(3)
数日後。
昼食の後、ミシェルとデイナはキッチンでケーキ作りを楽しんでいた。
この別荘には専属のコックがいるのだが、デイナは結婚してから料理を楽しみだしたらしい。
ミシェルは実家にいた時、当たり前のようにキッチンに立っていた。だが、グリフィスと婚約して王城に住むようになってから出来なくなってしまったので、デイナに誘われて喜んでついてきた。
「あら。頼めば専用のキッチンぐらい、用意してくれるわよ」
ミシェルがふともらした愚痴とも言えない独り言に、デイナは笑って答えた。
「毎日のように、陛下に手料理を食べさせるというのは無理かもしれないけど、週に何度かは可能じゃないかしら。頼んでみればよかったのに」
「でも……」
ちょっと口元をゆがめ、ミシェルはそのまま手元のケーキ種に視線を落とした。
デイナはしばらく待ったが、ミシェルが何も言うつもりがないようなので、更に言葉を重ねる。
「陛下はミシェル様に激甘だったって聞いてましたけど、お願いしても断られそうでした?」
「いえっ。陛下は本当によくしてくださいました」
はじかれたように顔を上げ、ミシェルは勢いよくそこまで言ったが、ふと我に返ったように、また黙り込んだ。
「ごめんなさい。あの、陛下のことは、話したくなくて」
しゅんとしたミシェルの瞳が潤んでいるのを見て、デイナは慌ててしまった。
「ごめんなさい! 私ときたら気が利かなくて。そうね。陛下の話はやめましょう」
「私のほうこそ、申し訳ないです。あの、あの、デイナのお話、聞かせていただけませんか?」
「私の?」
「はい。エルに、元老院のお嬢様だったって聞きました」
「あ、なるほど。ロイとの馴れ初めね」
にっこりと微笑み頷いたミシェルにつられて、デイナも微笑んでいた。
(不思議な人よね)
ミシェルと生活し始めて、デイナはミシェルの持つ魅力に気づかされていた。
強烈な輝きではない。
だが、周囲にいる人々を幸せにするような、柔らかで暖かな光を常にはなっている。
ミシェルの側は、なぜかとても居心地がよくて、つい彼女の姿をさがしてしまう。
あの厳しい女官長がミシェルを王妃にと望んだ気持ちも、ユーシスが諦めきれずにいる気持ちも、そして、あの陛下がミシェルを求めた気持ちも、わかるような気がしていた。
「ロイはですね、サザーラント公爵家の軍人なんですよ。ユーシスの私兵ですね」
「私兵?」
「大きな貴族は、自分の領地を守るために、独自の兵士を持つことを陛下から許可されているんです。勿論、ユーシスは大きな兵団を持っていて、ロイはそこの副団長だったんですよ」
「凄いんですね」
「それで、私が一目惚れしました」
「一目惚れ、ですか」
胸を張って言うデイナに、ミシェルは驚いて目をしばたいた。
「そうです。速攻、結婚を申し込みました。でも、断られました」
「申し込みって、デイナさんから申し込んだんですか?」
「勿論」
女性から結婚申し込みをするなど、ミシェルは聞いたことがなかった。
そんなことは、はしたないことだと教えられてきたので、自信満々にうなづくデイナを呆気にとられて見てしまった。
「当然ですけどね。私は大貴族のお嬢様で、ロイは貴族でもない、軍人ですから」
「………」
「ロイにうんと言わせるのが、一番大変だったかなぁ。あの人、凄い常識人で。真面目で、誠実で。もう、全然私の気持ちなんてわかってくれなくて。最後には泣き落とししたようなものですね」
その当時を思い出しているのか、デイナは楽しそうに笑っている。
「でもま、それからも大変で。私の父は当然大反対で、ロイの上司であるユーシスにまで抗議しはじめちゃって。このままじゃ駄目だってことで、私は家を出て、ロイもユーシスの元を離れて、二人でこんな田舎に引っ込んだんです。ユーシスが色々と協力してくれて。お互い、距離を置いて頭を冷やしましょうって感じですね」
「家を出たんですか」
「家よりもロイのほうが大切ですもの。私にとっては、家を出たことより、ロイが兵団を辞めなければならなかったことのほうが辛いです。彼がどれほど仕事を愛していたか知っているし、次の団長の最有力候補だったし。でも多分、ロイも同じことを考えていますね」
「同じこと?」
「私が家を出たことを、ロイは一番気にしていると思うんです」
お互いがお互いをいたわり合っている。そんなデイナとロイの関係に、ミシェルはちくりと胸が痛むのを感じていた。
「デイナは、ユーシス様と仲がいいんですね」
深く考えないほうがいいような気がして、ミシェルは話題を変えた。
「そうですね。親同士が同じ元老院のメンバーだったし。ユーシスとは年齢も近いから。子供の頃からの友人というか、そんな感じかな」
「お友達とも家族とも離れて、寂しくないですか?」
くすりと、デイナは微笑んだ。
「そういうミシェル様は? 実家から王城に一人で行かれたわけでしょう。まあ、エルはいたわけですけど。寂しかったですか?」
