(7)
ミシェルを部屋に送り届け、ユーシスはグリフィスの私室へとやって来た。
ユーシスが入室してきても、窓辺に立って外を見ているグリフィスは、振り返ろうともしない。
あえて声はかけず、テーブルに用意されているグリフィスの朝食からコーヒーカップを取り上げる。
椅子に腰を下ろして一口飲めば、ほっと息がもれた。徹夜明けには重すぎる朝だ。
「ユーシス」
最初の一杯を飲み終わったところで、ようやくグリフィスから声がかかった。
苛立ちを押し殺したような、ひどく苦しげな口調だった。
「どうしても出ていくと言い張るので、僕の冬の別荘を貸すことにしました」
ユーシスを振り返ったグリフィスの瞳は、苛烈だった。
余計なことをするなと、その瞳に書いてある。
「僕が貸さなければ、彼女は自力で領地に帰って自活するつもりですよ。彼女の父親の領地は、かなり山深いところです。屋敷の改築が十分でも、冬支度がなければ冬は越せません。凍死させたくないでしょう?」
ミシェルが元婚約者の所に身を寄せるつもりだったことを、グリフィスに話すつもりはない。
今のグリフィスに嫉妬させることは、逆効果になるとしか思えないからだ。
国王の元婚約者として、他の男性の所に身を寄せるのはどうかと、ミシェルには話した。
何も知らない者が見れば、ミシェルはグリフィスよりも元婚約者レスターを選んだようにも見えると説明すると、ミシェルは思っていたよりも素直に納得してくれた。
もっと感情的に拒否されると思っていたユーシスは、ミシェルという女性をかなり見直した。
心根の優しい純粋な天使のような女性だと思っていたのだが、どうやら中身はもっとしっかりしているらしい。
「僕の別荘なら、目が届きます。使用人もいますし、安全でしょう」
だが、ミシェルはまだまだ幼いし、王城での考え方や立ち回り方をわかっていない。
もっとも、それをずっと田舎で生活してきた伯爵令嬢に求めるほうが酷というものだ。
素材はいいのだから、きちんと教育すればいい。
そして、ユーシスの冬の別荘には、ミシェルの家庭教師にぴったりの人物がいるのだ。
それもあって、ユーシスはミシェルに別荘を使うように、強く勧めたのだが。
グリフィスが、非常に複雑な顔で黙り込んでいるのに、ユーシスは気がついた。
「行ってほしくないなら、彼女にそう言ったらどうです?」
「誰がそんなことを言った! 俺は別に」
「顔に書いてありますよ」
更に反論しようと口を開きかけ、グリフィスは口を閉ざした。
そして、ユーシスに背を向けるように、再び窓の外に視線を向けた。
「わからないなぁ。彼女に一言、愛しているから側にいろと、そう言えば終わりだと思うんですけど」
「誰が誰を愛しているって?」
「あなたが、ミシェルを」
あの時の、ミシェルが出ていくと言った時のグリフィスの表情で、ユーシスはもう確信してしまっていた。グリフィスのミシェルへの想いを。
グリフィスがあれほどの表情を女性に対してすることなど、今までにはなかった。
そして、表面的には礼儀正しいグリフィスが、女性に対してあれほどの暴言を投げつけているのも、初めて見た。
ユーシスには、それで十分だった。
「愛してなどいるものか」
吐き捨てるように、グリフィスはそう言い放った。
「城を出ていくというのを止めるつもりもない。せいせいするというものだ。お前の別荘でもなんでも貸してやるといい。最初から、そうすればよかったのだ」
「グリフィス」
「お前があの女と俺を近づけようとしていたのは知っている。もう、金輪際、やめてもらおう。春まで別荘において、そのまま実家に帰らせろ。俺はもう二度と会わない」
わざと乱暴に、口汚く罵るグリフィスを、ユーシスは静かに見守る。
魅かれているのに、それを否定しようとするグリフィスの背後に、姉の亡霊がいるように思えた。
いつまでもグリフィスに執着し、誰にも渡さないと言わんばかりに、取りついてグリフィスを苦しめている。
(一度は、解放されたはずだ)
ミシェルを得て、グリフィスは過去から解放されたはず。
一度出来たことなら、きっとまた出来るはずだと思いながらも、ユーシスはミシェルが姉について何も知らなかったことが気がかりだった。
今のグリフィスを理解しようとすれば、三年前のあの事件を知らずには不可能だ。
ミシェルは一体どこまでグリフィスという男を理解し、愛していたのか、ユーシスは少し不安に思った。
だが、グリフィスとミシェルがどんな関係だったのか、今更知ることは出来ない。
グリフィスが王妃に望んだミシェルを、信じるしかない。
「後悔しませんか?」
