(4)
「デイナ。落ち着きなさい」
今度はティーポットにまで手を伸ばしたデイナを、ロイは後ろから羽交い締めにした。
デイナは肩で息をしながら、目の前の客人を睨んでいる。
実家の父からの使者は、頭から紅茶をかぶった哀れな格好をしていながらも、ポーカーフェイスのままハンカチで顔を拭いていた。
「デイナお嬢様。このような所で公爵様のお怒りがとけるのを待たれるのは、時間の無駄としか」
「お黙りっ」
「ロイ様。デイナお嬢様は軍人の妻にはすぎた方です。お嬢様に実家へ帰られるよう説得していただきたい」
「お黙りって言っているでしょう!」
デイナの肩をなだめるようにたたき、ロイは席を立とうとしている使者に視線を向けた。
「使者殿。公爵様にお伝え願いますか」
「なんでしょうか」
「私はデイナをかすめ取るつもりはありません。確かに今はこうして距離を置いていますが、いずれ必ず、ご挨拶に伺います。その時は、私達のことを認めていただくつもりです」
ロイに気負った所は微塵もない。
内容は宣戦布告ともいえるものなのだが、ロイの口調はいつもどおりソフトだった。
ただ、使者を見る目は怖いぐらいに真剣で、殺気さえ感じさせた。
今まで、さんざんロイを馬鹿にする発言をしてデイナを激怒させた使者も、そのロイの眼光の前に、何も言えない様子だった。
小さく会釈して出ていく使者に、デイナはべーっと舌を出してみせる。
「なに子供っぽいことしてるんだ」
くすくすと笑うロイを、デイナはきっと睨み付ける。
「ロイったら! あんな奴なんて、こてんぱんにして父のとこに送り返してやればよかったのに!」
「無茶言うなぁ」
「腹が立たないの!」
「十分、腹を立てているよ」
ほんの少しいつもとは違うロイの口調に、デイナはロイの胸ぐらをつかんでいた手を放した。
そして、ロイの瞳をのぞき込み、そこに滅多には見れない彼の怒りを見て取って、ほっと息をついた。
「……私のことなんて、どうでもいいのかと思った」
安心したように、胸の中に倒れ込むように抱きついてきたデイナを、ロイはぎゅっと抱きしめる。
「そんなわけないだろう」
「私を、諦めるのかと思ったから」
「諦めない。そう言っただろう? ただ」
言いかけて、ロイは心配そうに居間をのぞき込んでいる、ミシェルとエレイナの姿に気がついた。
「お騒がせして、申し訳ありません」
途端に、ミシェルとエレイナは恥ずかしそうに頬を赤く染める。
「まあ! すみません。大声をだしたりして。すぐに片づけますね」
デイナが壊れたティーカップを片づけに走る。エレイナがそれを見て、慌てて手伝い始めた。
なんだかぼおっとした顔で自分を見ているミシェルに、ロイは微笑んでみせる。
「休暇でここにいらしたのに、騒がしくて申し訳ありません。あの使者は定期便でして、今日来ましたから、あと一ヶ月はまた静かになります」
「あ、私のことはお気遣いなく」
答えて我に返ったように、ミシェルも後片づけの手伝いを始める。
女性達にガラスの片づけをさせていることに気がついたロイは、慌てて下がるように言いながら、ガラスを拾い始めた。
◆
ミシェルは、窓辺でぼんやりと外の景色をながめていた。
今日は珍しく晴れて暖かで、太陽の光が雪に反射して、きらきらと輝いていた。
こういう風景に囲まれていると、やはりほっとする。子供の頃からなじんでいる、故郷の風景と似ているからだ。
この冬の別荘に来て、そろそろ半月がたとうとしていた。
閉じこもりきりだった王城での生活とは違い、ここでの生活は本当に自由だ。
そして、ロイとデイナの夫婦は、いつもミシェルのいい話し相手になってくれた。
だが、二人とも、ミシェルにグリフィスのことは聞かない。王城での生活について話すことはあっても、グリフィスとどう過ごしたなど、詳しい話はしない。
二人が、自分の中にある傷を気遣ってくれているのがわかって、とてもありがたかった。
だが、次第に、二人とグリフィスのことについて話をしてみたいと、ミシェルは思うようになっていた。
ロイとデイナの二人は、ミシェルの知るどんなカップルとも違っていた。
といっても、ミシェルの知るカップルといえば、自分の両親かレスターの両親ぐらい。
