(2)
「僕がちゃんと保証します。あなたは姉に対して、思わせぶりな態度をとったことなど一度としてなかった。それどころか、いつも僕の所に避難してたじゃないですか。あなたは被害者だ。だから、姉に同情しちゃいけませんよ」
ユーシスは何度となくグリフィスにこう言ってきた。
そう言わずにはいられないほど、姉イザベラはグリフィスにひどいことをしたのだ。
国王暗殺で捕らえられたイザベラは、泣きわめいてグリフィスにすがりついた。
国王と別れたら私と結婚してくれると言ったはずだとか、もう邪魔者はいないのだから嫌っているふりはやめて私を愛してほしいとか。
イザベラは自分勝手な主張を繰り返し、それでもグリフィスが反応しないと、逆にグリフィスを非難しだした。
こんなに愛しているのに、こんなに思っているのに、なぜグリフィスにはわからないのかと。女心のわからないひどい男だと。
自分を追いつめたのは、グリフィスだとさえ言い放ったのだ。
あの時の、グリフィスの悲壮な顔を、ユーシスは今も鮮明に思い出すことが出来る。
グリフィスにとって、イザベラは恋愛対象にならなかったものの、憧れの姉のような存在だった。
イザベラは文句なく美しく、立ち居振る舞いも優雅で、完璧な礼儀作法と巧みな話術で、いつも取り巻きを引き連れているような女性だった。
そんな完璧な美女が髪を振り乱し、狂気のような顔で保身のために嘘を並べ立て、愛していると言ったその口で、グリフィスに罪をなすりつけようとさえした。
しかも、自分がこんな風になったのは、全てグリフィスのせいだとまで、言って。
「姉はとてもプライドの高い人でした。それに、自信家でしたしね。まあ、あれだけちやほやされていれば、仕方ないのかもしれませんが」
「俺のような若造に断られるなんて、思ってもみなかったんだろうな」
ほんの少し、グリフィスの口元が緩んで、ユーシスはほっとした。
「その通りですよ。姉はあなたを愛していると同時に、とても憎んでいた。そしてきっと、将来、あなたが誰かを愛することさえ許せなかった。その誰かに、姉は負けるということになりますからね」
時々、グリフィスにとりついている姉の影を見つける。
弟として姉の運命に同情もするが、それ以上にグリフィスの親友として、彼の心に深い傷をつけていった姉が許せなく思う。
そして、加害者の弟として、グリフィスの傷を癒すためになら何でもやろうと思うのだ。
だがそれが、半分は自分のためだということも、ユーシスは自覚していた。
なぜなら、姉のイザベラと前サザーラント公爵の父を処刑台へと追いやったのは、ユーシスでもあるからだ。
姉のイザベラは、食事に少量の毒を混ぜ、ゆっくりと国王を衰弱させ、死に至らしめた。
間近で父国王の変化を見ていたグリフィスと、姉のやっていることを知っていた父公爵が日ごと落ち着きを失っていくのを見ていたユーシスの、二人だけが国王の死因を疑った。
そして、二人は協力して、イザベラの悪事を暴いたのだ。
王妃が国王を暗殺したこと、更にその理由が王子への道ならぬ恋だとわかると、元老院はこの事実を完全に封印することにした。
なので対外的には、前国王は病死し、王妃も後を追うように病死したということになっている。
姉と父のやったことは、許しがたいことだと思うし、断罪したことを後悔などしていない。
次期当主のユーシスが積極的に姉と父の悪事を暴いたことによって、両者の罪を一族は被らず、サザーラント公爵一族は今も繁栄している。
たくさんの領民と臣下を抱えるサザーラント家になにかあれば、路頭に迷う者が続出する。また、たくさんの分家にも影響はでるだろう。
次期当主として義務を果たしたのだが、心の中に消せようのない闇が巣くっているのをいつも感じている。
そして、グリフィスがイザベラの闇を振り払い、幸せになれた時、そうなった時、ようやく自分は許されるのではないかと思うのだ。
だが、自分では、姉の亡霊を完全に消去することが出来ないと、ユーシスは知っている。
グリフィスに愛し合う喜びと幸せを教え、人を愛する自信を持たせられるのは、ミシェルだ。
一度は、あのグリフィスの心を開かせて、結婚したいと言わせた女性なのだから。
◆
途中、宿屋で一泊し、ミシェル達は翌日の午前中に別荘に到着した。
サザーラント公爵ユーシスの冬の別荘は、王国内の山岳地帯に近いところにある。
ミシェルの実家と近く、真冬には大雪に閉ざされる場所だ。
一行が到着した時も、すでにかなりの雪が積もり始めていた。
「さすが、サザーラント公爵様の別荘ですね!」
東棟付のメイドで、ミシェルのお世話をするために同行したエレイナが、雪の中からあらわれた荘厳な屋敷に歓声を上げた。
「本当ね。いいのかしら、こんなお屋敷にお世話になるなんて」
ミシェルはそっとため息を漏らす。
今が春や夏ならよかった。冬でなければ、誰の反対を押し切ってでも、実家に帰っていた。
実家の自分の部屋に帰って日常を取り戻し、今回のすべてはなかったことにするつもりだった。
だがやはり、この時期に冬支度のない実家に帰るのは、自殺行為でしかない。
「いいに決まっているじゃないですか! サザーラント公爵様直々のご招待ですよ。この滞在を楽しまなければ、勿体ないです!」
「そうね……」
「そうですって。もうすぐ冬祭りで、ここはとっても賑わうんですから」
「公爵様もおっしゃっていたけど、冬祭りってどういうものなの?」
「まあ! ご存じないんですか! 冬祭りはですね」
賑やかに話している、ミシェルとエレイナの姿に、執事のエルは少し口元をほころばせた。