「しない!」
「もし、記憶が戻っても? 彼女との記憶が戻って、彼女を恋しく思っても、それではもう彼女は手に入りませんよ」
「手に入れたいと思うものかっ!」
グリフィスは意地になっている。
まるで、子供が駄々をこねているような今のグリフィスに、ユーシスは複雑な思いでため息を漏らした。
三年前、十九歳で王位についてから、グリフィスは急に年を取ったように、頑なで冷静すぎる男になってしまった。
頭がよく快活で臣下に慕われていたグリフィスは、幼い頃からいい国王になるだろうと言われてはいた。
若くして即位し、年若い国王に心配の声も聞かれた中で、周囲の予想をはるかに超えた速さでグリフィスは老成し、国王として圧倒的な力を見せ始めたのは素晴らしいというべきなのだろう。
だが、ユーシスはそんなグリフィスが痛々しく思えて仕方がなかった。
グリフィスが持っていた明るさや親しみやすさ、尊大だが憎めない、そんな人間的魅力が失われたような気がする。
証拠に、王城では華やかな宴が開かれていても、どこか暗く、緊張感を漂わせ、息苦しさを感じさせる。
人間不信と、急にのしかかってきた重い責任に、グリフィスはただただ有能なだけの国王になってしまったのだろう。
だから今、グリフィスがミシェルのことで、ここまで心を乱されているのは、ユーシスにとって嬉しいことでもある。
こんなグリフィスを見るのは、何年ぶりだろうか。
だがその一方で、グリフィスはひどく苦しんでいる。
ミシェルを信じられないのも、ミシェルを愛した自分を信じられないのも、根っこにあるのはやはり三年前の事件だ。記憶を失ったことも、それに追い討ちをかけている。
それなのにミシェルは、今のグリフィスがどういう状態なのか、どうやったら救えるのか、わからない様子だった。
「ああ、それから、これなんですが」
と、ユーシスは話題を変えるために、持って来た箱をグリフィスに差し出した。
「なんだ?」
「昨日、ソフィアからあなたに渡してくれるように頼まれていたんです。すっかり忘れていて。すみません」
これを渡そうと、グリフィスを私室に追いかけたがいなかったので、探しに城内を歩いていて、ミシェルといるのを見つけたのだ。
「なんだ?」
「誕生日プレゼントですよ」
「………」
「ロベール公爵に、絶対に渡すようにと厳命されたそうです。それで、あえてあなたに渡さず、僕を経由させたようですね。ミシェルは、あなたに手作りのプレゼントを用意したんですって? ロベール公爵はそれを知って、ソフィアに対抗させようとしたそうです」
「………」
「グリフィス?」
呆然としたような顔のグリフィスは、ユーシスの話を聞いていないように見えた。
だが、名前を呼ばれて、グリフィスは我に返ったのか、いきなり立ち上がった。
「グリフィス!」
そして、そのままユーシスを無視して、部屋を飛び出していってしまった。
◆
グリフィスが向かったのは、昨夜の東屋だった。
ずっと忘れていたミシェルからのプレゼントを、今ようやく思い出したのだ。
土砂降りの雨も気にせず、グリフィスは東屋に向かって走ったが、すでにプレゼントは消えうせていた。
テーブルの下、椅子の下を見たが、あるわけがなく。
グリフィスは呆然と、椅子に崩れるように腰を下ろした。
どうして、もっと早くプレゼントのことを思い出せなかったのか。
きちんと受け取るつもりだったのにと思う。だが。
「……これでよかったんじゃないか?」
どうせあれは、墓前への供え物だったのだから。
自分の手元に残らず消えうせたのは、墓の中の死者が持っていったということだろう。
乾いた低い笑い声をたて、グリフィスはテーブルに肘をつき、額に手を押し当てる。
雨の中、ミシェルを立たせたまま暴言を吐いたことを、激しく後悔している。
どうしてあそこでミシェルを抱きしめてやらなかったのかと、胸をかきむしりたくなるほど強く思う自分がいれば、そうしなくてよかったのだと諭す自分もいる。
出ていくと言いだした時、どうして止めなかったのだと後悔しつつも、これで厄介払いが出来たとほっとしている。
もう会えないと思う。
会わないほうがいいと思う。
お世話になりましたと頭を下げた、ミシェルの姿を思い出す。
もうすべて、二人の関係は過去になったのだ。
グリフィスだけではなく、ミシェルもそう望んだのだのだから。
「これでいいんだ」
グリフィスは歯を食いしばり、自分の中に荒れ狂う感情の波を押さえ込んだ。
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