第七章 変わる人、変わらない人

(1)


 執務室の窓から、グリフィスはミシェルが城を出て行くのを見送っていた。


 遠目でも、顔色が悪いことがわかる。

 小さな背中は、誰かがささえてやらなければ、倒れてしまいそうに見えた。


 ユーシスが用意した馬車の周囲を取り囲んでいる使用人達が、ミシェルと別れを惜しんでいる。

 そして、ミシェルは女官長と泣きながら抱きしめあい、ユーシスに頭を下げて、馬車に乗り込んだ。


 馬車が城門を出て行くまで見送って、グリフィスは窓のカーテンを閉ざす。

 崩れ落ちるように椅子に腰を下ろし、背もたれに身を沈め、深いため息をつく。

 グリフィスの顔色も、ミシェルに負けず劣らず、ひどいものだった。


 ミシェルとこんな形で別れるのは、間違っている。

 昨夜からずっと、悩み考え、だが結局は、何も出来ずミシェルを行かせてしまった自分を嫌悪する。

 せめて最低でも、ミシェルに昨夜のことを謝るべきだった。

 後悔しているし、ミシェルを傷つけてしまったとわかっているのに、出来なかったのだ。


 昨夜、グリフィスは最後に思いを込めてミシェルに口づけした。

 あの時、自分の中には、プライドも嫉妬も、暗い感情は全て消えうせ、ただミシェルを思う気持ちで一杯だった。

 もし、ミシェルがキスを返してくれたなら、きっと何かが変わっていた。

 そう確信できるぐらい、あの時の自分は純粋な気持ちだったと、グリフィスは思う。


 だから、ミシェルの見せた涙が、自分でも驚くほどにショックだった。

 自分はあんなにも深い一体感と充足感を味わったというのに、ミシェルにとっては所詮、強姦まがいでしかなかったのだと。

 ミシェルが求めているのが自分ではないことは、よくわかっているはずだったのに。

 あんな風に、自分があまりにも無防備な状態の時に、はっきりと突きつけられると。


(だが、もう終わりだ。もう二度と、ミシェルに会うことも……ないはずだ)


 ミシェルを一度抱けば、気が済んで忘れるのではないかとも思っていた。

 この執着ともいえる強い思いが、薄らいでいくのではないかと思っていた。

 だが、それはあまりにも愚かな予想だった。


 ミシェルに対する思いは、執着は、また強くなった。

 きっと、昨夜の事は一生、忘れることなど出来ないだろう。


(愛しているから)


 ミシェルを、愛してしまっているから。

 力無い苦笑を、グリフィスは口元に浮かべる。


(俺も、父と同じだ)


 グリフィスの父は、ただ手に入れたいという理由だけで、王妃には相応しくない女性と再婚した。


 五年以上前の話だ。

 ユーシスの姉イザベラは、当時、社交界の花形だった。

 彼女が現れると、周囲がぱっと明るくなるような、華やかな美女だった。


 その当時、元老院の主席で貴族として最高の地位にいたサザーラント公爵家の長女だったイザベラは、生まれたときから蝶よ花よとちやほやされて育つ。

 気位が高くわがままで、異性には愛されても同性には嫌われるタイプの女性だった。


 グリフィスの父、時の国王は、二十歳も年下のイザベラに夢中だった。どうしても後妻に欲しいと、無理を言った。

 ユーシスの父、時のサザーラント公爵は、元老院の主席というだけでは物足りず、もっと大きな権力を望んでいた。

 本当なら、イザベラとグリフィスの結婚を望んでいたのだろうが、イザベラのほうがグリフィスより十歳年上で、グリフィスとの結婚は難しかった。

 だから、国王と娘の結婚話を快く受け入れたのだ。


 ミシェルはイザベラとは違い、田舎貴族の娘だ。

 ちゃんとした後ろ盾もなく、ミシェルと結婚することによってグリフィスの得るものは、ミシェル自身以外ない。

 だが、以前からグリフィスは、自分の結婚を、国王としての権力をより安定させるために利用するつもりだった。

 それが国王としての義務だとも思っていた。


(それなのに、ミシェルを選んだ自分は、選びたい自分は、父と同じ道を進むのだろうか)