親の決めた婚約者と結婚し、愛情というよりも、信頼と優しさでつながっているような夫婦。
勿論、それが不幸というわけではない。ミシェルは自分の両親が深く愛し合っていることを疑ったことはないし、両親が不幸そうにしている所も見たことがない。
親の決めた婚約者と結婚し、子供をもうけ、ゆっくりとした穏やかな時間を生きていく。
結婚というのは、そういうものだと思っていた。
自分のそんな未来を、疑ったことなどなかった。
だが、ロイとデイナのカップルには、そんな決まった未来など、ないように見えた。
ロイの未来、そしてデイナの未来。
軍人と大貴族の姫君では、未来に接点がない。それでも、二人は必死に一緒に生きていこうとしている。
ロイもデイナも、お互いに少しずつ未来を変えて、二人だけの新しい未来を見つけようとしている。
そして、ミシェルは気がついたのだ。
グリフィスと婚約して、結婚することになっても、自分は何も変わっていなかったことに。
実家にいた時と同じ。ただ、結婚相手がレスターからグリフィスに変わっただけで、思い描く未来は、まるで同じだった。
ロイとデイナの二人以上に、自分とグリフィスの未来はかけ離れていた。それなのに、自分は何も変わらなかった。
そして、グリフィスもそれに気がついていたのかもしれない。
だから、ミシェルを外に出さず、王妃の部屋の中で現実と隔離して、ミシェルの未来を守ろうとしたのかもしれない。
きっと、そうしなければ、ミシェルが実家に帰ってしまうのではと、グリフィスは恐れていたのだろう。
そしてミシェル自身も、グリフィスが国王であることに、自分が王妃になることに、怯え、逃げていた。
グリフィスは、ミシェルがプロポーズを承諾するまで、自分が国王であることを隠していた。
結婚したら自分の世界が変わることを覚悟して、ミシェルはグリフィスとの結婚を決めたわけではなかったというのもあったから……。
(もしかしたら、それがグリフィスの負い目だったのかしら)
ミシェルを騙すようにして結婚を承諾させたと、非難されても仕方がないようなことをグリフィスはやった。
それがずっとグリフィスには負い目になり、ミシェルにはグリフィスに必要以上に甘えてしまう原因になったのかもしれない。
(そんなこと……今更だけど)
別れた今、グリフィスとのことを分析しても、なにも変わらない。
ふうとため息をついて窓を開けると、冷たい外気と一緒に、なじみ深い音が聞こえてきた。
リズムよく薪を割る音。ロイだ。
ミシェルはショールを羽織ると、外へ出ることにした。
裏口の扉を開けると、薪割りをするロイの背中が見えた。
がっちりとして、筋肉の綺麗に浮き上がった背中や腕は、ミシェルにグリフィスを思い出させた。
伯爵家にいる間、グリフィスはよくこうして薪割りをしていた。
グリフィスが国王だと知らなかったミシェルは、薪割りをしてくれるようによくお願いしたのだ。
グリフィスも、お願いされて嫌な顔をせずに薪割りをしてくれて、ミシェルは薪割りをするグリフィスの横で、たわいのないおしゃべりを楽しんだりした。とても楽しい時間だった。
「ミシェル様?」
ロイに声を掛けられて、ミシェルははっと我に返った。
薪割りの手を止めて、ロイが不思議そうにミシェルを見上げていた。
「どうしました。ぼっとして」
「なんでもないの。ただ、ロイの背中を見てたら、思い出しちゃったの」
「誰をですか?」
「グリフィスのこと」
少しロイが驚いたように自分を見るのに気がついていたが、ミシェルは気がつかないふりをして、乾いている薪の上に腰を下ろした。
ロイの前で、『グリフィス』の話をするのは初めてだ。
以前のように、その名前を口にすることすら、初めてかもしれない。
「私の家にいた時、グリフィスもロイみたいに、薪割りをしてたの」
何もなかったように、ロイがまた薪割りを始めてから、ミシェルは口を開いた。
「私の父は肉体労働が全く駄目な人だったし、弟は鉄砲玉みたいに飛び出していったら帰ってこないし。グリフィスにお願いしたら、やってくれたの」
「国王陛下にお願いしたんですか」
「だって、その時、グリフィスが国王陛下だなんて知らなかったんですもの」