「それは……。そう思うときもあったけれど」
「陛下がいてくだされば、平気だったでしょ? 私も同じです。それに、結婚すると同時に、今まではとは全く違う生活になるじゃないですか。以前の友人達と同じようには付き合えないのは、どんな結婚でも同じだと思いますよ」
「そういうものですか」
「そういうものですよ。結婚相手が責任ある地位の男性なら、尚更のことです」
「………」
これ以上は、ミシェルにグリフィスのことを思い出させるだろうと、デイナは話を切り上げて、粉をふるいにかけ始めた。
ロイの言ったとおり、ミシェルには少し時間が必要なのだろうと、デイナも思い始めていた。
こうして作業をしていなければ、ミシェルは一日中でもぼぉっと考えことをしているし、泣きはらした目で朝起きてくることも珍しくない。
王城で二人の間になにがあって、なぜ別れることを決めたのか、わからない。
だが、それは、少なくともミシェルにとって、辛くどうしようもない決断だったのだろうと、そう思えた。
ただ、エルの話を聞いていると、もしグリフィスが記憶を失わなかったとしても、いつかこのような日は来たのではないだろうかとも思えた。
それが、記憶喪失になって、早まっただけのことかもしれない。
ミシェルもグリフィスも、少しだけ変わる必要があると、デイナには思えた。
そして、ミシェルにはぜひ、自分から変わりたいと願ってほしい。
ミシェルがそう願ってくれるなら、自分に出来る限りの助力をしようと、デイナはすでに決心していた。
(本当に、不思議な人よね)
今は自分のことで手一杯で、正直、人のことにまで首を突っ込む余裕はない。
それでも何かせずにはいられないと思わせる、人を引きつける魅力。ある意味、グリフィスと同じようなカリスマを、ミシェルも持っているのかもしれなかった。
キッチンの入り口に、ミシェルについて王城から来たエレイナが顔を出した。
「デイナ様。お客様です。ご主人様がお呼びです」
「あ、はい。じゃ、ミシェル様すみません。後はお願いできますか?」
「大丈夫です」
「私がお手伝いします」
出ていくデイナにかわって、エレイナがキッチンに入り、ミシェルに並んだ。
「デイナさんにお客様なの?」
「そうみたいです。ご実家の方じゃないでしょうか」
エレイナが当たり前のようにデイナの実家などというので、ミシェルは驚いてしまった。
「エレイナったら、デイナさんのご実家のこと、知っているの?」
「それは勿論ですよ。だって、私、王城で働いているんですよ」
驚いているミシェルに、エレイナのほうがおかしそうに笑っている。
「デイナ様は、社交界の花形でしたもの。結婚すると言って家を出られた時は、それはもう凄い騒動になりましたから」
「そうなんだ……」
「一年前ぐらいのことですね。社交界は移り変わりが激しいですから、もうデイナ様のスキャンダルのことも忘れられていますけど」
「スキャンダル?」
「元老院のお嬢様と一介の軍人ですからね」
「エレイナは詳しいのね」
「これぐらい普通です。王都に住んでいる者なら、必ず知っていますよ」
エレイナの話はまだまだ続いていたが、ミシェルは適当に相づちを打ちながら、デイナのことを考えていた。
社交界でどれだけ叩かれようと、デイナは毅然と自分の決めた道を進んできたのだ。
(でも……私は……)
いつもグリフィスの背中に隠れていた。
きっと社交界はデイナの結婚の時よりもの凄い騒ぎになっていただろうが、その対応はすべてグリフィス一人でやっていた。
(だって、グリフィスが何もしなくてもいいって)
女である自分が出ていくのは、はしたないのではないかとも思っていた。
だが、自分からプロポーズしたというデイナが、ロイの背中に隠れていたとは思えない。
グリフィスの言葉に頷くだけではなく、もっと自分から何かするべきだったのではないだろうか。
婚約は、ミシェルとグリフィス、二人のことだ。
グリフィスだけが、矢面に立つのは間違っている。
「ミシェル様?」
手が止まったミシェルの顔を、エレイナはのぞき込んだ。
「あ、ごめんなさい。その粉、入れてくれる?」
ケーキ種と粉をさっくりと混ぜ合わせると、ミシェルは手際よくケーキ型にそれを流し込む。
暖めておいたオーブンに入れると、ほっと一息ついた。
そんな時、突然、ガラスの割れる大きな音が聞こえてきた。
「なに?」
ミシェルとエレイナは顔を見合わせる。
「居間のほうから聞こえてきたと思いますけど」
二人はキッチンの扉から顔を出すと、居間のほうを伺う。
途端に、ガラスの割れる音がもう一度。そして、デイナの怒鳴り声が聞こえてきた。
どうやら、実家から来た客人と、デイナが喧嘩をしているらしい。
ミシェルとエレイナは、はしたないとは思いつつも、好奇心に負けて、そろそろと廊下を居間のほうへと進んでいった。
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