 グリフィスはひどく長いため息をつくと、椅子を立ち、再び窓から外を見る。

 朝からふっていた雨が雪に変わり、いつの間にうっすらと雪化粧していた。

 イザベラの処刑が行われたのも、こんな雪の日だった。


 ノックの音が聞こえて、グリフィスは顔を上げる。

 そして、グリフィスの返事を待たず、扉はゆっくりと外から開かれた。


「!」


 扉の向こうに立っていたのは、美しい女だった。

 豊かな黒髪に、透き通りそうに白い肌。そして、濃い睫毛にふちどられた緑の瞳。

 死んだはずの、イザベラだった。


「グリフィス?」


 幻は一瞬で消えた。

 扉の向こうに立っていたのは、ユーシスだった。


「ミシェルはもう発ちましたよ。今さっき、見送ってきました。天候が悪いので、途中一泊して、ゆっくり行くように命じましたよ」


 脱力して窓枠に腰をおろし、深いため息をついたグリフィスを、ユーシスはいぶかしげに見つめる。


「どうしました。幽霊でも見たような顔をして」

「その幽霊を見たのさ」

「は?」

「イザベラかと思った」


 ユーシスはグリフィスの憔悴した顔を見、ふと眉をひそめた。

 そして、あえてだろう、にっこりと微笑んで見せた。


「ひどいなぁ。僕は男ですよ。確かに、姉と僕はよく似ていましたけどね」


 窓際のグリフィスに歩み寄ると、ユーシスにも窓の外の雪が見えた。

 そして、グリフィスがこの窓辺で何を思い、なぜ今自分を姉と見間違えたのか、納得した。


「そういえば、あの日もこんな天気でしたね。朝は雨で、昼前から雪に変わって」


 ユーシスにも、一生忘れることが出来ない日だ。

 姉と父を同時に失った日なのだから。


「姉の予想は外れましたね」

「予想?」

「グリフィスは一生、誰とも恋愛できないって言っていたじゃないですか。誰かを本気で愛することなど出来ない男なんだって」

「………」

「あなたはその言葉を真に受けて、自分はそういう男だと決めつけていたところがあったでしょう。姉の言葉に対して、意地になっていたというか。そういうところ、僕はすごく心配だったんです。姉がまるであなたに呪いをかけていったようで」

「………」

「あなたはちゃんと誰かを愛せる、心の豊かな人ですよ、グリフィス」


 じっと見つめるユーシスから目をそらし、グリフィスは苦々しく、どこか皮肉げに口元をゆがめていた。


「姉の愛しかたはあまりにも自己中心的すぎました。同情すべきところも、ありますけどね。でも、あなたが同情する必要は全くないですからね」


 イザベラが望んでいたのは、二十歳年上の国王の花嫁となることではなく、十歳年下の王子の花嫁になること。

 だが、国王の求婚を断ることなどできず、イザベラは愛する男の妻ではなく義理の母親になった。

 運命を受け入れたかのように見えたイザベラだったが、静かに狂っていく。


 一方、グリフィスは、イザベラのことを、そういった意味では愛していなかった。

 親友の姉として慕ってはいたし、社交界の花形に対する憧れめいた気持ちはあったが、それは男女の愛には成長しなかった。

 父親の花嫁から愛を告白され、一緒に逃げてくれとすがられても呆然とするばかりで、イザベラをただ拒否することしか出来なかった。

 それが、当然の反応だったと思うし、王子として正しい対応だった。


 だが、イザベラはグリフィスを逆恨みした。

 自分がこれだけグリフィスを愛しているのに、グリフィスに愛されないのは、グリフィスが悪いのだと罵った。

 人を愛することの出来ない、冷たい男だと罵倒した。


 グリフィスがイザベラへの嫌悪感を強め、距離を置くと、今度はすべてを国王のせいにし始める。

 国王さえいなければ、国王と結婚しなければ、グリフィスと結婚できたはずなのにと。

 グリフィスが自分に冷たいのは、国王の妻だからなのだと、そう思うようになったらしい。


 イザベラは精神に異常をきたしていたのだろう。

 国王さえいなければ、グリフィスと結婚できると思いこみ、邪魔な国王を毒殺したのだ。


 

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