女官長のはからいで、日頃からミシェルの貴重な話し相手だったエレイナを同行させてもらえたのだが、それでミシェルはかなり救われている。
こういう時は、一人で考え込むよりも、女同士でたわいない会話を楽しむほうがずっと健康的だ。
屋敷の玄関前に馬車が止まると、エルが先に下りて、ミシェルとエレイナを助けおろす。
馬車の御者が荷物をおろしだすと、物音で気がついたのか、別荘番の夫婦が出てきた。
「いらっしゃいませ、ミシェル様。お待ちしておりました」
三十そこそこぐらい、アッシュブロンドに優しそうな黒い瞳の立派な体格の男性が、ミシェルに手を差し出した。
とまどいながらもミシェルが手を差し出すと、別荘番の男は優雅にミシェルの手を取って、膝を折りながらその手の甲に口づける。
こんな田舎の別荘番とは思えない、洗練された仕草だった。
「別荘番のロイと申します。サザーラント公爵ユーシス様より、ミシェル様のおもてなしをいいつかっております。なんなりとお申し付け下さい。それから、彼女は私の妻です」
と、ロイは自分の横に並んだ女性に微笑みかけた。
「初めまして、ミシェル様。ロイの妻のデイナと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
にっこりと微笑んだ美女は、二十代半ばぐらいだろうか。
デイナは、艶やかな栗色の髪の豪華な美女だった。
女性にしては長身のデイナだが、ロイはそれにもまして背が高い。とてもお似合いな夫婦だった。
「あら。もしかして、エルじゃない?」
デイナが執事のエルに視線を向け、小首を傾げる。
ミシェルがエルを振り返ると、エルはなんだかとっても居心地悪そうにそっぽを向いていた。
「知り合いかい?」
ロイに聞かれ、デイナはにっこり頷いた。
「ええ。以前、私の実家で働いていたことがあるの。執事見習いしていたわね、エル?」
諦めたように吐息をつき、エルはようやくデイナに視線を向けた。
「お久しぶりです、デイナ様。こちらでお会いできるとは、思いもしませんでした」
「あら。それは私のセリフよ」
「なぜ、こちらにいらっしゃるのか、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「見てわからない?」
「申し訳ありませんが、わかりません」
「結婚したのよ。旦那様についていくのは、妻の役目じゃない?」
何か言いたそうにエルは口を開いたが、思い直したように口を閉ざした。
「まあまあ。外で立ち話は冷えますよ。中へどうぞ、ミシェル様」
きょとんとしているミシェルを促し、妻とエルの会話に笑っていたロイが、先頭に立って屋敷へと入っていく。
サザーラント公爵の別荘は、内装もすばらしく豪華だった。
ミシェルが滞在していた王城の東棟よりも豪華で華美。
思わず足を止めたミシェルは、吹き抜けになっている玄関ホールの天井を見上げてしまった。
「ここには、サザーラント公爵様もよく来られるのですか?」
「冬には必ず一度は来られますよ。時には陛下もいらっしゃいます」
「陛下も……」
「これだけの別荘が、年に一度しか使われないのは勿体ないですから。どうぞ、ごゆっくりされていってください」
ロイはそう言って微笑むと、ミシェルを早々に部屋へと案内した。
二間続きの部屋はやはりとても豪華で、ミシェルは咄嗟に断りたくなった。
だが、にこにこと愛想良いロイに、部屋は気に入りましたかと聞かれて、部屋を替えてほしいとは言えなくなってしまった。
「デイナさんと、どういう知り合いなの?」
エルと二人きりになるやいなや、ミシェルはそう聞いた。
いつも冷静沈着なエルが、これほど取り乱すところを、ミシェルは初めて見た。
しかも、相手はとびきりの美女で、人妻だというのだから、好奇心を押さえつけることは出来なかったのだ。
「執事の仕事を覚えるために、私が外へ行っていたのはご存じでしょう?」
「ええ。でも、王都の大きな貴族の家って聞いていたけど?」
「そうです。デイナ様のご実家は、元老院の一員です。家の格だけを言えば、こちらのサザーラント公爵家と同じなんです」
「嘘」
「本当です」
「だって、そんなお姫様が、どうして別荘番なの?」
「結婚したからだと、ご本人はおっしゃっていましたが」
顔をしかめ、エルは眉間に寄ったしわを指先で押している。
「でも……。そんな、いいの?」
「普通はよくないでしょう。ご主人は多分、このサザーラント家に仕えていた軍人だったと思います。王都で働いていたとき、何度か見かけたような気がしますから」
「でも、貴族じゃないんでしょ?」
「とても優秀な軍人だったとは思いますが」
驚いて、ミシェルは目を見開いた。
ミシェルぐらいの田舎貴族の娘なら、貴族ではない男性との結婚にそれほど問題は生じない。
だが、元老院のメンバーだというぐらいの大貴族の娘となれば、話は別だ。
大貴族の娘は政略結婚するのが当然で、相手は同じ大貴族か、下手をすれば王族ということになる。
「家を出たと聞いても、私は驚きませんが」
ため息をつきながら、エルがそうつぶやいた。
「そういう方なの?」
「そういう方です。あちらの屋敷で働かせて頂いていたとき、どれほど振り回されたことか」
よっぽどの目にあったようで、エルは苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
こんな顔のエルを見るのも初めてで、ミシェルは小さく笑ってしまった。
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