「そうだったんですか」
「ずっとね、地方貴族の次男だって、自己紹介していたのよ。プロポーズをOKしたあと、初めて国王だって告白したの。今考えると、なんだかちょっと詐欺よね」
すねたような口調のミシェルに、ロイは喉の奥で低く笑う。
「薪割りだけじゃないわ。水くみもしてもらったし、草刈りもそうだし。一度ね、パンを作るのを手伝ってもらったことがあって。グリフィスったらもの凄い力でパン生地をばんばんたたいて、キッチンが真っ白けになっちゃってね。とてもおいしいパンが出来たけど、パン作りだけは二度とお願いしなかったわ」
ロイが声を上げて楽しそうに笑ってくれたので、ミシェルも笑いながら話し続ける。
「村に用事があるときは、いつも馬車をだしてもらっていたし。テーブルの上に飾る花を、毎日のように摘んできてもらってた。お天気のいい日は、いつもお弁当を持って森に散歩に出かけて……」
いつしかグリフィスにひかれていた。
そして、自分を見つめるグリフィスの瞳の中に、特別な物を見つけた。
ゆっくりと流れる時間の中、ゆっくりとお互いの距離を縮めていった。
とても幸せな時間だった。
「でも、グリフィスはかわっちゃった」
カコンと薪の割れる音が、気持ちよく響く。
「記憶を失って?」
「そう。別人みたい。陛下自身、どうして私なんかと婚約したのか、わからないみたい。気が狂っていたんだって」
「………」
「私もなんだか、わからなくなってしまって。私の大好きだったグリフィスと、今の陛下は、同じ人と思えないんだもの」
誰にも話したことのない本音を、なぜかロイには話せてしまえたのが、自分でも不思議だった。
ロイなら、受け止めてもらえるかもしれないと、思えるからかもしれない。
安心感と、大きな包容力を、ロイという男は強く感じさせてくれるのだ。
「確かに、別人ですね。俺の知っている国王陛下は、女の子にお願いされて、薪割りをするような人じゃないですから」
ミシェルにはちらりとも視線を向けず、ロイは相変わらず薪割りを続けている。
「国王陛下といえば、まだお若いのに貫禄があって、非常に優秀な戦士でもあり、社交界の花形でもあり。人混みの中にいても見落とすことがない、そんなずば抜けた魅力を持つ方です。その陛下が、真っ白になりながらパン作りとは、とても想像出来ないな」
くすくすとロイは笑っている。
「私の知っているグリフィスは、確かにとってもいばりんぼうだけど、気さくで、よく笑う、魅力的な人だわ。お腹を抱えて笑うと、すごく幼くて可愛いのよ」
「やっぱり別人だな。陛下は、ミシェル様と出会って、変わったのでしょうね」
「私と出会って?」
「そうです。そうとしか思えない。あなたは陛下を変えたのですよ、ミシェル様」
思ってもいなかったことを指摘されて、ミシェルは驚いて黙り込んだ。
「ミシェル様と出会い、陛下は変わられた。そして、お二人は愛し合われた。しかし、陛下はミシェル様との記憶をすべて失ってしまわれた。陛下は、ミシェル様と出会って変わる前の陛下に戻られた。ミシェル様が、陛下は変わったと感じられるのは当然かもしれませんね」
「………」
「逆に言うのなら、記憶を失った陛下は、以前のように変われなかった。ミシェル様が側にいたというのに」
「………」
「どうしてだと思いますか」
問いかけてはいるが、ミシェルの答えは期待していない口調だった。
実際、ミシェルは答えることなど出来なかった。
「ミシェル様が変わってしまったからでしょう」
「……私?」
「ミシェル様が初めて会った陛下と、記憶を失った後に初めて会った陛下は、ある意味、これ以上なく同一人物だったわけです。それなのに、前者の陛下は変わり、後者の陛下は変わらなかった。前回、ミシェル様は陛下を変えることが出来たけれど、今回は出来なかった」
「………」
目を見開いて凝視してくるミシェルを、静かに見つめ返し、ロイは口を開く。
「陛下は何も変わってはいませんよ。変わったのは、ミシェル様ではないのかな」
淡々と告げられたその言葉に、ミシェルは何の反論もすることが出来なかった。
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