの時、ミシェルも同じような顔をして、苦しみ悲しんでいた。
レスターは、あの時と同じ質問を、今度はグリフィスに投げかけた。
「ミシェルに、愛していると伝えたのですか?」
グリフィスは答えない。
だが、あえて視線を合わせようとしないその態度に、答えを聞くまでもないと思えた。
「以前、私はミシェルを訪ねてこの城に来たことがありますが、その時も同じような話をミシェルとしました。あなたに嫌われていると泣く彼女を私は慰め、ちゃんと愛していると伝えたのかと聞きました」
「なんだそれは」
そっけないグリフィスの返事に、レスターはいぶかしげに眉をひそめる。
「ミシェルはあなたに伝えていないのですか?」
「当然だ。彼女が愛しているのは、記憶を失う前の俺なのだから。今の俺のことなど」
思わず本音がでてしまったグリフィスは、自分の発言を悔やむように唇を噛み、そっぽを向く。
「ミシェルも同じことを言っていましたよ。記憶を失ったあなたに、嫌われているのだと」
グリフィスは答えなかった。
ミシェルを愛していると、言葉にしたこともなければ、態度に表したこともない。
いつもミシェルを罵倒し、非難していた。ミシェルが嫌われていると思うのも、当然なのかもしれない。
だがそれは、ミシェルがことあるごとに、『グリフィス』と『陛下』を比較したからだ。
記憶のないグリフィスなどに、用はないという態度をとり続けたから……。
「ミシェルはあなたの誕生日にプレゼントを用意し、渡すときに告白するつもりだと言っていました」
グリフィスは目を見張り、レスターの顔を見返した。
「あなたはミシェルに、告白させなかったのではないのですか?」
「…………」
「嫌いだ嫌いだと言う相手に、愛を告白出来る人などいません。まして、若い女性のミシェルに、それは不可能でしょう。プレゼントは受け取ったのですか? 彼女は手作りの物を用意していましたが」
青い顔で目をそらしたグリフィスに、レスターは悲しげな顔でため息をついた。
「それでは、ミシェルも出ていくと言い出すでしょう」
「……嘘だ」
「なにがです」
「ミシェルは俺を愛してなどいなかった」
「それで、あなたはミシェルに冷たく当たったのですか?」
「…………」
「なんて愚かな」
心底呆れたという口調で言われて、さすがにグリフィスはかっとなってレスターを睨み付ける。
だが、レスターは同情さえまじったような目で、グリフィスを見つめていた。
「ミシェルが記憶を失ったあなたに対して、慎重な態度をとるのは当然でしょう? なぜなら、あなたは彼女を忘れてしまったのですから。一度恋におちた相手と、また恋をするとは、絶対に限らないではないですか。ミシェルは、またあなたに愛してもらえるのか、とても不安だったのですよ。まして、あなたは国王であり、彼女は身分違いの田舎貴族の娘でしかないのですから」
「俺が悪かったというのか」
「すべてあなたが悪いとは言っていません。ミシェルにも、非はたくさんあります。その最たることは、あなたの記憶が戻るのをただじっと待っていたということでしょうか」
グリフィスは乾いた力無い笑い声をあげた。
「ミシェルにとって、俺はなんの意味もない男だったというわけか。彼女にとって、記憶が戻るまで我慢すればいいだけの、いずれはいなくなるだけの」
「あなたはあなたでしょう。記憶になんの意味がありますか」
自分で自分を卑下するようなグリフィスを、レスターは強い口調でとどめた。
「それに、ミシェルはあなたを愛していると、お伝えしたはずです」
「信じられない」
「…………」
「そんな言葉は信じられない」
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